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また朝起きた時から異様な体の重さ。昨日は1日家にいて休んだのに、なぜだ、そんなに仕事が嫌なのか、私もすっかりそんな人間てものになってしまっていたんだなとかなんとか、でもまあ今日は今週は休めないよなあってのもあって雨靴履いて家を出る。だるいのに歩いて電車乗って会社行って、それだけでほんとえらいと思う。誰もそんなこと言ってくれないけど、自分でつくづくそう思う。そう思うことが自分への励まし、後押し、むりやりにでも。

会社に着くも体は油をさすべきといった状態でぎしぎし。ひどいなこりゃあと思いつつ午前にこれだけはやらねばというものをやる。やろうとするも、いつもと同じようには進まないどろどろ。アクリルの定規がやけに動いてしまい、なんでこんなに動くんだ、表裏がいつもと逆なのか?と思うもそんなことはあまり関係しないはずだ。道具をつい疑ってしまったが、これは体調が悪くていつもより定規をおさえる力が入ってないというだけだった。そんなことにも気づけないのが愚かしい。

お昼にホットココア飲んだりして体をなんとか取り戻そうとするも、いまいち効果はうすい。少し作業してはすぐにしんどく立っていられない。夜中仕事だったあさいさんが出勤してくる。なんとか平気を取り繕うももう体がピーク状態、椅子に座ったまま突っ伏す。呼吸が少し早くなってるし、体のあちこちが痛い。とにかくつらいしんどい。もう無理と思ってマットをひいてうつ伏せに寝た。そのまま2時間くらい寝てた。しかも機械だなんださんざん動かしている中まるで目覚めもせず起こされたのだ。普段だったらこんなことは絶対ない。どこででも寝れるのはあるけど、いつもは15分くらいで目が覚める。今月のはじめにあった症状と似ている。今日のは雨の天気のせいなのかなと最初思っていたけど、どうなんだろう。起きても結局だるく、力が入らない。30代、こんなにつらいことばかりなのか。この先が思いやられる。仕事もろくにできやしないのかと思うと萎える。役に立たない体が、もったいない。もっと楽に仕事がしたいのに、つらいばかりになってしまう。

 

蒸し鶏づくりにずっとはまってる。毎日食べたい。自民党の人々の喋りを聞くのはうんざり。サマセットモームの英国諜報員アシェンデンを読み始める。

雨がー、と思う。駅まで徒歩か、自転車か、買い物したいから自転車が良いけど雨がー。よし止んだ!と思って自転車で出るも途中で早々に降り出す。傘をさして自転車をこぐなんて、一体いつの間にできるようになったんだっけと思う。

表参道のakio nagasawa galleryでリン・チーペン(林志鹏)aka No.223の展示を見る。彼の写真集を出版するT&M projectのツイートで知り、見てみたかった。レン・ハンと似てるのかなと思ったけど、でもそりゃあ違うよねとも思う。実際に見たら、すごく明るくて楽しくて気持ちの良い写真たちだった。うわあーと気持も高揚して写真集を買う。しかし展示で特に好きだなと思っていた写真数枚は必ずしも写真集には入っていなかったのでショック。まあ写真撮ってたけど。なんだろうなー、あるべきとされるような性別に括られてない感じや色んな体があり、それらは皆それぞれに個の自由がある気がした。どんなおっぱいもお尻も唇も目も性器も、エロではなく個人の体そのものとしてはっきりとしていた。羨ましいなと思った。しかし布団やカーテンやカーペットなど、花柄のものが多く写っているが中国ってこんな感じが一般的なのかな。柄と柄のあわさりがかっこいい。男の人が横たわってて鳥が飛んでる写真がアピチャッポンと思ったりとか、花にフラッシュが当たって発光してるような写真が誰か、川内倫子か誰かで似たようなの見たことあるような、とか、そうゆう近いイメージの類似にゆるやかな心地よい波を感じた。

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www.akionagasawa.com

 

そのあとスパイラルでマリメッコのテキスタイルデザイナーとしても活躍した石本藤雄さんの展示を見た。森に見立てたというファブリックの展示を、七夕みたいだねー、仙台のねー、と会話している人たちがいて確かに!と思ってからそっちの方が有力。

www.spiral.co.jp

 

それからイメージフォーラムへ。私はシュリンゲンジーフに惚れてしまいそうなんだなと思う。ヨーゼフボイスの映画を見そびれたわけだが、シュリンゲンジーフ見れるからまあいいか、いや良くないか。

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体調悪い期のせいか、どうか、なんて結局診断機があるわけでもないからよくわからないけど、仕事もあいかわらず減らなくて制作が多いので相乗効果的に疲れがたまっていくような気はする。

