18時からROVOの配信ライブを見た。昨晩、kさんから一度売り切れたチケットがまだ売ってるよって連絡もらって行こうかどうしようかすごく迷ったけど今週は体調悪かったし、アウトドア装備は経験上もってないし、山道含めて片道2時間以上の道のりがちょっとこわかったしというのもあってあきらめたのだった。すごく行きたいという気持ちと、不安な気持ちがもやもやとした。まあ正直いって色々心配に思う、どうなんだろうと思う点は前々からあった。それはROVOを見にくるお客さんがどこまで自制ができるのかということであり、また会場自体どんなふうに用意され、どんな体制で見るようになっているのかということは気にかかっていた。でも、一昨日にあった山本さんと勝井さんを含む配信トークをいくらか見ていたのだが、そこで聞くおふたりの言葉を聞くともちろん心配や不安もあるんだけれど、それでもやってみようという決定がなされたんだということそのことの重さをすごく感じた。山本さんは率直に本当は明後日のライブはどうなんかなあと思ってる、でも見にきてほしいけど、、と言っていて、ツイッターでは東京に行くのは大阪で周りから反対されたとも言っていたとか、そりゃそうだよなあとすごく思う。よく来たよ、山本さん。勝井さんもそれにこたえて、それはもちろんそうだと思う、あそこで実際にライブやったことあるのは自分だけで、他のメンバーもそれぞれに思っていることは違うと思うと言っていた。勝井さんだってこの日の会場の渋谷に来るのだって本当は嫌だったみたいなこと言われていた。このやりとりはすごく重たく聞こえたし、同時にそうゆう関係性が成り立っているのがROVOなんだなあと泣けてくる。ただ勝井さんは結成時から普通のライブハウスではやらない(だからみるくとかでやってた)とか、続けてきた野音のMDTfesをあげて、自分たちはそうやって新しい場を作ることでやり続けてきた、だから今回もこれからの新しい場所を作っていきたいんだというようなことを言っていて、ああそうかそうかそうなんだと思うとすごく納得できてしまって、だからあえて率先してチャレンジをするっていうことなんだと思った。それが自分たちのやることなんだろう。自分たちのことだけを考えての行動じゃないんだろうなと思う。いろんなやり方がある、いろんなやり方を模索していかなきゃならないこの状況で、その中で自分たちがまずやってみる形という提示なんだろうと思う。ああすごい覚悟と意識をもっての今回のライブの提示なんだと思った。だからこそ、配信を見て、一部の観客の人たちのふるまいに動揺したし、すごく悲しくなったし、悔しかった。私は泣いた。泣いてはじめてああ私ってROVOのことほんとに好きなんだな、好きすぎてやばい人なんじゃないかという気がしてきた。でも実際好きすぎるっていうか、配信のトーク見てるだけでもなんだか勝井さんや山本さんの心情をよく察してしまう気になってたり、言ってることをましましで大頷きするような気になってたり、それはいつからそんな気になれるようになってたのかわからないもんだけど、でももう自分の中には自分なりの解釈する文脈が出来上がってしまっているくらいのものはあるのだ。まあ中でも発言をよく目にしやすい勝井さんや山本さんと芳垣さんはよく見てきてるから。自分なりの経験と解釈を私は私でやってきた。それがある意味ものすごい形で、まさかこんな形でありありと発見することになろうとは、って感じだが。私はROVOのスタッフ含むみなさんをファンとしてがっかりさせてしまったような気がして悲しくもあった。すげえ思い上がりだなって思うんだけど、でもそれが率直に湧き上がる思いとしてあった。野音とか、ただでさえやるリスクはあると思うのに、加えてコロナ禍の新たなリスクを背負ってまで開催したこの機会を観客側は同じようには受け取めていなかったのかなと思う。画面に映っていた一部の人たちはしかし配信で見てた中にもきっと一定数いるはずの姿でもあると思うし、たとえマスクをつけて距離をとっている人にしたってその共有するところはまだすごく曖昧でバラバラなものなのかもしれない。そうゆうこと、それは自分の中でも事前に心配に思っていた面でもあるし、それらが実際の課題であることを知った。うまくまとめ書けないのでツイッターで書いたことを貼っておく。

 

アンコール後にもまた野音じゃないんだから、と言ったその言葉に笑う人もいれば笑わない人もいる、それくらいなにかを判断するのには幅がある。それを一律に足並みそろえることなんてできないと思うけど、でも、共有するものを作っていかなきゃならないのだろうと思う

 

私は仕事がイベントとか人が集まる場所に関わるのもあって、ライブとか大規模イベントでどうか多くの感染者が出ませんようにと願ってしまってるので、配信で見ると正直ライブの内容より個々人がどのようにふるまってるかにすごく気がいってしまったような気もする

 

私は野音ROVOではいつも後ろの方の座席でしか見ないから、そこまで悪い身ぶりの人を近くで見てない。でもそうゆう人もいていいし、許されうる場であると思ってる。私は飲酒せずに楽しみたいし、飲酒して楽しみたい人もいる、裸になりたい人もいてシャボン玉飛ばしたい人もいる

でも中には客がひどいからと来なくなる人もいる。私はたまたま直接的に嫌な思いをしてないだけなのかなと思う。でもその客層の幅を最低限のルールを示したバランスで維持していることにMDTfesのすごみを感じるようになった。ROVOはただ演奏だけしてるんじゃない

横浜でのワンマンは金曜で横浜で20時からだからなのか、どうかわからないけど、野音や他でのワンマンとはまた雰囲気が違う。それもまた違う場のひとつだ。そうやってそれぞれの場を作っていくために、続けていくことで立ち現れる場の唯一性をROVOは大事に大切にしてる、そうゆう精神を感じている

今回のライブフォレストもまた新しい場への挑戦だと思う。いつだってそうだと思うけど、新しい場を作っていくのには観客が関係するところも大きい。それがつまり野音と同じじゃないってことだと思う。同じじゃないってことを、悲しくても悔しくても受け止め、受け入れなきゃいけないと思う

マスクすることや距離を取ることを軽視するのはかっこ悪いと私は思う。でもそんなの気にしない人もいる。でもここの場では気にしようよって思う。新しい生活様式だからとかじゃなくて、それが私たちの今を生きる生き方として共有されるものとして、生まれ、作られていってほしいと思う。私はそうしたい