10時半過ぎくらいに渋谷について、本の紀伊國屋へ。気になっていた「聖なるズー」と是枝監督の「映画を撮りながら考えたこと」を買う。なんか、急に、コロナウイルスで外出できなくなった時用の本として、みたいな思考が働いた。他にも読んでない本はあるわけで、単純にやっぱり気になった本は先に買っておこうと思った、という感じでもあるが。自分の中にどこか不安をくすぐられているところがあるのかもしれない。もしくは利用しているのか。見えない、ということはおそろしくもわくわくするようなものがある。開店して間もない店内は、なんとなく空気が新鮮な気がする。単にここが風の通り抜けがいいだけだろうか。平日、午前中、本屋、良い。

そのあとヒューマントラストシネマで「ミッドサマー」を見る。木曜はカードで安く見れるからと来たのだけど、若い人が多くて平日午前なのにまあまあ埋まっていた。いろいろと変だった。始まってしばらくするとまったりしてきてその空気に呑みこまれる感じが一番奇妙だったようにも思う。物語上の儀式が始まってからはずっとピリピリとした微かな電気が体を刺激しているようで、恐怖でもないし高揚でもないし快楽でもないし不快でもなく、ただ、どこかこれを平常なことであると受け止めようとする自分がいた気がする。奇怪なことが起こっているように見えているが、これのどこが?とも思わずにいられない。真っ当さを感じさせてくる平穏なやわらかな笑みの人々、色とりどりの花、清らかに豊かな服。しかしセックスシーンとかでモザイクかかるのってほんと笑いになってしまうのでやめてほしい。人の体のなにがいけないんだろう。家に着く手前でマフラーがないことに気づき、映画館に電話してみたらそれらしきものがあるとのこと。土日にでも取りにいかなくちゃならない、ああめんどくさい、また映画でも見に行くか、、

渋谷は16の頃からひとりで来るようになっただろうか。でもいまだに道が不安になる。よく坂を間違える。センター街に通じる小道がどこにどうつながるのか、狭い範囲なのに心配になるし実際よく間違える。道自体は変わっていないはずなのに、うねりくねって何がなんだかよくわからなくなるような気がする。宮下公園のとこに新しく建設中の建物。なぜそんなところに建物が必要なんだろう。誰のための建物になるんだろう。

先週くらいから森高千里渡良瀬橋をギターで練習しはじめている。ハンバートハンバートのカバー曲として知って、原曲も聞いてみたけどそっちはいまいち好きではなくて、あくまでハンバートハンバートのアレンジ、歌が良くてそれで自分でも弾き語りしてみたくなった。セーハが相変わらずヘタだなーって感じだけど、久しくやっていなかったリハビリにはちょうどいい気がする。アコギが弾ける部屋、家に住みたい。そんなの私の人生にありえるかな。っていうか私は別に自分のアコギを持っているわけではなかった。今のこの部屋はかなり注意深く音を出さないといけない。ノーアンプで、なんちゃってギターみたいなものだ。

夜ご飯にこないだ作っておいしかったレンコンとゴボウのサラダにセロリもプラスしたのと、もも肉を1枚買ってあったのをどうにかしないとと思って白ごはん.comにのってたレシピで焼き鳥丼をつくる。作ったことがないようなものを作ろうと思って。まあ簡単な工程だけど、長ネギがトロトロになって鶏肉がぷりっとした具合になったので副菜があるときには良いレシピかも。おもしろみのある料理をしたい。