母が何か話をしたのか、私が冬の寒さをホットカーペットだけで過ごしているとかいうことを話したんだろう、そうしたらみっちゃんが暖房器具を買うお金をくれるというからそのお金でシロカの遠赤外線ヒーターを買った。楽天で買ったらすぐに届いた。公式サイトのものが売り切れてて出荷が下旬のようだったから1000円安い値段で別のところから買ったら収納袋というのがついていないから1000円安かったのか?と気づいた。しかし暖をとるのには十分だ。デロンギより随分軽くて部屋の温度を察知しているらしくそれに合わせて稼働しているらしいところが新鮮。これでまた楽天のポイントが貯まった。これでロロスツイードのブランケットというか毛布がわりを買いたいが、いやでも本当に必要か?とも思えてくる。そういえば買い周り最終日にようやくついにベッドも注文した。また今月もカード支払いが多くなりそう。大丈夫か?

たまむすびの終了がアナウンスされて1週間。なんかほんと稀な番組なんだってしみじみと感じる。NHKのすっぴんが終わる時と同じような寂しさ。すっぴんも3月終わりだった。ずっとこの先も続いていくしかない不確定ででも続いていくことを信じるしかない平日の日々を不変の存在のようにいつもいてくれてこの先も日々が続いていくことを安定させてくれるような存在だ、帯番組のラジオは。だからその存在がなくなるのがこわくなる。

最近はかゆみ止めの飲み薬を水なしでのみこんでしまう。それでも薬の効果は出ているようだから、まあいいんだろうか。要は水を飲むのがめんどくさいのだ。そんなことをめんどくさがるなんて、ずいぶんだなと思う。

今日は仕事が休みになって1日家にいた。どうにか韓国語のテキストを使った勉強を再開させたいと思っているが、なにでどうやったらできるのか、わからないまま手探りでやれそうなことから始める。手書きの家計簿を始めたが、これも果たして続けられるんだろうか。やるしかない。習慣をつくるための働きかけ。

昨日に引き続きまた朝からあさいさんの愚痴を聞かされて正直うんざりしていた。またか、と心の内ではっきり思っている。なんだかなあ。愚痴なんて聞いておもしろくない。そして結局私はその内容の詳細を知り得ないわけだから。へえそうですか、としかない。一緒になって共感して憤慨するとか嘆くとか、ない。ある時もあるけど、ほとんどはない。時々猛烈に愚痴を聞くのにうんざりする。そんなんがあったからか、作業を始めてしばらくしてあさいさんが誰かと電話している時に細い定規が見当たらなくて作業台の下を探していたらまた、またとどうしても言いたいが、プリンタのインクゴミらしきものものがそのまま床に置かれていた。それに対してなんでまたこうやってただ作業台の下に置いておく、ちゃんとどこかに保管するとか誰がみても何だとわかるようにせず見えないところに隠し置くというような感じであるんだろうかと思ってあさいさんのいる方へとアクリル定規で突き出したのだった。あんなふうに床に置いておかれたんじゃまた掃除がしづらいし、見た目に汚い、散らかっているということが私の中で許せないのだ。またか、という気持ちと仕方ないという気持ちとがいつも会社でせめぎあう。その後電話を終えたあさいさんが何か探してたの?という問いと、じゃあこれは?と言ってインクゴミらしきものについて尋ねてきたのでそれなんですか?と聞いたらやはりゴミだけどもう少し数が溜まってから処分をするのだと言う。それをただ袋に入れたりすることもなく見えないところに入れ置いていることが私はいつも嫌だ、でもあさいさんはいつもそうする。そうゆうところは完全にすり合わない。お互い自分のやりたいようにやっているだけだ。おそらくこの時点で向こうは少しムッとしていたのかもしれない。多分そう。私は10個以上のそのバラバラしたものをじゃあせめてこの作業台の下に入れられる白いボックスに入れておいたらと言った。それで入れた。その時そのボックスには黒のプラスチックの自転車を立てるための器具があったから、それはあさいさんのもので、何年も使っていないのが丸わかりのもので、これは外の倉庫に入れておいた方がいいでしょ、ここに入れてても必要になった時にどうせ思い出せないんだからと言って持ってってもらった。それで終わったと思った、そしたら急にじゃあこれも倉庫に入れた方がいいねとかなんとか言った時のあさいさんの口調はとげが立っていると言うか何か異様なものになっていた。そしてその声と動く身振りを目にした時、ああ久しぶりに出たなと思った。私には「急に」に思えたけど、きっと私の言動に対する鬱憤がたまって破裂したんだろう。久しぶりだった。でもそれが1年以内ぶりなのか1年以上ぶりなのかまでは思い出せない。明らかにその動作、声の熱が通常ではないのがわかる。あさいさんもよくわかりやすい人なのだ。自分を側から見るようでなぜか自分のことのように思えて恥ずかしくなるくらい。まあ私が悪かったんだなあとわかる。私がそうさせたんだなあってわかる。それでうんざりする。あーあいやになる。これだから嫌になる。ああ早く帰りたい今すぐ帰りたい、今すぐここから立ち去りたい。どうすればそうできるんだろう。しかしインクカートリッジを外倉庫に入れようとしていたらしいあさいさんがなんだか声をもらしている。中に入っていた水が袋が破けてて漏れ出てしまっているらしい。靴下やらサンダルが黒く染まっていた。あーあと思う。まあそれも私のせいだなあと思うと、ほんとゲンナリする。相手を嫌だなあと思うと同時に自分のことも嫌になる。自分のクソカスぶりに直面する。覆われる。何もかもが悪い。萎えて仕方がない。この連鎖ってなんなんだろう、っていうかなんでこんなことになってるんだろう。もうこんな会社いやだと思う。なんでこんなところに勤めてるんだろう、でもこんなところにしか勤められない自分、ここがいやだと思っても他のどこにもいけやしない、その努力するための知性も体力ない、欠損させたまま、変える意志もない。こうゆうことになった時、もうこうゆうことになることにも慣れてきたけど、どうしても自分は口数が少なくなる。口が重くなる。目を合わせて話すことも避ける。でもなるべくそうゆういつもと違う状況になるのを避けるための努力はする。それでも完全にいつもと同じにはならない。だから午後もただひたすら仕事を真面目にした。仕事をすることだけをした。やることがあるのはいい。そうしていればちゃんと何かをしている。それで結構今きている仕事の制作はできてしまったからと明日は急遽休みにしようかと言われる。そうだな休みは必要だな。今週は生理で寝ても寝てもまだ眠いし、体がこっている。もうずっと休みならいいのにと思う。最後別れる時はかなり普段通りに近かったと思う。ああそれにしても嫌になる。自分の性格の悪さ、口の悪さ、いやらしさ、自分のことを棚に上げて人の指摘ばかりこまごまとしてしまうところは災いのもとだ。それが他人の心をかき乱すというのは事態が起こってからわかる。自分が悪いんだと考える時、それはものすごい速さでその答えを出す。それしかない、他を寄せ付けない確実な答え、提出、それのみで全てが語り尽くされてしまう。そのことが私の喉元をしめあげる。息が通らなくなる。この疾走する一直線の答えの出し方以外を知らないんだと思う。でもいつもそれが苦しい。もうなんだか怖くなる。でも自分はずっとこうやって生きてきたんだとわかる。だから逃れられない。苦しまなければいけないと傍観する誰か。この行き止まる思考からしかし逃れたい。でもそんなの許されないんだと断する誰か。自分が悪いと考えたらそれで解決する、それしか解決法がない、でもそれは解決なんてしていない。自分がどこにいるのか分からなくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

