出かけようかと軽く化粧までして、いや行かなくてもいいか、行けば金を使うだけだと思ってやめる。図書館で借りてきた群像で高瀬隼子「おいしいごはんが食べられますように」を読んだ。すごかった。なんだかわからん人たち、知らない人たちの内面を、食べたものを取り出すみたいに見せられた。でもわりと男性の二谷の言っていることに共感をした。でも女性の押尾さんの二谷に対して話をするときの内面の声もよくわかる気がしたというか、誰かと話をする時って実はこうやってひとつずつ相手のリアクションを見たり、もしくは自分の勢いでふっかけてみてそれをマズったかなとかうまくいったというように反応する自分を持っていることが晒されて、そうゆう晒し具合が人間の悪意のなさ、純粋さのように感じられてそれが魅力的だった。でも自分はこうゆういわゆる組織的な会社というものに属していないから、ああやっぱりこうゆうところに属していないで良かったと思うと同時に多くの人はこうゆう中で息をして働いているんだろうかと思うと自分はどこにもいないような気もしてなぜか不安になる。どこかで、このようなゴタゴタ、ザラザラ、イガイガとした人間模様が珍妙に面白おかしくて羨ましくなっているのかと思うと、馬鹿げている。でも、実際そうだ。いろんな人間がいることが、羨ましい。

部屋が寒くて夜ご飯を食べてお風呂に入って出てきた後は何もする気になれない。早く布団に入って眠りたい。生理と寒さでしんどい。