出勤だが少しのつくりをしただけ。朝一応お昼持参すべきかを聞いたら昼前には終わると思うから昼はどこかで食べようと言う。12時前に会社をでて、コメダ珈琲に行ったら休業していたのでデニーズに行った。ちょっと前にも来た気がするけど、客はそれなりにいる。でもいつもならほとんど埋まっている席が間隔をあけて案内されてるのもあるとはいえずいぶんスカスカだ。結構広い店舗だし、拡張した方の部屋は完全に閉めている。店内に流れているクラシック音楽がこんなにもはっきりとよく空間に響いているのを聞くようになるなんて、奇妙だなと思う。デニーズだけど、デニーズじゃないような感じがする。ここにはよく来ている。店員さんの顔や声もすっかり覚えている。でもなんだか空間が広すぎて、空間の間があきすぎていて、風通しが良すぎて、デニーズじゃないみたいだと思う。不思議に浮遊感がある。見えているのに見えていないような気になる。いるのにいない、あるのにないような。感覚が狂うのだ。帰りにビバホームに寄ると言うので私はスーパーに行ってベーキングパウダー探しをしたがやはり完全に売り切れていた。今一番買えないのはベーキングパウダーじゃないかな。とにかくどこに行っても買えない。明日からはもうずっと休みだ。来月からは給料減るなーと思うと、どうやりくりしていこうかな。貯金を減らさないようもらえる給料内で完全に納めようとするのか、貯金を減らすのを恐れないか。3月からファンドの貯金額を増やしたのってそれってどうだったんだろうなって感じがするのだが、まあ貯めようが貯めまいが同じなのかな。なんのために貯めてるわけでもない。こないだふいに私が生きててあとすることと言えば死ぬことくらいなんだなと気づいた。コロナウィルスで死んでいく人々のことを思うととてもかわいそうだと思う。それに比べると私にはやるべきこともないんだから、そう、あとは死ぬことしかないんだなとくっきりとした風景を目にするようにしてわかった。そこに特別の悲しさも寂しさもなく、まあそんなものだよなと思っている自分というのはとことんつまらない人間なんだなあと感じる。しょうもない。しょうもなくても生きてしまうということなのだ。それを私は自分でどうにもできない。なんか他に書きたいことがあった気がするのにすぐに忘れていってしまう。こんな日記続くのかな?どんどんリアルな糞としての形をしていきそうだ。

MUSIC UNITES AGAINST COVID-19にようやくお金を入れた。タワレコの?ライブハウス支援もなんだか始まったようだが。リキッドやだぶだぶはそっちには名前があって安心した。あちこちにお金は入れたいが、今はまだ自分の給料もどうなるかわからないところがあってちょっとずつ入れていくしかできない。本当はもう少し入れたいが、ちゅうちょする自分、でも場所がなくなってしまったら自分がお金を持ってる意味もなくなる。貨幣の価値を決めているのはじぶんでもある。でもほんとどんな額であろうと自分が支援できる金額は限られていてこんなはした金で支援になっているんだろうかと心配になってしまう。今まで何度も思って繰り返し確認してきたことだが、私は高校に行かなくなって辞めて勉強やなにかしらを学ぶ機会を失ったぶん、ライブハウスに行くことで学べたものがずいぶんとあったと思っている。それを自覚できたことが救いになっていたと思う。自分には知っている世界があるということが、潜めた自負にきっとなっていた。同時に自分はみんなが高校時代という中で得てきたものを持っていなくてそれには常にヒヤヒヤしていたとも思うけど、でも、そんなの羨ましがるもんかと思うこともできた。ライブハウスがこんなにもずっと長い時間開かれていないということは、すごくショックなことだ。

MUSIC UNITES AGAINST COVID-19

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