昨日に引き続きまた朝からあさいさんの愚痴を聞かされて正直うんざりしていた。またか、と心の内ではっきり思っている。なんだかなあ。愚痴なんて聞いておもしろくない。そして結局私はその内容の詳細を知り得ないわけだから。へえそうですか、としかない。一緒になって共感して憤慨するとか嘆くとか、ない。ある時もあるけど、ほとんどはない。時々猛烈に愚痴を聞くのにうんざりする。そんなんがあったからか、作業を始めてしばらくしてあさいさんが誰かと電話している時に細い定規が見当たらなくて作業台の下を探していたらまた、またとどうしても言いたいが、プリンタのインクゴミらしきものものがそのまま床に置かれていた。それに対してなんでまたこうやってただ作業台の下に置いておく、ちゃんとどこかに保管するとか誰がみても何だとわかるようにせず見えないところに隠し置くというような感じであるんだろうかと思ってあさいさんのいる方へとアクリル定規で突き出したのだった。あんなふうに床に置いておかれたんじゃまた掃除がしづらいし、見た目に汚い、散らかっているということが私の中で許せないのだ。またか、という気持ちと仕方ないという気持ちとがいつも会社でせめぎあう。その後電話を終えたあさいさんが何か探してたの?という問いと、じゃあこれは?と言ってインクゴミらしきものについて尋ねてきたのでそれなんですか?と聞いたらやはりゴミだけどもう少し数が溜まってから処分をするのだと言う。それをただ袋に入れたりすることもなく見えないところに入れ置いていることが私はいつも嫌だ、でもあさいさんはいつもそうする。そうゆうところは完全にすり合わない。お互い自分のやりたいようにやっているだけだ。おそらくこの時点で向こうは少しムッとしていたのかもしれない。多分そう。私は10個以上のそのバラバラしたものをじゃあせめてこの作業台の下に入れられる白いボックスに入れておいたらと言った。それで入れた。その時そのボックスには黒のプラスチックの自転車を立てるための器具があったから、それはあさいさんのもので、何年も使っていないのが丸わかりのもので、これは外の倉庫に入れておいた方がいいでしょ、ここに入れてても必要になった時にどうせ思い出せないんだからと言って持ってってもらった。それで終わったと思った、そしたら急にじゃあこれも倉庫に入れた方がいいねとかなんとか言った時のあさいさんの口調はとげが立っていると言うか何か異様なものになっていた。そしてその声と動く身振りを目にした時、ああ久しぶりに出たなと思った。私には「急に」に思えたけど、きっと私の言動に対する鬱憤がたまって破裂したんだろう。久しぶりだった。でもそれが1年以内ぶりなのか1年以上ぶりなのかまでは思い出せない。明らかにその動作、声の熱が通常ではないのがわかる。あさいさんもよくわかりやすい人なのだ。自分を側から見るようでなぜか自分のことのように思えて恥ずかしくなるくらい。まあ私が悪かったんだなあとわかる。私がそうさせたんだなあってわかる。それでうんざりする。あーあいやになる。これだから嫌になる。ああ早く帰りたい今すぐ帰りたい、今すぐここから立ち去りたい。どうすればそうできるんだろう。しかしインクカートリッジを外倉庫に入れようとしていたらしいあさいさんがなんだか声をもらしている。中に入っていた水が袋が破けてて漏れ出てしまっているらしい。靴下やらサンダルが黒く染まっていた。あーあと思う。まあそれも私のせいだなあと思うと、ほんとゲンナリする。相手を嫌だなあと思うと同時に自分のことも嫌になる。自分のクソカスぶりに直面する。覆われる。何もかもが悪い。萎えて仕方がない。この連鎖ってなんなんだろう、っていうかなんでこんなことになってるんだろう。もうこんな会社いやだと思う。なんでこんなところに勤めてるんだろう、でもこんなところにしか勤められない自分、ここがいやだと思っても他のどこにもいけやしない、その努力するための知性も体力ない、欠損させたまま、変える意志もない。こうゆうことになった時、もうこうゆうことになることにも慣れてきたけど、どうしても自分は口数が少なくなる。口が重くなる。目を合わせて話すことも避ける。でもなるべくそうゆういつもと違う状況になるのを避けるための努力はする。それでも完全にいつもと同じにはならない。だから午後もただひたすら仕事を真面目にした。仕事をすることだけをした。やることがあるのはいい。そうしていればちゃんと何かをしている。それで結構今きている仕事の制作はできてしまったからと明日は急遽休みにしようかと言われる。そうだな休みは必要だな。今週は生理で寝ても寝てもまだ眠いし、体がこっている。もうずっと休みならいいのにと思う。最後別れる時はかなり普段通りに近かったと思う。ああそれにしても嫌になる。自分の性格の悪さ、口の悪さ、いやらしさ、自分のことを棚に上げて人の指摘ばかりこまごまとしてしまうところは災いのもとだ。それが他人の心をかき乱すというのは事態が起こってからわかる。自分が悪いんだと考える時、それはものすごい速さでその答えを出す。それしかない、他を寄せ付けない確実な答え、提出、それのみで全てが語り尽くされてしまう。そのことが私の喉元をしめあげる。息が通らなくなる。この疾走する一直線の答えの出し方以外を知らないんだと思う。でもいつもそれが苦しい。もうなんだか怖くなる。でも自分はずっとこうやって生きてきたんだとわかる。だから逃れられない。苦しまなければいけないと傍観する誰か。この行き止まる思考からしかし逃れたい。でもそんなの許されないんだと断する誰か。自分が悪いと考えたらそれで解決する、それしか解決法がない、でもそれは解決なんてしていない。自分がどこにいるのか分からなくなる。