いつも金曜には週末をどうすこすかぼんやり考えている。というか考えざるをえない。主なことはどこかに行くのか行かないかといったことで、特別行きたいところがないときはまあ多分1日出かけないんだろうなと自分を予測している。あそこに行こうか、くらいの気持ちでは結局出かけない。はっきりと行こう、行かなくては、という意志が金曜の時点で持ててないと出かけられない。休日に出かけようとするのか、しないのか、ということがなんだか強迫観念だ。今日はなんとなく出かけないことになった。した、というより、なった。自分が選んでそうしたというより、状況や環境から私はそうなった、という感覚だと思う。しばらくやっていなかった刺しゅうをまたしようとすこし前から思っていた。なにに刺すのか、生地に刺すのはないなあと思って何か洋服に、と思って最近はあまり着ていないデニムのサロペットに刺そうと思う。胸あてのところに、前からずっとやりたいと思っていた図案がちょうど良さそう。10色くらいは使うので、持ってる糸で当てはめられるかチェックして、図案をトレペに写してサロペットにチャコペーパーで写して、とやるだけで大変だった。道具類も久しぶりに出したし、デニムは写りが悪いからかなり握力を込めてもなかなか転写できない。かろうじて写ってはいるが、これは白いチャコペンか何かを買ってこないとダメだなあと思う。でも白のチャコ鉛筆はすぐ折れるし太いしで今回の図案には向かない。でも刺しゅうで一番嫌いな写しの作業まではやったからあとはコツコツやろうと思う。刺しゅうは自分にとって唯一?なにかを作る行為、過程となるものだ。私はなにかを作っていたい、作りだしたいと思う。でもその手段や方法のどれを選べばいいのかわからず、そもそもなにをどう作りたいというイメージや欲求があるわけでもない。それは、なにか、でしかない。自分になにができるかわからない、ということになるのかどうか。なにかを作ること、表現すること、その行為が必要だと思っているけれど、そこで自分はなにをしたらいいのかわからないでいる。行為が必要なのは誰しもなのではないか、と思うそのうえで自分はどうしていいのかがわからない。ずっとそのこと自体が恥ずかしいことのように思ってきた。でもそうゆうことじゃない、恥ずかしさの問題なんかじゃない、自分が生きるたよりになるものとして何かを作る、表現するという行為が必要なんじゃないかという自分のなかの願い?祈り?なんじゃないか、というように最近はすこしずつ思い始めている。でも私はひらめきがあるわけでもなく、道具があっても使いこなす発想もなく、思い立って何かをやってみようと簡単に始められるほどの衝動もなく、なにかや誰かとの特別な出会いがあるわけでもない。根本的に自分なんかが、というような思考があるからかなしい。けれどそんなのも言い訳程度だ。時間をむこうへ、遠くへと投げ出していくような思考をしたいのだと思う。なにかを思い、考えていることは時間のなかで変化していく、それを自分でこねるように触れたい。でもなにで、どう触れられるのかがまったくわからない。わからないから探そうとするしかない。でも全然わからないのでおそろしい。どうしていいのかわからない。とりあえず、何かできることを継続していこうと思う。それで刺しゅう。あまり意味はないかもしれない。それでも。

 

最近はnoteでひとの文章を読む機会がふえた。でもなんかいまいち慣れないんだよなあと思う。noteはブログともちょっと違うあらたな場でありサービスなんだなあというのはなんとなくわかっているけど、自分の中ではなんか変な感じなのか、違和感なのか、そもそも違和感を感じること自体がなんなんだという気もする。noteはすごくきれいな世界って感じがする。人に読まれることを前提としていて、決まった閲覧フォームはすっきりと白い背景に黒文字で行間も調整されている。でもなんかそれが気持ち悪い気がする。調整された同じ様式で様々に違う人たちの文章を読む、というのがなんか違和感なのかもしれない。書き手は違うはずなのに、なんかみんな同じ色調に染まっているかのような印象をどこかで受けてしまう自分がいるかもしれない。なんかよくわかんないけどだからnoteの世界はきれいすぎる感じがする?noteという場、サービスの色があってそれが無意識に共有されているのだろうか。まあ積極的にnoteを見ているわけではないから異色の投稿もあるのかもしれず私が知らないだけかもしれないが。私はどこまでも日記を支持しているのだなーと思う。あまり具体的に言えないが。

 

今月末のイ・ランとphewさんのライブが日本による入国規制によりイ・ランが来日できなくなり中止となったと知る。そうだよなあと思うも、残念でならない。最高の組み合わせだったからすごく楽しみにしていた。日本政府は果たして今後どういった策をとろうとしていくのだろうか。この先もまた自粛要請を出すのだろうか。それで稼ぎを失う多くの人が守られるのだろうか、というかむしろすでにその余波はあるはずで、私の会社もそうだが、このままにされては不安で仕方がない。この状況の現在からすんなりと感染者が減っていくとは思えない。まだある程度長い時間をかけて感染者は増えていくのでは?と想像してしまう。であるならば、この猛烈な自粛モードは解かれていく方向になってほしいと思う。外出禁止、地域の封鎖などの対策が取られるわけではない限り、外に出歩く人々誰しにも感染の可能性はあって、特定の場所が最初から悪いと決まっているわけではないだろう。見えないものへのおそれをどう持てばいいのか、おそれをどう扱うのか。感染者とは悪なのか?と疑問に思う。感染者数とは、その数はなんなのか、そうゆうことが知りたいように思う。