今日も出勤。とはいえ午前中でっていうか11時くらいまでには終わる。来週はあさいさんだけいく現場がいくつかある、それ以外のつくりの仕事などは一切入ってきてないしこの先に連休があることを思うと普段でも連休中に仕事が入ることはないわけだし、もう私はずっと休みになるのかもなあ。まあ漠然と5月には仕事がどうなるのか、という不安はある。今月やってた仕事ってほぼ1社からの仕事だけだったわけで、そこからの仕事が継続的にあるかどうかはわからない、それが常であったし満遍なくというよりはばらつきがあるのが当然だったし、と思うともともと先の読めない仕事はますます読めたもんじゃない。だからまあそれよりもっと先のことを考えていきたいというのが今のところだ。あさいさんとはもしこの先仕事が全然ないようならアルバイトでも探しますって話をして、それを出稼ぎに行ってくると言って笑って話したりしている。まあそれで会社がなんとか残せておけたら1年後2年後にも続けていけるのかも、そうできたらいいのかなってところだ。イベントや学会がわかりやすく大きく稼げる仕事だったことは確かで、それらはつまり人がたくさん集まる機会のことだった。それらが以前と全く同じように開かれるようになるのは簡単なことじゃないんだろう。徐々にといったって様々な規制やルールが発生してくるかもしれないし、もしくは全く別の形を取るようになれば今まで必要とされていたもの、仕事は消え去るのかもしれない。この先、人々がどのように集まるという形をとることになっていくのか、それは自分が行くライブハウスや映画館や美術館でもそうだけど、実践しながら様々に模索し変わっていくのかもしれない。必要とされる仕事は変わるのかもしれない。すぐに全くなくなるとは思えないけど、すぐに同じになるとは思えないし、同じであり続けたらむしろそれの方が怖い気もする。それは例えば震災後、原発事故後の状況と通じるのかもしれない。社会はどう変わっていくのか、そして自分はどう変わっていけるのか、それをちゃんと自分の感覚で掴めるようには気をつけていたい。

夕方aちゃんと電話して色々と詳細を聞く。自分には感謝されるようなことも謝られるようなことも一切ないと思う。私は結局なにもわからない、わかっていないにすぎない。ひとの苦しさや辛さや大変さなんて、どんだけ思いはせようとしたって離れて暮らしていれば切り離された世界に過ぎなくなる。私はaちゃんの苦痛を理解しようとしながらも周縁でわあわあとまるで大きな手ぶり身ぶりをして騒いでいるに過ぎないと感じることもあった。なんの助けにもならないだろうと、この一瞬だけのごまかしにしかならないだろうと。そんなわき出る虚しさにどれだけ真実味、現実味を持たせられるのかといえば、ゼロのような気がした。離婚を考えたい人に肯定も否定もできないと思う。