出かけようかと軽く化粧までして、いや行かなくてもいいか、行けば金を使うだけだと思ってやめる。図書館で借りてきた群像で高瀬隼子「おいしいごはんが食べられますように」を読んだ。すごかった。なんだかわからん人たち、知らない人たちの内面を、食べたものを取り出すみたいに見せられた。でもわりと男性の二谷の言っていることに共感をした。でも女性の押尾さんの二谷に対して話をするときの内面の声もよくわかる気がしたというか、誰かと話をする時って実はこうやってひとつずつ相手のリアクションを見たり、もしくは自分の勢いでふっかけてみてそれをマズったかなとかうまくいったというように反応する自分を持っていることが晒されて、そうゆう晒し具合が人間の悪意のなさ、純粋さのように感じられてそれが魅力的だった。でも自分はこうゆういわゆる組織的な会社というものに属していないから、ああやっぱりこうゆうところに属していないで良かったと思うと同時に多くの人はこうゆう中で息をして働いているんだろうかと思うと自分はどこにもいないような気もしてなぜか不安になる。どこかで、このようなゴタゴタ、ザラザラ、イガイガとした人間模様が珍妙に面白おかしくて羨ましくなっているのかと思うと、馬鹿げている。でも、実際そうだ。いろんな人間がいることが、羨ましい。

