こわいんだ。もう傷つきたくないから。また傷つけられるのがこわい。だから母に会うのがこわい。

なんでみんなにはあって、自分にはないの?って思うんだ。みんなは持ってるのに、私にはない。なんで?なんで?ないんだから、むりなんだから諦めなくちゃいけないってずっと思いこませてるのにそれでもいまだにどうしてもなんで私にはないの?って問いが顔を出すようにして問いかけてくる。問いたいのは私なのに、私に問うてくる。みんなはなんで愛を持っているの。なんで私にはないの?どうしてなのか、いつまでたってもわからない。わからないわからない、そこから先に何も進まない。私はそんなに愛がほしいのか。でもそれそのもののことがわからない私にそんなの手に入るはずがない。わかっているのに、みんなは持っているのに私にはないんだということが自分だけ違うんだとひとりぼっちに置き去りにされてしまう。そんなの求めたくない、無理なんだからとなんど言い聞かせてもきかない。永遠にわからないままもがいてる。なんてみにくいんだろう。私はからっぽだ。

自分が自分を愛せないことが苦しい?そうなのかな、わからない。

人がもってる愛が羨ましくなってしまう。そんなものを羨ましがるなんてと思うのに。

自分を大事にすることができない。棄損することしかできない。それは意地を張っているとかではない。ただひたすらできないことなのだ。どうしたってできないのだ。やり方がわからない、その思考法もわからない。そのこと自体が自分を悲しませるとわかっているのにそれを改善するといったことができないのだ。それは側から見たら理解不能なことなのかもしれない。だから余計におそろしいんだ。自分でもわからないし、他人にもわからないこと。私はそんなところに居る。誰からも見えないし、自分はいつも自分を見失う。見えなくなる。

救いを求めて音楽を聞いてるわけじゃない、でもどこかで期待してしまっているのかもしれない。そんなことしてはいけないと思うのに。救われるなんてない。だけど音楽を聞いてる時間だけは自分が解放される。満たされる。終わってもそのことを実感している。でもそれを実感してしまうとその後やってくるのはそれ以外の時間に私は誰からも必要とされないし、愛されない存在なのだということだ。その明暗がはっきりするのだ。そうして突き落とされる。満たされたと思っていたあの時間がもやに覆われ陰になり見えなくなっていく。ライブを見に行ってそれに惚れこんでしまえばしまうほど突き落とされるんだろうか。

自分が一体何にこんなに傷ついているのかわからない。ただ最近どんどんこの傷が良く見えるようにむき出しになってきている気がして、こわいんだ。傷がこわい。

ヒステリーばかり起こしてと言われるたび悲しかった。私のしてることはすべてヒステリーにひとまとめにされた。ヒステリーがなんなのかはわからなくても、それは悪いことなのだと定義されていた。ちがう、ちがうちがうって私は言いたかった。言えなかった。いってはいけないのだとわかっていた。きっとそういったことからなんだろう、私が何も言えなくなったのは。自分の気持ちや感情について言葉にできなくなったのは。ヒステリーとなづけられた私は自認をする。それならヒステリーをやってやれ、なってやれ。壁の同じ場所を蹴り続けて穴をあけた。当然ひどく怒鳴りつけられる。父も姉もいたかもしれない。でも誰も守ってくれない、何も言ってくれない。私はきっと寂しく悲しかっただろう。苦しかっただろう。そういった気持ちが解決されないまま、そのまま私は生きている。

小学2年か3年の頃、友達の家では母の日にお父さんがお母さんに花を買ってきて渡すことについて友達とその弟とに話をしていた。それを聞いて私はすごく驚いたのを覚えている。はじめて見知るものごとだったのだ。私の家ではないことだった。母の日、それは、子供にとっての「母」なる存在の日であり、父が母に何かを渡すこともありえる日だなんて知らなかった。というか正確には子はまだ幼いため父がそこに介在するということだが。私の父が母の日に母に何かをしているのなんてほとんど見たことがない。そこに愛情というもの、感謝などというものが表現されること。

子どもの頃に母から繰り返し聞かされた話がある。それは母と自分だけのシーンもあれば、他の人もいてその人に話すシーンもあったと思う。母も自分で繰り返し同じ話をしてることはわかっててしていたはずだ。だって本当に何度も聞いたのだ。

そのひとつが、私が赤ん坊のころ、おんぶか抱っこを常にしていないと泣き出すので面倒をみるのが大変だったという話だ。聞くたびに、またその話か、と思ったもののもうしないでなんて言えなかった。私はその話を聞くたびに申し訳なく思わされた。私は母の手をわずらわせ、面倒をかけ、不快な思いをさせるダメな赤ん坊だったのだと考えていた。加えて父に渡しても泣く、という話もそこにくっついていた。それを聞いて父にもいやな気持ちにさせて申し訳ないと思っていた。小学生の間にこの話は何度となく聞いた気がする。もしかしたら5回程度だったのかもしれない。でもそれが私にとっては何度も、になっている。

あとから解釈すれば、母はその愚痴を私に話していたんだろうと思う。おまえを育てる苦労、そこで奪われた自分の時間、というのを私に理解させ押しつけたかったんだろう。一種、冗談だったかもしれない。母は冗談のように悪意ある言葉をよく吐く人だ。でもそれは冗談としては通じないようなひどい発言であることが多い。

いつだったか、数年前、何かで赤ん坊が子供の頃に手がかかるのは当然なのだ、という記述を読んだ。たしかにそれはそうだと思った。そのとき初めてそうか赤ん坊の私が悪いわけではなかったのか、と思った。悪い赤ん坊、なんて、どこにいるだろうか。そんなことまったく気づかなかった。だから、親が子に子育ての愚痴なんて言ってはいけないことだと思う。あまりに影響が大きすぎる。善良な親ならそんなこと当然言わないんだろうか?

