夜からの現場しか仕事はないので昼間は休み。今日がすっぴん!の最終回だからと洗濯物を干すとこまですませてラジオを聞いた。いつものタイムスケジュールと違っていて、源ちゃんのゲンダイ国語は11時台だという。そしてゲストに過去のレギュラーパーソナリティの宮沢さんと津田さんがそれぞれゲストで登場。結局ゲストの時間は過去のふりかえりのような面が強くていつものような源一郎さんのトークはどうしても少なめになっていて、それが、最終回なのになあと思うとちょっと残念に思っていた。しかしラジオで聞いてると津田さんてほんといい人って感じが出てるのがおもしろいなあと思う。東さんが津田さんはほんといい人、優しい人、みたいなことをあいトリ後に言ってたのもなんとなくうなずける。それでも人はすれ違うのだろうけど。最後のゲン国は源一郎さんが作ってきた小説を朗読するという。できたてだから、スタッフも藤井アナウンサーも読んでないという。「さよなら、ラジオ」というタイトルだった。内容は始まってわりとすぐに未来の話だと分かった。まあ多分、そう想像できた。ラジオが、ラジオ局が、音楽というものがなくなった世界。病院が舞台で、今のこのコロナウィルスがある状況を描いているのかな?とちょっと思ったりしたけど、それもあるかもしれないけど、そうじゃなかった。終盤、ああ、源一郎さんがこの時間この小説でやりたかったことはこれだったんだとリスナーの誰しもがわかるセリフが発せられたとき、ゾクッとした。やるなあ、うまいなあ、と思ったし、誰しもがそれを待っていたんだじゃないか、というような気がした。急にとつぜん世界に人の名前が現れるとき、名前が発せられるとき、という威力がすごかったなあ。藤井さんのアヤコという名前、急な事故で亡くなられたという番組ディレクター山田さんのタカシという名前、が、小説のなかで、朗読のなかで、ラジオの中で、出会うという衝撃の音がバチんと鳴ったようだった。もちろんそのあと藤井アナウンサーの泣きすする声が源一郎さんの朗読の声の背景にのっていて、それはなんとも奇妙で斬新でものすごいゆらぎだった。源一郎さんもその藤井さんの隣でずっと朗読してるんだからちょっとすごいな。そして小説の最後に鳴ったのはRCサクセショントランジスタラジオ。まあ私はこの曲にもともと思い入れもないけど、出来過ぎだけど、最終回を飾るにはこれくらいベタベタでいいんだろうという気はした。そのあと、リスナーからの山田さんに関するメールを読み上げてたらまた泣いちゃった藤井さんに、源一郎さんがああもうって感じで「泣くなよーもうちょっとなんだからー」って言ってたのが、源一郎さんらしいやさしさだなあと思った。そうゆうひと言が言えてしまう関係は、いつもラジオから感じられていた。藤井さん大好きだからなー、またラジオで番組やっててほしいなあ。放送後のツイッターで源一郎さんから藤井さんに100本のバラが贈られてる写真を見た。ああ本当そうゆうことやれる人なんだなあと思う。

午後はユーロスペースに映画見に行こうと思っていたはずが、なんだか気持ちが上がらなくて、すっぴん!で高揚したのも束の間、不安がまさってくる。今日までの公開だから、と思ったけど、でも気持ちをむりすよりは刺しゅうなどして手を動かした方がいいだろうと思うことにした。寺尾さんの新譜「北へ向かう」をとりあえずサブスクで聞いてるけど、ああめちゃくちゃ良いなあ。キセルがアレンジ、演奏で参加してるタイトル曲の北へ向かうが褒められてるのもいくつか見たけどその通り良い。下手なままのギターを練習した。うたを歌うと率直に疲労感がありストレスが解消される、されてしまうからこうゆう時はやはり良い。ギターを覚えてよかったと思う。もう少し上達はするべきだと思う。そんなにお腹は空いてないからと夜ご飯は春雨サラダとバナナにヨーグルトですます。22時半から現場。こんなの事前の仕込みがもっとちゃんとなされてたらもっと早く終われるのに、という闘争心によって1時間ほどで終わらす。あさいさんがyさんと一緒にやるより断然早い、と言うが、私はちんたらのろのろやるの、趣味じゃないからなあ。そもそも心構えが違うのだ、と思う。動いたらお腹がすいてしまったけど食べるわけにもいかず、帰宅してシャワー浴びて寝る。

 

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