今年の木村伊兵衛賞、横田大輔さんが取りそうだなーというのがなんとなく私の予想だったけど実際横田さんと片山真理さんのダブル受賞だった。なんでダブル受賞ってあるんだろう。それなら受賞者なしじゃないのか。片山さんの写真集はどこかで見ただけだけど、装丁がきれいで良い写真集だなという印象があった。布張りの写真集はずしりと重い気がする。横田さんはガーディアンガーデンの展示を見た、それが良かった。行った時、横田さんご本人らしき人がなにかの取材なのか、展示室で写真を撮られていて、写真家が自分の作品の前でポーズをとらされ写真を撮られているというのを見て、へえ、と思った。そしてその後おそらくそのときの写真なんじゃないかっていう写真を何かの媒体で見た。あの時が、これか、っていう感じで、切り取られた写真の妙をそうゆうところで感じる。斎藤陽道さんのノミネートした展示二つも見てたし斎藤さんでも良さそうだと思ったけれどなんとなく今の流れではそうゆう作家は取りにくいのかなっていう気もするかも。そうゆうって、どうゆう、って話だが。

downyの新譜を聞いた。7枚目の「無題」、1曲目が、こんな曲今までのdownyにあった?という気がして、まるで裕さんへのレクイエムみたいな、そうゆう静かな美しさの曲だなあと思った。別にそんなの全然ないかもしれない。でも私にはそう聞こえ、感じたということ、それだけでいい。亡くなってもう2年、というよりはまだ2年かという気がしている。なんでだろう。あまりにも急だったから、なんだか時間感覚がちょっとおかしいかもしれない。病気がハッキリとわかった時点で余命が1年だったということ、その時点で曲を作っていこうと動いたということ、そうゆうときのものを作る、表現行為を持っている人たちの行動力はすごいなと思う。確か病名がハッキリとわかったっていうのはdownyの最後にやったライブの後、という時系列だったと思うけど、その最後に見たライブからが本当にあっという間だった。それからライブは見にいっていない。だから6月のライブは見に行きたいし、無事に開催されると良いが。オウガが5月にリキッドでのライブを発表しているが、果たしてできるのだろうか、ROVO野音もできるのだろうか、その決断を主催側は迫られているという状況が心苦しい。

今日は午前中から映画を見に行こうと用意していたら母からベッドのマットレスを買ってあげるからという連絡が来て、大宮へ行くことに。めんどくさい気はしつつ、買ってもらえることには下るしかない。こうゆう態度が良くない気はしつつ、だめなままそのままで。買い物のあと、父と姉もやってきてお昼ご飯を食べることに。おお、なんだか気持ちわるい。最近はとにかく異様に家族というものが違和感で奇妙に思えてしまってしょうがなくなっている。これは一度芽生えてしまったからにはそうそう直らないような気がする。なあんか家族っていうものが不気味に思えてしょうがないんだよなあ。幻想共有体をやらされている。姉の子どもはさらに奇妙に笑うようになっていた。左手を発見している時の動画というのを見せられ、概念としての理解がむずかしい。赤ん坊なんてどうせいるだけで誰からも可愛がられているんだから私としてはそっちに入らないつもりでいよう、いたいという気持ちでいたが、ペット的動物でもなく人間的コミュニケーションがとえるわけでもないという面白さにはその態度を貫きとおせず、でもかわいいかって言ったらかわいいっていう愛でるのとは違うと思うし、ただちょっかいを出したくなってしまうのがやめられない感じ。しかし家族という形態でいることにモゾモゾしてしまうので退散して神保町の三省堂へ。ずっと買いたいと思っていた高田渡さんの若い頃の日記の本がここでなら売っているというのは調べてあった。発売されたのは3年前くらいだと思うけどずっと気になりながらどっかで人の日記を読むことへの抵抗感があったのだった。あーでもやっぱり読んでみたい、、というのが高まった。実際の日記をうつした写真もカラーではさまれていて、本としてまず良さそう。渡さんが10代の頃の日記。自分が知らない、生きていない時代の日記を読むことに興味がわいた。結構ぶらぶらして、前にネットの記事で見たような気がする手話に関する本もかった。たしかライムスターの宇多丸さんのラジオの書き起こし記事だっただろうか。それから有楽町へ移動して映画「レ・ミゼラブル」を19:10の回で見た。おお、すごかった。この作品がカンヌでパラサイトと賞を争っていたというのも興味深いことだ。もしこっちがとっていたら、というのを考えたくなる。ひとつの国、社会のなかにある格差を描いているという点では両作が共通しているけれど、この作品はダニエルブレイクとも万引き家族ともパラサイトともまたぜんぜん違った側面、そもそもよく知られていない現実レベルの違ういまだ覆われた場所の描写だと思った。ラストに向かっていくえぐり抜きとられていくような、一瞬が引きちぎられるように伸びる痛みの感覚は、最近他の作品でもあった気がする、たぶん娘は戦場で生まれただったと思う。大人と子ども、大人の愚かさと子どものエネルギーの対比が痛烈だった。その子どもたちの姿は一瞬香港の若者たちの姿がダブった。大人の男たちのどれもが愚かになってしまう、その愚かさをすべてさらけ出したのは子どもたちだった。女たちはみな男たちに虐げられながら、女たちなりの連携の様が垣間見えた。あの子どもたちを誰が抱きとめられるのだろう。日本はこれからますます見た目だけで日本人かどうか、といったことを判別するのかどうか、ということが問われていくのだろうけど、人は差別をせずにいられないのだとしたら、それにどう自覚的でいられるんだろう。帰宅して冷凍のご飯をチンして作りおきの最後のトマトスープをかけてチーズも乗っけて即席リゾット的なものが夜ごはん。楽でいいなー。22時すぎから源一郎さんのラジオを聞いた。1時間弱の中でコーナーふたつまわすというのは無理があるんじゃないかなと思う。番組の中で使われてる曲がいかにも菊地さんの曲っぽいよなあ、源一郎さんだし、源一郎さんの反応の示し方がわざとらしいし、と思っていたら再来週からの本放送のゲストが菊地さんで作曲者も菊地さんだということが最後に告知された。あんな良質そうなジャズの曲がNHKでさらっと流れるなんてもはや菊地さんだというのはバレバレな匂いがついちゃってるよなあと思う。このあとジャズトゥナイトだーと思ってたら違う今日は金曜日だった。菊地さんと大友さんのNHKへの侵入みが年々増していってるの、その過程を見てこれてるのは面白いことだな。大友さんが最後にすっぴん!に出たとき、グランドゼロが流れてたのもおもしろかったな。

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