一番仕事をくれる取引先がこれでもかってくらいにふたりしかいないうちの会社に仕事をまわしてくれるので、もう休む暇がなくなる。しかも納品日が近い。しかも週末に頼まれる、つまり土日に作らざるをえない。人を増やすとかできたらいいんだろうけど、うちの会社はそれが簡単にはできないよなあとはわかっている。しかし現状はふたりで対応するのもいっぱいいっぱいだよなあと思う。でもまだしばらくはふたりでやってくしかないんだろう。人を増やすのも簡単なことではない。常に不安な会社ではあるが、まあよく考えたらどこもそんなもんかという気もする。

午後に聞いてたTBSラジオのアクションで砂鉄さんが飲み会の断りについて喋っていて面白い。少人数なら良いが大人数の飲み会、会社の付き合いの飲み会といったものは苦手、嫌だという人々は一定数いるはずだがなぜかその際断る理由というのを作り上げなければいけない不思議。夜やる必要ないよね?酒は必要ないよね?って気はするな。酒が無条件に好きとかなら関係ないかもしれないし、少人数など個人的に一緒に時間をすごしたい人との機会などは別だろうが。砂鉄さんが言っててなるほどと思ったけど、酒というだけで甘く寛大に許されがちな感じ、酒は強者という感じがあるな。まあ私はほとんど飲まないし機会もほぼないんだけど、でもなんかいびつなバランスが感じとられる気はすると思った。バーはバーでもバーミヤン!という砂鉄さんに笑う。

午前中に聞いてたNHKFMのすっぴん!ではお便りテーマが記録、ということで日記が出てきてもおかしくないだろうと思っていた。そしたら終わりの方で案の定。源一郎さんが以前仕事で書いたがそのあとは続かなかった、藤井さんも数年ぶりに書いてみようとしたが続かず、という話。ブログなど人に見られるというのが続けられる良い条件なのではという話、もしくはお金が発生するとかとか。まあ確かに人に見られるというのは少なからず良い刺激になるのだろう。日記を読む会でもこの会があると思うと続けられるという感じの人もいた。でも日記は最初からそうゆう誰かに見られるかもしれないという背後感がもともとあるんじゃないのって気もするんだけど。それは日記というものの存在性にまとわりついているというか。しかし日記の話はやっぱり面白いかも。

あさいさんは明日が誕生日なのでプレゼントを渡す。今年はコインケース。帰宅してへとへと、キムチチゲみたいな簡単ごはん。

あさいさんが午後から打ち合わせに出るというので同じタイミングで出る。中央区のあたりで降ろしてもらう。しかしすこぶる体がだるい。夜のライブを見にいくまで多少時間はあるし、一度帰ろうかと迷うが、これは逆に展示を見にいく方が良いだろうと結論。kanzan galleryで梶井照影さんのDIVE TO BANGLADESHを見る。特に女性たちのまなざしが柔らかく、良いなと思う。メイクも意味合いがありそう。洋服の柄もチェックといえど日本で見るのとはやや違う気がした。男性の着こなしがなんとなくかっこいい。ラナプラザという縫製工場の崩落事故のあった場所の写真、何も知らずに見ると地震があったかのようにも見える。でもそれは建築基準を満たしていない建物でありミシンの振動が主な原因だったという。そうゆうところで人が働き、生活をしている。また線路に群がる人々の写真も印象的。そして路上で眠る人々、老人から小さな子供まで。その姿になぜか私は自由さを感じる。それは正しくないのかもしれないけれど。実際の現実は分からず、写真を見て想像している。ゴミの埋立地らしき場所に立つ少年。木の枝のあたりまで埋まっていることから、そこは実際より随分かさ上げされている場所なんだろう。少年は麻袋みたいなものを引きずっている。そこにあるゴミ。

www.kanzan-g.jp

 

αMで東京計画2019 vol.2 風間サチコを見る。風間さんの作品は前に一度見たことがあると思う。その時もすげえな、とドッキリ思わされた気がするけど、今回はより一層、来年の東京オリンピックという疑わしくも現実になるらしい近い未来があるだけにするするとふところに忍び込まれてくるような。そしてデカイ。そして緻密。版画といえば小学生の頃にやるものだろう。その時の彫刻刀の危険でいて道具、彫られた木屑、描いた絵、黒と白、そういった諸々が強く頭に浮かびあがるものだよなあと思う。また横一列に並べて展示されていた奇妙なストーリーの絵もすごく面白かった。面白かったといっても、なんだかよくわかりはしないのだが。すごくいい線を描くんだなあと思った。あの紙は何なんだろう。謎の球体をもてはやし?、あれで一体何をするつもりなんだろう。ただ無邪気のような。

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gallery-alpham.com

 

