仕事は休み。昼間ずっとラジオを聞いていた。ジェーン・スーの生活は踊るの相談コーナーが、20代だったか30代だかの男性から婚活パーティーで女性ウケする服装を教えて欲しいという内容のものだった。それへの回答の内容、会話が私にも目から鱗みたいな感があった。まず大事なのは清潔感って話だったのだが、前提として女性と男性の清潔感には大きな差があるというのがそうか、よく考えたらそりゃあそうだと思った。はたちくらいの頃にだったか、世の中はどうしてきれいな女性の方が多くてその数との落差がある男性が多いのか、この不釣り合い具合はなんなんだ?と思っていた。自分が女だから女性がスキンケアから美容や化粧にかける時間、手間、お金のかかり方は幅はあれど察しがついていて、10代の頃なんかは女ばかり金がかかるなんて最悪だ、男に生まれたかったともそう言えば思っていたもんだけど、まあだからこそ女性の多くはきれいなのだ。清潔感なんてわざわざ口にするまでもないこと、当然というより普通すぎちゃってわざわざ意識することもないような。日本人女性は毎日きれいに身なりを整え過ぎ、欧米人とか全然そんなことないみたいな話を前にツイッターで見た気がするけど、まあそれも結局個人によるのでは?って気がしてしまう。確かに女性がきれいさや可愛らしさ、整った身なりを求められてる大前提はあると思うし、特に職業においてそうゆう要求がありすぎるのはおかしいのだけど。でもそういった装飾性への対応は個人間の差が出るにせよ、女性の清潔さへの心配りは男性に比べて圧倒的に高いだろうと思う。それが誰かに好かれるためなのか、人に受け入れるためなのか、自分のためなのか、どれかひとつと言えるものでもないだろうけど。男性がなぜ女性ほどには無頓着でいられる人が多いのかは謎だ。でも明らかに差はあるし、大きいもののように感じる。清潔感と言っても、果たして女性のいう清潔感と男性の想像される清潔感とはずいぶん隔っているのかもしれないと思うと、宇宙規模の話のように感じられてしまい、清潔感を共有することの無限さを感じた。多くのお金をかけずともそれなりでもスキンケアしたり髪の手入れしたりなんだりとあれこれ手をお金をかけてる女性たちがきれいで可愛いのはそりゃあ当然のことだよなあとしみじみ思った。それは褒められて然るべきだなと思った。スーさんが、女性たちが男性たちと同じレベルのまま街に出たら大変なことになる、みたいなことを言ってたのがおもしろかったな。そして男性は記憶に残らないくらいのみんなと一緒の服装でいい、という話になるほど、と思った。男性もスキンケアとかすればもちろんきれいになるのだろう。みんなやればいいのに、と思う。もちろんやらない自由もある、性別関係なく。

新聞で新しく始まるドラマの解説を読んだら、アラサー独身女性、仕事はできるが家事が苦手でおじさん家政夫を雇う、みたいな内容で、おえーと思ってしまった。別に内容としてそうゆう設定はまあいいかなと思うけど、そんなんがドラマの大きなテーマ設定となっているのが、おえー。これがアラサー独身男性だったら仕事はできて家事は苦手、でも大した話じゃないとされるのではないか。女性だと仕事はできても家事ができないのでは恥、仕事ができる代わりに家事はできないというみじめさ、みたいな感覚ほんといやだよ。仕事ができるんだからそれでいいじゃん、その稼いだ金で家政婦でも家政夫でも雇えばいい、それがいいじゃないか。それの何がどこが悪いんだろう、わざわざドラマの設定として大々的にうたうことだろうか。女は仕事ができるより家事ができた方がかわいい、みたいなのはつまり男に都合がいいってことだろうと思えてしかたがない。まあドラマ実際に見てはないからこんなこと言うもんじゃないかもしれないけど。愛の不時着のユン・セリは家政婦雇ってるのなんて当たり前過ぎて登場すらしなかった。