今日は出勤。午前中はつくりもの。べつに今日に急いでやらなきゃいけないわけではないけどさっさと終わらせてしまいたくて午前中のうちにやり終えるべく1時間でこれだけ進められれば終わる計算をたててしまう。テレビで水産加工工場とかの検品作業してる人を見るとき、私はその仕事けっこういけそうだよなあとか思うのは今の仕事でこうゆう性分がでるところがあるからだ。正確にはなんか違う気もするけどでもひたすらやるべきものが目の前にあり、それに対処する、それを自分のテンポをつくって効率化させる、みたいなのには親近感を覚える。自分の体でリズムをもって動くことが良いような気はする。午後はまた車のシート貼り。今週3台目。この冬なんかずっとなかったからもうこの仕事まわってこないかもと思っていたのに。昨日とはうってかわって他の人が全然いなくて気が楽だった。私は現場に出たときなんかはどこか女という性別を消したい気持ちになっている気がする。もしくは隠す、か。無駄っていうか要らないんだよなあって感じ。女は必要とされていない、という空気を私は見出してしまっているのではないか。私が作り出しているのか?性別がなければいいのにと思うのか、どうだろうな。うまくすれば女だとバレないのでは?なんてことをどこかで思ってもいる気がする。今なんて髪は短いし、フリースにジーパンにスニーカーで声を発しなければ男だと見なされないだろうか、女がいるとは思われないのではないか、と期待しようとしている。でもそんなの無理だ、と自分で否定する。そう思ったとたん自分から自分が女であるにおいがたっているような気がしてくる。自分の体には男としてのつくりがない、硬く直線的な太さや重さや低さがない。自分は未熟な半端者としてしか存在できないような、認知されないような気がするしそこにおさまっていることで身の安全が保障されるのだという気もあると思う。外に出るとはそうゆうことだ。

帰りに寄ったスーパーでサーモンのお刺身が8切れで398円、うわ、いますぐ食べたいと思ってとりあえず帰ったらすぐ半分食べて残りの半分を夕飯にあらためて食べようと思って買った。でも4切れ食べたら意外にもおなかがすいていたので結局そのまま8切れ食べた。17時くらいに。ささやかにタガの外れた感がある。ほんとささいなことだけどこうゆうことがなにかあやしいサインに思える。ふだんなら絶対しないことだから。

BUSHBASHのyoutubeチャンネルで公開していた平野太一さんの「STANDARD」を見た。東日本大震災福島第1原発事故後のデモの活動を追っている。ECDさんがあちこちに映っていて、その体で存在がすぐにわかることはとても印象的だった。最後、新宿に見せた姿がそれでも毅然としていた。こないだ見た川崎の公園で行われていたヘイトデモとカウンターの人たちのやりとりもそうだったし他でもたいがいそうなんだけど、そこにいて叫んでる人たちのほとんどが男性であるということ、そのことが率直にとてもこわいと思う。それは男たちだからできること、していることであって、なんて異世界なんだろうと思う。警察、公安、機動隊もみんな男。これは男たちの物語なのか?これらのふるまいが男らしさとでも?政治をするものが女ばかりだったらこれらもすべて逆転しているのだろうか、それはやっぱりどう考えてもおかしいことなのに今の現状に慣れきってしまっていることのおかしさをどう捉えたらいいんだろうか。

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