表参道画廊で多和田有希、原田裕規のふたりによる家族系統樹を見た。多和田さんの作品で大きいプリントの方の作品、ホワイトアウトは随分前にどこかで見たことがある気がする。藝大の卒展か?自分の中でその記憶の蘇りというか、引き出しが開いたことにややたじろいだ。覚えているものがあるのだなあと。眼が、見ていたことをうすら思い出す。原田さんの写真は誰のものとも知らぬ人々の写真のなごりと言っていいのか、垢のついたような見えるのか見えないのか感じるらしき痕跡が撮られている。遺品そのものって感じではないが、遺体が残した思い出かのような。けれど写真自体は新しい。その時間のひらき。去年kanzanmで見たときに、原田さんが集めた写真の山を目にしてすぐさま自分がこれまでフィルムで撮ってきたしょうもない写真の数々もいつかの将来このようになるのではないかと思い、複雑な気持ちになった。たまたま展示室に若い人たちが複数人おり(原田さんもいたのかも?)皆でその写真の山を囲んで漁り?見ていた。私にはそれが少し辛かった。自分の写真も同じように、私の知らない未来で、知らない人々に昔の写真って面白いよねーと言われながらパラパラめくられているのかと思ってしまうのだ。私はそれらの写真に簡単に触れることはできない。そんなデリケートさを自分が発揮してしまうのは何かおかしいのではないかという気もする。モヤモヤしながらも興味がある。

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それから渋谷へ移動してヒカリエをぶらぶら、渋谷クアトロへ空気公団の山崎さんと冬にわかれてのライブを見に行った。ツイッターで書いたので引用。でもツイッターじゃ書けなかったこともじつはある。書けなかったのはつまりうまくよく言えないってことでもある。

山崎さんと寺尾さん、おふたりの歌声もおしゃべりもとても素晴らしすぎて、自分というのはひどく何も知らない、分からないまま平気でいる薄情なものなのではないかと言ったような陰鬱さに襲われてしまった。なにそれ、、って感じなのだが。別におふたりとも人格者とかってわけでもないんだけど、存在感の崇高さにでもやられてしまったのだろうか。うう、なんだか辛くなってしまって、自分が小さい。うーん。しかし、音楽は素晴らしく、ひとつひとつの楽器を堪能することができて、音楽って面白いなあと思った。いや、違う、この場合、というか最近結構音楽っていうのがなんか違う気がしたりして、音楽って書くと、いやなんか違うんだよなあと思うけど、曲とか音ってことでもないし、音楽っていうより音のあわさり、一緒に音を出している人たち、音の造形、みたいなことの感じが本当は言いたい。音楽、と言ってしまうと一般的なものに集約されてしまうような、や、まあそれで間違ってるわけでもないだろうけど、永遠持続する形あるものではないということが言いたいような。

寺尾さんが旅にしませんかで参加、山崎さんが高野寛さんのカバーCHANGEで参加しあっていた。両方ともボーカルが女性で演奏メンバーは男性だった。マッチョ感が全然なくて、でも客席はやはりおじさんが多そうだったな。レコードを買って帰った。

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朝早く起きてお風呂入るつもりがその目覚ましで二度寝して結局いつも起きる時間よりも更に寝坊。洗濯とゴミ捨てしなきゃいけないのにと慌ただしくもすべてをこなす。普段はどんだけ優雅な時間の使い方なのか。それでも毎日時間は足らない。

この体調の悪さは生理前の体調悪い期のはじまりを知らせる合図だとようやく気づく。このスタートですごく体調がおかしさをきたすのはまだ最近始まったばかりなので全然忘れていたのだ。こんなのってないよなあと思う。そんなお知らせいらないし、迷惑だ。なんだよこのからだ、悪さしかない。こんなこと誰にも愚痴れない。だれもなにも悪いってもんではない。

お尻がとにかく疲れる、しんどい、顔をくしゃくしゃにしながら仕事する。やるしかないという精神が私を動かしている。もうほんとやだと思っても、でも他にやる人いないからやるしかない。

ラジオで日本人は器用だから…という話があり、日本人が器用ってのは一体いつからどこからどうして言われるようになったのか?と疑問がわきたつ。手の器用な人というのは世界に均等にいるのではないかと思う。日本人が特別器用な人が多いなんてあるか?と思う。それは器用さとは別のものじゃないかと思ってしまう。日本人が器用、というほどのものがなにをもって証明されているのか、 実感をもったことがない。

帰りにあさいさんとお尻の凝りや解消法などについて話す。太ももはもう少し太った方が良いのではないかと言われる。まあ場合によってはそうかもしれない。あさいさんとはこうゆう場合まったくセクハラ的なものは一切なく、一般的なフラットな会話として成り立っている。性別関係ないな。

22時過ぎ、地震があった。揺れが長く長く終わりが見えないようで、異様なこわさを感じてしまう。ここから急にどかんと突き上げてくるのではないか、といった想像を外せはしない。こわいと思っても、何もできやしない。そのときはただ一生懸命きたるべき揺れにどうにか対応してやろうという少しばかりの勇ましさがある。