4ヶ月ぶりくらいにここを開いたのか、いや、書かなくなってしばらく放置してて日記を書いてそれを公開しているなんてことがあまりにバカらしく思えていやになって気持ち悪くて仕方がなくてそれでもう閉じておこうと思ったのはいつのことだったか。そのとき、よく考えたら春先頃から自分の日記は気持ち悪かったような気がした。コロナの春だったころ。そう、ほんと、日記を書いているなんて気持ち悪いと思って、やめて、書かない生活はせいせいした気持ちになった。書かなきゃいけないなんてことから解放されて、書かなくていいということに気楽な気持ちよさを感じた。なんにも残りやしないということに、気楽だった。それで少し前からまた少しくらい書いてもいいかもと思い始めた。結局何も残らないことに惜しさを感じるところに戻ってくる。

今、2、3日前からハマってしまった曲。ヘッドホンででかい音量で聞くだけで救われる気になる、最近は。2、3年前くらいからか、ライブハウスの音量を物足りないと思うことが増えた。もっと耳が痺れるような音量で音圧で聞きたいと思ってしまうことが。でもそのバランスは実際は難しいんだろうとも思う。でかけりゃいいわけじゃないのはわかっている。耳がいかれてるのかもしれない。でもやっぱりライブハウスで聞きたい、今はそれが簡単にかなわない、だからヘッドフォンで満たされてる。この曲で水谷さんがウッドベースを弾いてるわけだが、自分でもびっくりしたけど最初に聞いたときから水谷さんが弾いているのをイメージできたのだった。もちろん先に情報として水谷さんの名前を見ていたけど、水谷さんの演奏するイメージが沸き起こったことに、ああそうゆうことを自分は記憶しているのかと、驚いた。すごくいい音として存在しているよな。すごい。秋元さんのドラムもすごいので驚く。ハイハット最高だな。やっぱハイハットで世界がぜんぜん違うな。


秋元修 - GPS (差異/現在地 ver) feat. 谷王 a.k.a 大谷能生, ermhoi, with 入江陽, 水谷浩章(from Tipographica)Akimoto Shu

 

昨日は仕事休みで昼に美容院に行き、原美術館、TOKASへ展示を見にいったあとピットインへ芳垣さんの2days2日目を見に行った。初お披露目のグループ、Time & Space、メンバーは芳垣安洋(Ds,Per)Izpon(Per)岩原大輔(Per)太華(Human beat box)マシータ(Ds)阿部篤志(P)ということで芳垣さんとIzponさんしか見たことないと思ったけど岩原さんは前にこの人めっちゃ良いけどなんて名前の人なのかわからんと思った人だった。ここの3人は最近シシドカフカのグループで一緒にやってるんだなと納得。そしてマシータさんは最後の最後にわかったけどNATSUMENビークルで叩いていたのか、そうなんだ、芳垣さんが昔はよく対バンしてたみたいなこと言ってたの、ナツメンの方だと思うけど、それはそれで時代を感じる。昔スペ社でやってた梁山泊っていうアルタで収録しているといういとうせいこう乙葉が司会してる音楽クイズ番組にビークルが出てた回になんなんだろうこれという衝撃を得たことを思い出した、もうそれ私が15歳くらいの頃だと思うけどいまだに覚えているから、何に衝撃を受けたのかわからないけど釘付けになったんだろうと思う。何回でも思い出せるな。どっちかいうと1部のセットの方が良かったかなって気はするけど2部はあえて1曲通しという形、縛りでやったんだろうと思われ、その形式から生まれてくる音楽という意味ではもちろん面白かった。だけど1部の1曲目からちょっとできすぎなくらい良かったからなー。あれが一番好きだった。芳垣さんが冒頭に全部即興なんでどうなるかわかりません、失敗したら笑ってくださいみたいなこと言ってたけど一応芳垣さんが少しサインを用いて指示出したりはあった。まあそれはこの楽器のメンツならではなのかなと。しかし即興で、どうなるかわからない、失敗があるっていうことは成功もあるっていうことなんだろうというのが聞けたのは良かった。それは見る側とプレイヤーの側では違う判断だろうと思うのだがしかし共有しうることでもあるような、グラデーションのような。阿部さんのピアノがめちゃくちゃよかったな。この人は普段は繊細な音楽やってるんですよ、と言っていた。そうなのか、と思わされるくらいには色々なことをひょうひょうとやっていて、物理的距離では芳垣さんと一番離れているのにすごく察知能力が高いんじゃないかって感じがしたな。やっぱ芳垣さんのドラムと良いピアニストの絡みというのは良いな、私は好きなんだなと思う。そういえばチケット売りのとこの人も若い人に変わってた。

書き出したら思ったことあったこと見たこと全部書きたいとかなっちゃうけどそんなのは無理なことだ。むなしいむなしい。毎日むなしさとどうやりあって生きていくか、結局むなしくなるだけだ。何も残らないから。