また虚しくなる。早く死にたいと思う。思うに、昔よりそう思ったり思わなかったりする行き来の回数は増えたように思う。ただ、その都度の期間の長さや深さが短く浅くなってた、波形にしたらきっとそれがわかりやすく目に見えるのだろうくらいには変わった気がする。

最初はきっとそう大学生の時だったんだろうなあ、それはその以前までは友達といった感覚がよくわからなくて、誰に使っていいのか、どんな人をそう呼んでいいのかわからなかったから、それが少しわかるようになってしまって、そのせいだったのかもしれない。気づけば、自分は誰かの一番ではないということにつらさや苦しさを感じるようになっていた。自分が相手を好きで、好かれていたくて、少しは好かれていると分かっていても、でも、一番に、最も、大事に大切にされる存在ではない、ではない、ということにすごくすごく胸が締め付けられて苦しくて、そしてそんな自分がみっともなくて恥ずかしくて、そんなことを思う自分が痛々しくて馬鹿げていると罵りたくなりながらも噴水のように湧き出てくる自分の感情を見て見ぬふりすることはできず、むしろ、そのこんがらがるような矛盾に矛盾を重ねていくような自分自身とのやり取りにどんどん足をすくわれていくようだった。そしてそれは恋愛関係における異性相手に対して持つものではなかった。恋愛においての感情にも似たものはあると思うけど、なんかそれはまた別物だ。それは恋愛という枠、フィールドにおいてなされるもので、それがいかにも恋愛という囲いの世界の話で。恋愛じゃなくて、自分はこの人とならよく分かり合えるのかもしれない、という希望を特に抱いてしまった相手に、なんだろう。でも何かのタイミングで自分はその人にとって決してたった唯一の人ではないのだ、その最上位にいるのではないのだということを見てしまう、気づいてしまう。そのことに、なぜか私はとても強くショックを受けて、そしてああそうだよね、そうに決まってる、そんな当然なことを自覚もせずひとり自惚れていた自分に呆れて、白けて、自分をさげすむことで、自分の愚かさのせいにすることで感情の乱れを収拾し納得させようとする。そうゆうの、きっと良くないんだ。今ならわかる。そうやって自分の気持ちを別物で覆い隠してしまおうとすること。でも何回も何回も強く繰り返しその方法をとったから、私はやっぱりいまだにその方法にすがってしまうだろう。良くないことだ。分かってる。でも私は他の感情の処理の仕方を知らない。そんな幼いような言い訳をするしかない自分に怒りがたつ。壁を感じるだけ。誰かにとっての唯一の人になるなんてことをどうしてそんなに、心の奥底で望み期待している自分がいるのだろう。そんなことを思っていること自体は普段意識もしていないのに、そうではないと否定を感じたときになって初めて自分の望みや願いのようなものがあったんだということに直面して自分自身びっくりしてしまう。勝手に裏切られている。どうしてそんな期待をするの。そんなのありえないんだからしちゃダメだって何度も言い聞かせたはずなのに、それでもやっぱりこの人には私より大事な人が親しい人が好きだと言える人がいるんだなと悟ってしまうと、急激に距離が生まれ深い谷が造成される。身の程をわきまえていないと、と急に自分に言い聞かせる。誰だってそう、そんな人はいない、私が誰かにとっての唯一の人になるなんてないのだから、だから私は誰しもを疑る。良いような心地よいような嬉しくなるような言葉をかけてくる人を信じたりしてはいけない、それは自分が傷つくのを見越してのこと。全部疑え。全部嘘にだってなる。誰かが私を褒めるのならそれは間違いだ。信じない。自惚れてはいけない、それが大事。ずっとそんなふうに私は自分をコントロールするために、うまく自分を使いこなすために、そうゆう方法をとってきた。それでもって私ができ上がった。私らしい私像。でももうそれが最近はつらくて、わからなくなる。もうこんなのやめたいよって思う私がいる、出てきたんだ。けれどもう今更、今更やめられないじゃないか。他に何も知らないのに。もう今更、この年になって何を変えられるだろうか。変えられない自分がどんどん強くなっていくのを感じている。塞がっている。後戻りもできない。