mちゃんからLINEがくる。私からしようかなと思っていたけど自分からはできなかった、それはいつもどうしても向こうはいろんな人とやりとりしてて忙しいだろうに自分がそこに入り込むことに対して抵抗を感じ、思い、持ち始めてしまう。所謂自分なんか、自分なんて、といった感覚、自分なんかが人に対して何か働きかけを行おうとすることそれ自体の肯定が私はすんなりとはできない。35にもなっても、いまだにそうなのだからなんていう強い癖だろうと思う。そんなの考えすぎだ、そんなこと言ってたら誰にも何も言えない、という思いを持つこともできる。そちらを強く押しすすめなければいけない、奮い立たせないといけないと常に揺さぶりをかけている。そうしないと何もできない。けれど、どうしても弱気になって自分を否定することを肯定することにたやすく傾いてしまう自分がいるのも確かだ。そのほうが自分にとっては自然で、当然で、気やすくて、安心する。自分を否定するということの正しさ、それこそが私の信奉じゃないか。そうだから、そっちの正しさに流れてしまう。自分を否定する正しさに安心している。まあなんか、それはそれで間違ってないと思うわけだけど、他人と拘ろうとするにはそれではいられないのだった。どうせだからとそれなりにそのままのことを書いて返信した。もう、なるべく自分を誤魔化したり隠したり偽ったりすることはしたくないのだ。自分の何かを隠した行為や言葉の理由を、わかった時点で出してしまいたい。なんかそんなんはそんなんで反動すぎるのかもしれないけど。でもこれまでがずっとあまりに自分の本音ではない、違うこと、反対のことを自分の本意として出しすぎてきたその後遺症のような、残された重荷がしんどくてしんどくて、もうやめたい、そうもう同じように繰り返したくはないのだ。

刺しゅうを進めた。久しぶりにギターを弾きピアノを弾き、手首が痛くなる。ピアノの楽譜を読むというのがほんと目に痛い。目で読んで手を動かすって、すごいことしてるな。ギターのコード譜は比べるとだいぶ楽だと思える。どっちもうまく弾けたらいいのに。楽しいんだろうな。どっちもたいしてできないまま。これは日記か?よくわからないと思う。書きたいと思いながら書けない。前とは何か違うとも思う。自分は何か変わったと思うけど、それを具体的にこうだどうだとは書けない。それは書けない。そのことを書くまでだ。