部屋が寒くて夜ご飯を食べてお風呂に入って出てきた後は何もする気になれない。早く布団に入って眠りたい。生理と寒さでしんどい。

昼前に浦和へ。駅まで自転車で行こうと思っていたのにぽつぽつとした雨が降ってきて徒歩に変更したが生理で尻が痛くて後悔の念をぶつぶつと思っては消してを繰り返して歩いていた。フリースタートルネックが熱くなってきて体内にびしょりと汗をかいていた。それでユナイテッドシネマで「非常宣言」を見た。公開2週目で2回しか上映がないのは少なすぎる。でも観客は結構入ってた。パニック映画としての展開は思ってたより前半にまとめられていて、後半はまた違った側面を見せてくる、もちろんスリルやハラハラドキドキの盛り上げはあるんだけど、コロナがあっただけに生々しく現実との対比で見ざるをえない。ソン・ガンホが、いやそんなただの個人にそんなことさせないでくれよという役どころを負っていてソン・ガンホが演じる役柄とはいったい、と思う。ラストの方はCGを結構使った見せ所だと思うんだけど、CGが強いというか、CG表現が繊細で上手いなあというか。前半というか中盤よりは前くらいの飛行機の落下シーンはあれはもしや実際に本当に落下状態を作って撮ってるのかなと思ったんだが、例えばそれは日本映画じゃでき無さそうだなと思う。韓国映画を語るとき日本映画を引き合いに出すというか、日本映画と比べたら雲泥の差であるということに触れているのをレビューなどでもよく目にしてしまうせいかつい自分も自然とそうゆう視線を持ってしまうが、でも実はわたしは近年の日本映画をよく見ているわけでもない、それは見ても大したことなさそうだからという理由で見ていないわけで、それなら最初から比較するも何もないんだよなあ本当は、ということもぼんやり思う。韓国での公開は去年の夏だったみたいだけど、制作時期はいつだったんだろうか。日本が、日本政府が、日本の自衛隊が出てくるわけだが、なかなかあくどい描き方にも見えた。でも実際自衛隊というのはあのように動くものなのか、それが自分も知らないのだった。政府の決断自体はそうなるであろうとしても、あそこまでしなくちゃいけないのか、国防とは。でもあれは日本以外の国が同じことしてればわりとすんなり頷けるような気もする。自分が日本人だから日本という国が取る態度に対して抵抗というものを感じるんだろうか、というところまで、そんなことまで思わされるは初めてだなと思う。韓国映画を見て日本の加害の歴史というものを実感するわけだけど、そうなるとやっぱり日本国内の映像作品で日本の加害の歴史を見る経験が少なすぎているのかもしれないなと思う。ソン・ガンホの役どころは今までにも見たことあるようなものだよねと思うんだけど、でもそれでもラストのその姿、演技には、イ・ビョンホンの表情と共に言葉にできない、言葉を失ってそれからどう始めようかというようなぐちゃっとつぶされるものがあった。

映画を見た後に図書館へ行って、文學界のバックナンバーをあさったら西森路代さんと斎藤真理子さんの対談が載っていたので読んだ。斎藤さんは是枝監督の作品にピンとこないことがほとんどらしく、結構そうゆう人いるよなあと思う。もちろん名や作品が知られていればそれだけそうゆう割合も高くなるんだろうが。対談でトピックがいろいろあって、でも結構面白く読んだ。でもすぐ忘れてしまう。

 

 

 

生理前で尻が重い。今週はというか今年か、になってあさいさんが現場に行くということもまだなくて、会社でふたりであれやこれやとつくりものをする日々で、このへんぴな不便な場所にある会社の中だけが世界のすべてで、すごく小さくて狭い空間しか目に見えず吸う空気も循環しているだけ、かろうじてラジオが外の世界を繋げているけどなんだかそれも物語としてのお話が流れてきているようでもある。昔はこの小さい世界がいやだった。抜け出したかった。こわくて。でももう今はまあこれでもいいかって。そうなってしまったのは悪いことなんだろうか、つまらないことなんだろうか、希望のないことなんだろうか。そうなんじゃないか?って疑りは自分の中にあるんだ、でも、それを覆す気はない、でも、そうなってしまったことがどこか怖いんだ。でもそんな思いもいつか消えていってしまうのかもしれない。そうやって自分がどんどん薄まっていってしまうのかもしれない。そのことがなんだかこわい。自分、という主張がどんどんなくなっていくようで。なにもなくてよかったんだ、ということになってしまうのだろうか。じゃあ、そしたら今まで自分が必死になって抵抗して生きてきたのはなんだったんだろうって、そのことに虚しくなってしまう。虚しさにとらわれるのがこわい。

17時から歯医者。2本目のジルコニア入れるのが終わるも結局まだ虫歯はありそう、銀歯を取ってみないとわからないとのことだけど2本くらいは確実にありそう。自分の歯が虫歯になりやすすぎるのがあるにせよ、そしたらもうほんと全部ジルコニアにするしかないってわけかとうなだれる。そして今日もまた治療中が眠くてたまらなかった。寝てるのバレてるのかどうか。歯医者行く前に出しておいた同時プリントを歯医者おわりで受け取る。出す時は店員さんが女性ばかりであれいつもの定年退職後みたいなおじさんたちおよび同年代くらいの男性の人はいないのか…と思って、対応してくれた女性が同時プリントって言ってるのにデータ化しないのかって2度聞きしくるのがちょっとうざったく感じ、なんかそうゆうときって私が女だからって性別で何かと決めこまれて判断されてるんじゃないかとか疑ってしまうんだが誰しもがデータ化を望む客だと思い込まないでくれよなあと内心思っていた。しかし受け取りの時にはいつもの同年代くらいの男の人が立っていたので安心した。しかし入れてたフィルムの1枚目は8月の写真だった。ほとんどがおいっこを撮ったもので、まあそうだよな。