朝、目が覚めると体がすごく重たくてなにごとかと思う?何かあったっけ?と思うと、昨夜寝るのが遅かった、最終的に1時半くらいだったか2時半だった。でもそんな睡眠時間が短いくらいでこんなんになるのはおかしい。ぐだぐだしながら7時半ごろには布団から這いずりでる。うーんおかしいと思いつつ朝ごはんでも食べれば違うかもと食べてみたけどやっぱりだるかった。床で20分くらい寝てた。ようやくそれで少しスッキリ。BS1で見たオーストラリア制作のドキュメンタリー「中国と闘う風刺アート Badiucao」がけっこう番組然としてて面白かったな。ドキュメンタリー番組はとにかく日本語タイトルがこれでいいのか?っていうのが多い。どうゆう誰のセンスでつけてるんだろうなっていうふしぎがある。あとエストニアフィンランド 制作のエストニアソ連から独立してからの政府の歩みを振り返る的な番組も見たが、ルーブル札を密かに外国に売りにいったという話とかすごい。86年生まれの私からすると自分が生まれている年月の話ではあるのに自分は全くそんなことが起きているなんて、世界があるなんてなにも知らないでいる時にしかし起こっていたことなのだということがソ連崩壊に独特のスリルを感じるような気があるかもしれない。アーシュラ・K・ル・グィンの『世界の誕生日』を読み始めている。ル・グィンは闇の左手を読んでまだこれで2冊目だが、あーわーやっぱりすごい。やばい。追いつけないけど引き込まれる、のみこまれるっていうか、引きずり込まれた先でもう出られないようのみこまれているようだ。しょっぱなの「愛がケメルを迎えしとき」から、あ、ケメルって闇の左手でも描かれたアレのことか、と記憶を探る。次の「セグリの事情」ではより濃く男や女の性別的役割が描かれている。こうも書かれてしまうと衝撃を受けざるを得ない。そういえば日曜美術館オラファー・エリアソンやってるのもちらっと見たな。父親からの影響が大きいらしい。テレビを通してみてもわかりやすくキャッチーで、光や色が人をひきつけるだろうと思う。メッセージも広く、それでいて個別に受け取ることができるのだろうと思う。今期の朝ドラは決して悪いわけではないと思うがなんだかちょっと今の時世とかけ離れすぎてしまうというか、楽しんで眺めみることができないような気がするのに比べると大河ドラマは久々によく見ようとして見ている。登場人物たちとその地勢やら勢力図やらの理解に追いついていこうと必死になれるからだろうか。明智光秀はいつになったら主役然としてくるのか?とか。岡村隆史がでてきたところでは流石に超現実フィルターがかかってうわ…とさめざめして見ないわけにはいかなかったが。まるでテレビばかり見ているようだな。なんか映画を見る気とかはあまりなくて、1時間のドキュメンタリー番組を見るのがちょうど良い。昼間もまた異様に眠くなったし、夜も早々に眠くなり、ついに寝てばかりの人になっていきそうだ。それにしてもここ最近ぱったりと安倍首相が顔を見せなくなったのが不思議でたまらない。なにしてんのかな?もう何にもしてない方が自分の支持を下降させないだろうという方に転換したのかな?とか思ってしまう。とりあえず家にいるのかな?ということは想像させてくれているが、なんか違くない?って気はしている。なんかほんとに首相なんだっけ?責任を取らないと言う人、実際これまでにもとっていない人、が首相だということは決定的なおかしさだと思う。責任取らない人が首相って、それを支持するって、私にはできないことだ。

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