毎日でも言いたくなるくらいに、聞くたびそのたんびに角銅真実さんのoarがすごくいい。はじめに聞いたときからあった、経験としてはじめて聞く新しい音楽なのにどこかなつかしさを感じられるようなもの、そうゆうのはあくまでもイメージ、つくられたイメージでうそぶいているかのように思えなくもない。でもそんなように感じたこと、それが私がこのアルバムの曲のなかをめぐりはじめるスタートになる、そのことは覆す必要もないことだ。

ふしぎと、いくつもの曲になにかどこかで聞いたことがあるような気がして、なにか、だれかの曲、歌声に似ているのでは?と思うのだけど、でも思い起こす誰をも何をもが姿をあらわしそうになりながらもはっきりとした像をむすぶことなく私は通り過ぎていく。その先へ、その先はもっとよくひとつひとつの音を声を聞きたくなってきた。どこから音が鳴っているのか、出てくるのか、広い広い草っぱらを自由にぐるぐると探し回るみたいに。大きな庭のような、かこわれた、約束された世界の、やわらかなゆるやかなベッドのようなふくらみ。

ここ数年で、最近で、女性ボーカルの曲を聞くように、聞けるようになってきてるのは、好きだとわかり、そう言えるようになったのは、やはり自分自身の変化に関係してると思わざるをえないのではないか。前からあまり女性のうたを聞かない自分に不自然さを感じることはあったけど、なんとなくそのまま目をそむけていた。それはどこかで聞きたくないような気があったと思う。それは私が女性の多い職場では働きたくないと思ってきたことと関係するのかもしれない。なにかしら、いくつか、などの意味あいで私は女性がこわかったと思う。その女性たちと自分が一緒であることも、一緒にされることも、それでいて違うのだということも。自分と同じ性の人を好きになるってそういう意味ではなんだかむずかしいことのようにも思えるかも。やっぱり自分が女であることがきらい、いやだったんだろうと思う。男と同じになる、男になるのがいいのは女ではいやだからだ。他には知らなかった。

生理前でなんだか無駄な時間ばかり費やす。いらいらすることがあるわけでもないのにそわそわ落ち着かない自分にイライラするような気になってくる。こんなの自分じゃないと言いたい。だれに。とりあえずoarをヘッドホンで聞きながらふらふらと動きまわりながら踊れるという意味でBluetoothのヘッドホンはとても良いものだ。

不安なとき、落ち着かないときには牛乳をあっためて飲む。そうするといい、と、19のころに教わって以来、ずっとそうしてる。それを信じてる。信じさせてくれた人。魔法なのだと思う。

oarの8曲目、October 25はなかでもいちばん気に入っている。アコギのアルペジオにはとことん弱い。そこで歌われる詞はまるで私は知らない感覚のことのように思う。知らないことがうたわれている。そうゆう感想。

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