今日からしばらく休み。仕事はない。ネットフリックスでマリッジ・ストーリーを見た。こうゆう離婚ものは見ていて最初からつらい。最初がいちばんつらい気持ちになる。離婚に限らず、まず冒頭から別れるカップルでも。エターナル・サンシャインとか。好き好んで結婚ということまでしたはずの二人が、それはもうすっかり過去、変わってしまった現在の対比がなんて無慈悲なんだろうと思われる。ワンカットでスカーレット・ヨハンソンがしゃべり続けるシーンが印象的で、歩き回ったり部屋の奥、姿が見えなくなったりしてもカメラは決して追わないでただ見ているというのがちょっとざわつく奇妙さと、まるでただ見ている自分になるかのようでもあった。アダム・ドライバーとの喧嘩のシーンでもそれがあったような。アダム・ドライバーって誰かか何かに似てるって感じするんだけど、誰でもない気がする。ふたりともよい髪型をしているなと思う。すごくアメリカの物語って感じは強いのに、でも世界中どこにもいそうな登場人物たちのキャラクターだったりまたその事実として共有されうる心情や感情だったりが描かれているのがおもしろかった。ネットフリックスはあさいさんが入ったからそれで一緒に見れるようにしてもらったのだ。もともと私がaちゃんからその仕組みを教えてもらって、そんなに見るわけでもないのにひとりで金を払うのはもったいなくていやだったけど、じゃああさいさん家と共有することにして半額分を給料天引きにしてもらおうと思って提案したら会社の福利厚生としてのネットフリックスになった。ヘッドホンをして見ることで眠くならなければずいぶん没入できるというのはつまりずいぶん聴覚に引きずられるようだ。

夕方aちゃんと電話で話す。ただでさえ、普通を装っていたってさえ日が暮れてくる頃の不安というのはやってくる。カーテンを閉めるという行為に普段ならかき消されている、ただ外が暗くなったから閉める、という以上の意味みたいなものが付与され始める。私は毎日それにびくつく気があるが、気にしないようにしている。また明日明るくなれば開けるのだからと思って。そんな話などする。んー、入院先の先生や看護師やカウンセラーさんたちの言うことの、医療者としての正当性と、そうではない、世間一般に照らし合わせたときの正当性みたいなものの判別があるのかどうかは私にはつけられないが、私は後者を疑っていたいよなあと思う。結婚という制度において一体なにをするのか?というのはよく確かめられなければならないのでは?と思う。女はそこで役割を果たすものなのか?

糸井重里があいかわらず気味の悪いことを言っているようでわけがわからん。大学生の頃だったかにほぼ日手帳というのがロフトの手帳売り場などで売られていて、その値段とそのお節介が過ぎるような分厚くてこてっと脂の多いような内容に驚き、私はこんなの絶対使いたくない、というそうゆう時に私の中にある反骨心というか反抗心というかがむき出しになるのだが、そうゆうさも良い提供という体裁をとりながら値段が高いというのがなんだか気に食わなくて(2500円とかそれくらいの値段だったかも、千円程度のものしか買わない身にはその値段がすごく異様に思えた)、その時かなり敵意をもったのを覚えている。毎年手帳売り場で見かけては、けっ、こんなの買う人の気が知れん、くらいのことは思っていた。だが、いつだったか友達がそのほぼ日手帳を使っているのを目撃してしまった。あ、こんな近くにいたんだ…と思った。その時、自分が気に食わないと思ったものを愛好してる人はわりとすぐ近くにいたりするんだ、ということを思い知った気がする。でもなんか複雑な気分だった。別に誰かが使ってること自体は私には関係ないし、好き嫌いは自由だけど、どうも私にはあの手帳は悪徳なもののように映っていたんだよなあ。私はあまりお膳立てさせられてるもの、誘導させられるようなものが苦手だからだろうか。まあそんな感じで糸井重里に興味を持つことってほぼなかったんだけど、近年の言動のあやしさで自分がほぼ日手帳で最初に感じ取った違和感はおかしなことじゃなかったのかなという気がしている。好きな人は好きなんだろう、それいいだろうと思うけど、それでももやもやしてしまうほどのものはある。

カードの明細や家計簿を見つめていたら、来月から給料が減っていくのを考えると家賃の占める割合がでかくないか?ということに気づき、もっと家賃が安いところに引っ越すべきなのかも知れないと思いよく考えなければいけない気がしてきた。うわーーー、と思って、引っ越すならどこか?どの沿線か?まで一気に考えだす。もともと都内に住んでるのって、住むことにしたのってライブや展示や映画館に行きやすくいるために、というところがそれなりにあったから、今のこの状態では結構ここに住んでる意味合いが薄くなっているのは確かだ。それは住む場所を選ぶのにかなり考慮したことだ。まだこの先がどうなるかがわからないとはいえ、以前と同じような頻度で足を運ぶことは少なくなってしまうなら今より家賃の低いところ、不便なところに越すべきなのかもしれないなとは思うところだ。もっと引っ込むなら40代になってからかなあって、40代になったら今と同じほどに出かける気はうせてるだろうなあというのは予想していたのだがそれも前倒しだろうか。悩ましいな。8月に更新があるから、あと2年は住もうと思っていたものの、来月再来月の仕事の感じで考えざるをえないかも。引っ越すのも金はかかるわけだが。うーん。まあ貯金を減らすとか、趣味や教養や文化やお洒落やなんやかんやのものにお金を使わなければここで暮らしていくことはできるだろう。でも、それらをやめてまでここで絶対暮らしたいということはないのだと思う。稼ぐお金を好きなもの、欲しいと思うものに使えない苦しさに陥るくらいなら引っ越す方が精神的に良い気はする。ここの利点はあさいさんが近くに住んでいるということだが。何かあった時に頼れる知り合いがいるかどうかは大きい。それを手放すのは惜しい。しかしそれさえも仕方ないとは言える。

チェルフィッチュの去年の公演が24時間限定で観れるというので観てたはずが途中で寝てしまって時間切れた。自作したフォカッチャが微妙になんか違うまずさ。お昼に鶏がらスープとナンプラーで味付けした汁にそうめん、きゅうり、みょうが、スナップエンドウごぼう蒸し鶏のサラダをのっけてどうなるかよくわかないものが素直に良い味になった。夜ご飯にずっと作ってみようとは思っていた蒸し鶏のチリソースを作ったら美味しかった。

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