生理前で尻が重い。今週はというか今年か、になってあさいさんが現場に行くということもまだなくて、会社でふたりであれやこれやとつくりものをする日々で、このへんぴな不便な場所にある会社の中だけが世界のすべてで、すごく小さくて狭い空間しか目に見えず吸う空気も循環しているだけ、かろうじてラジオが外の世界を繋げているけどなんだかそれも物語としてのお話が流れてきているようでもある。昔はこの小さい世界がいやだった。抜け出したかった。こわくて。でももう今はまあこれでもいいかって。そうなってしまったのは悪いことなんだろうか、つまらないことなんだろうか、希望のないことなんだろうか。そうなんじゃないか?って疑りは自分の中にあるんだ、でも、それを覆す気はない、でも、そうなってしまったことがどこか怖いんだ。でもそんな思いもいつか消えていってしまうのかもしれない。そうやって自分がどんどん薄まっていってしまうのかもしれない。そのことがなんだかこわい。自分、という主張がどんどんなくなっていくようで。なにもなくてよかったんだ、ということになってしまうのだろうか。じゃあ、そしたら今まで自分が必死になって抵抗して生きてきたのはなんだったんだろうって、そのことに虚しくなってしまう。虚しさにとらわれるのがこわい。

17時から歯医者。2本目のジルコニア入れるのが終わるも結局まだ虫歯はありそう、銀歯を取ってみないとわからないとのことだけど2本くらいは確実にありそう。自分の歯が虫歯になりやすすぎるのがあるにせよ、そしたらもうほんと全部ジルコニアにするしかないってわけかとうなだれる。そして今日もまた治療中が眠くてたまらなかった。寝てるのバレてるのかどうか。歯医者行く前に出しておいた同時プリントを歯医者おわりで受け取る。出す時は店員さんが女性ばかりであれいつもの定年退職後みたいなおじさんたちおよび同年代くらいの男性の人はいないのか…と思って、対応してくれた女性が同時プリントって言ってるのにデータ化しないのかって2度聞きしくるのがちょっとうざったく感じ、なんかそうゆうときって私が女だからって性別で何かと決めこまれて判断されてるんじゃないかとか疑ってしまうんだが誰しもがデータ化を望む客だと思い込まないでくれよなあと内心思っていた。しかし受け取りの時にはいつもの同年代くらいの男の人が立っていたので安心した。しかし入れてたフィルムの1枚目は8月の写真だった。ほとんどがおいっこを撮ったもので、まあそうだよな。