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黒の麻のパンツのポケット口にしていた刺しゅうをやり終える。やりずらかったとはいえ、色々と下手だった。でも洋服にする刺しゅうはまじまじと見られるためのものではないからそれなりで良いのだ、と思っている。パソコンで映画を動画を見るのは苦手で、そもそもじっとしているなんて苦手でだから強制的に見る体制に入る映画館が良いんだし、読書の集中力もつづかない、家にずっといるぶん掃除をこまめにするとかご飯を作るとかはめんどくさいというより普通に当然のことになっていてリズム化されているが他に時間を潰すという行為としては刺しゅうはうってつけの作業だと思わされる。あともっぱら花の写真を撮ることで時間は失われる。今年に入ってくらいだったか、しばらくずっとやってなかったインスタを時々更新させている。インスタはインスタだけで繋がりのある人たち、その人たちはなぜかどこかの時点で知り合った大抵浅い付き合いの人々になるのだが、インスタはイメージメインの関係性だからこそその浅さが成立するんだろうという感じがする。最近はもっぱら花の写真をあげている。インスタは1枚ずつを横にスライドして見ていくから、それはページをめくるのと少し似る。もともとシークエンス写真が好きだから、そのように見ることができるように思う。

あさいさんからメッセージが来て、明日は銀行等に行ったりいろいろあるので休みにするとのこと。せっかくなので持続化給付金は申し込めそうか、つまり先月の売り上げは前年同月の50%減になったかどうか、雇用調整補助金は使うのかどうするのか、などを聞く。4月の売り上げはなんと去年の50パーセントをいくらか上回ったのでまだ申請はできない、するなら今月の売上になるという。まじかー、と思って、まあ今月でいけるだろうとはいえ、去年の4月も売上が大して高くなかったから5割減にならなかったのか?など思う。まあちょこちょこは仕事あったからなあ、でもほぼほぼ半分なのだ。雇用調整の方は申請方法など見たが、ややこしさが半端なくて見てるだけで気持ち悪くなりそうだった。上限額を上げるという話もあるし、良いように使えるなら使ったほうがよさそうだが、計算がややこしい。私がやるんではないが、そもそも雇用主が休業補償を払うかどうかを決めるわけだが、いくらか下げたうえで給料はもらうことになっていて、そのためにも私も企業支援のことはわかってないといけないとは思う。思わざるを得ない。アーティスト、ミュージシャンなどがほかのこと、仕事なんてできないんだから、みたいな話はよくわかる、そうだろうと思う。同時に、私みたいな人間もまた大人数の会社で働くことなんてできなくて、あさいさんと、何かと手伝ってくれるあさいさんのお父さんと、経理などやってくれるeさんと、加えてこないだ離婚して実家に戻ってきたあさいさんのお姉さんも仕事がみつかるまでのあいだアルバイトでうちの会社で働くことになってすっかりあさい家とわたしという特殊な環境になっているがでも私はそうゆう場所、環境だから働いていられるというものだと感じている。この環境がいやだと思うことはそれなりにあるが、かと言って他でやっていけるかと思うとぞっとする。何かと自由だとは思う。その自由さはいろいろなものと引き換えだとも思う。それでも私は自由さを選ぶしかないし、選ぶべきなのだと思う。それでようやく生きていける。けれどそうでしかないそれゆえに?弱いのだろうか。ないことに、見えないことにされてしまうのだろうか。選別され、いないも同然になるのだろうか。無数にいる人々のことが私もわからない。誰が知っているの?私たちなんて見えないも同然だろう。自分の給料から引かれる税金や社会保険料、年金、払う消費税、それに加えて会社が取られる法人税を思うと、あさいさんと私で働いて稼いだお金が一体どんだけとられてしまうんだって思ってやるせなくなる。それは一体なにになるんだろうと思う。ただそれは払わなければいけないから払われる。抵抗もせず、できずに。でもそうやって存在している。そんなひとつひとつはいとも簡単に見えなくなって、消えてもなにも日常の風景を変えたりしない。それでいいのだろうとも思う。少し前、会社の近くにあった工場が夜逃げをしたのだとかいう話を聞いた。しばらくするとその場所の古い建物は取り壊され、今は新しい建築物が造られはじめている。私はいつもそれを車窓から見つめている。またそのすぐ近くのデザイン会社だかは経営が悪くなって多くの従業員を解雇して、10台以上とめられた駐車場を売りに出したのだという。その土地も今ではコンクリートまで全てはがされたのち、すでに住宅が驚く速さで日々建てられている。その通りは交通量は少ないとはいえ重機や資材運搬の車で混み合うので、私はやはり車窓からまじまじと建てられていく住宅を、働く人々を見ている。これらの変化は周りの変わらない風景に囲まれて、いっときの騒々しさ。何かはかつてあって、今は違う。今はもうない、というよりはかつてあった。その場所がある限りはかつてあった、というほうがしっくりくるような。

昼ごはんはこれはなんだったか忘れたけど鶏がらスープと酢などで味付けたような気がする。

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