よし、書こう書こうやっぱり書こうと思った、日記を。とりあえず今日したことを書こう。そんなことを歩きながら思っていた。いつの間にか、歳をかさねていくなかで、自分がどんどんますます空っぽになていく感覚がある。わかる。それは止められない。抗うこともないまま、そのまま空っぽに近づいていく。ならば以前は、若い頃には満たされていたのかというと、満たされていたのかもしれない、若さに、時間に、無自覚に。ひたひたと老化していく自分は存在が薄くなっていくようだ。自分に手応えがなくなっていく。どんどんどんどん諦めることを受け入れていけるようになる。悲しさにも慣れる。変わらず早く死にたいと思ってるけど、そういつだって早く死にたいと思っているのが自分なのだとすなりと受け入れられるようになっているいつの間にか。そうでしか生きられない。そう思っている自分でしか肯定できない。それははたから見たら独りよがりでみじめったらしいだろうか。そう見られてもかまわない。私にとってはそれを肯定しないことには自分を肯定できないことに気がついてしまった。その方が自分にとっては楽で、それによって他人とわかりあえないのだとしてそうなのだろうと思う。むなしくさっさと早く死ねるなら死にたい。死にゆく人が羨ましいと私は思ってしまう。それを否定することはできない。けれど他人からは否定されうる。それはどちらも自由に可能なんだろう。ただ思わせてほしいだけだ。そんな考え方をしているからみじめに感じるのだと言われるかもしれない。けれど私にはこれしかない。切って落とすことはできない。こんなことを自分で受け入れることさえどんだけの時間がかかったことかと思うと、到底他人に理解してもらおうとは思わない。だから誰かに言おうとは思わない。誰にもわかられたくもないということかもしれない。そのバリケード。わかられたくない。わかるなんて言われたくない。わからないままで、それでそのままで良いのに。そんなことあり得るだろうか?

晴れていた。午前中は窓をあけて日差しが部屋に入るのを楽しむくらいに。美術館に行きたいような気を持ちつつ、なんだか足がやけにだるい気がして無理だと思う。14時半過ぎくらいになってコクーンに行ってユニクロユニクロユーのメンズラインをいくつか試着してポロシャツを買った。レディースのピタッとした服がこわい。無印でハイネックのインナーと化粧水など買う。本屋でサイゾー探してたらユリイカの坂本裕二特集が残り1冊、平置きされてるの見たら書いたくなってしまう。サイゾー男性学特集とかで読んでみようと思ってたけど、買わなかった。図書館になかったっけ?ないかな。あと茨木のりこの岩波文庫から出てる詩集とあわせて買った。レジは混んでいる。ライフで少し買い物して、気づけば肩がぐったり疲れていた。スタバでいちごのチーズケーキみたいなのとラテ飲んで図書館で借りてるユリイカ韓国映画特集を読む。ポン・ジュノに関するいくつかを読む。18時半くらいになって急いで帰る。シャワー浴びてご飯作ってなんとか麒麟がくるに間に合う。最後のシーン、家康を安土城に呼んだ場での信長の光秀への嫌がらせがやばい。あえてここでやる信長、嫉妬が激しい。光秀はなんかいつの間にか信長のそうゆう拗らせの気持ち気づかなくなっちゃったの?って思わないこともない。21時からモーサムライブ配信Youtubeで見る。6曲くらいかな、渋谷パルコの地下にあるらしいクアトロラボというバーらしき場所から簡素なセッティングで、生々しい。なんかもうあれこれ笑えてしまった。映像が、あんな何が何だか狙ってるのかそうじゃあないのかわからない映像、この配信の時代に初めて見た。でもなんかそんな荒削りなのがモーサムは似合ってしまいもする。かっこつけてもない、まるで等身大の人間だなと思わされる。