情緒不安定気味なところで久しぶりsyrup16gを聞く。聞くと、それはまるで10代の頃とは違って聞こえる。私は何もわかっていなかったのではないか、と思わされる。今になってすべてわかるわけでもないのに、けれど、35になってみれば、15や16のころに聞いて見ていた世界はあまりに小さい。でもだからこそ全てがそこにあると確信することができたんだろう。きっと私は永遠に好きだと思った。その頃というのはあまりに安直に何かを断定してしまうんだ。でもそれはけっして間違ってなんかいない。それは今わかる。やっぱり、すべてがここにあると私は変わらずに思っている。私にとってのすべて、なんて安易に言っていいものだろうか、けれど安易に、というか、なにもいらないから、何も言いたくないから、ただそれだけ言ってそう言ってすべてを片付けてしまいたいのだ。ただはっきり気づかされるのは、この音楽が私にこんなになにかを感じさせ、考えめぐらせ、想像させ回想させて、言葉に残さなくちゃいけない、記さなきゃいけないと私の身体に刻印されているのだということだ。私が日記を書き始めたのは15のときで、それはそこにシロップがあった。シロップを聞いた発見を記したかった、その動機はたしかにあった、けれどそんなことずっと忘れていた。なぜだろう、わからない。でもそれは同期していた。私は記していた。私にとっての最大のインスピレーションもとなんだと、まさか20年たって気づかされることから逃れられないなんて、それは、まさか、まさかこんな年まで生きているなんて思ってもなかったことだ。