けれど母は今だって同じ話をすることができるだろう。自分がどれだけ苦労したのかを語らずにはいられないだろう。実際そうだったろうと思う。夫の給料は少なく、子供に関心もなく子育てもせず隣に住む義両親たちも孫に興味がなくなんの手助けもない。そのつらさを娘に語らずにはいられないのだ。

けれどその話は何度聞いても私が悪いのだとしか受け取れない。私がいなければ、生まれてこなければよかったのだという話としてしか受け取れない。母がその話をするということが私には悲しいことなのだ。なぜ私にそんなことを話すんだろうか。ずっとこの傷つきが消えない。むしろ最近になってより一層このことが憎く、怒りがわき起こってくる。誰にも話したこともなく、ただひたすら長年自分の中で繰り返してきた疑念が今になって怒り、というか、うっぷんというか、許せなさとして私に立ちはだかっている。まるで私だけが悪いと言わんばかりだった、私の記憶の中でこの話をするときの母の顔、声、目線に私はいまだに傷ついている。そんなことをした母が許せない、けれどそれをはね返したり消し去ったりふみ倒したりすることはできない。

母はよく私の問題ばかりをつらねた。じっとしていられないんだから、ということもよく言われた。自分ではそうなのかどうかも分からなかった頃。しかし繰り返し言われるから私はじっとしていられないんだ、と理解した。運動神経がない、もそうだった。それはかなり思いこまされていたと今には思う。ヒステリック、ヒステリーを起こすということも何度も言われた。それもまた何度も言われ、そのたびに私は傷つき更に更に泣き叫んだ。それはそんなレッテルを貼らないでくれという叫びだった、そんなことを言わないで、見捨てないでという叫びだった。けれどその叫びは一度も母に届かなかっただろう。これらの傷つきの場面をいまだに思い起こすのは、そのときの傷が癒えてないからという単純なことなのだろうか。

親からの愛情を受け取れなかったから自分が人に愛情を抱くこととか、愛するということはよくわからないし、できないことなんだろうと思ってたけど、それより、見放され見捨てられることを恐れるからなのだろうか。その記憶が恐ろしいから、できないのか。というかそれらセットか。

日記をつけたいと思いながら相変わらず、引き続き、うまくやれてない。パソコンでキーボードを叩くこと自体がもうすっかり億劫で面倒になってしまった。それでもスマホでメモに記した日記っぽいものがいくらかはある。それらもその内日記にコピペして、と思っていたのにやらなかった。もう自分には日記をつけるなんて無理なのかも。そんな身体じゃなくなったみたいで。

昨日は天気も良いというのに体が重く、出かける気力がわかない。何かをする気分になれない。それじゃあと部屋の模様替えをした。この部屋に住んで3つ目の配置パターンとなった。ベッド、机、本棚の3つの配置換えに過ぎないが、前回の位置には少し無駄があったからそれに比べると広くなった気がする。机を窓の近くにした。動線的にどうだろうと思っていたけど、よく考えたら悪くない。なんかまあ割といい感じになった。とりあえずの新鮮味。今しかない、それを大事にするという名の利用。

年々自分が消えていくようで。前はそれに抗っていたんだ。抗わなくなったらこうなるんだ、と。自分の価値のなさを受け入れられるようになったらこうなるんだ。自分には価値がないなんて、どうしてそんなこと平気で考えられるんだろう。それが自明だと。わからないけどいつか一線を越えてしまって。でも越えるための基礎づくりは何年もかけて行われたんだ。目の前の出来事を把握するのにそのように考えて、捉えて成長するしかなかった。もしそんなふうに捉えずに済む人生だったなら、と考えてしまう。そうゆう人が羨ましい、と率直に思うのがなんか純朴すぎるみたいで自分じゃないようだと思うけど、でもその素直すぎる感想が自分をなぐさめる。そんなこと、ほんとアホみたい。アホみたいだけど、まあいいか、って抵抗する気力もないし。

最近は出費が多くて赤字すぎる。毎月それがゆううつ。もっと広い部屋に住みたい。でも今の激安家賃でこんなにいっぱいいっぱいじゃ、無理だよなあと思う。いつまでここに住むんだろう。ここより高い家賃の部屋に住むことなんて、できるだろうか。まあゾッとする。それでも今この家賃の部屋に住めてることがラッキーなんだろうか。

いまだに、ときどき、高校を決めたときのことが思い出される。それはなぜかずっと定期的に思い出される。歳をとれば取るほど、のような。そして今思い当たるのはあのとき、高校選びがどうでも良くなって、というか興味を失って、推薦で確実に入れるところにしたのは勉強に意欲がわかなくなってたし、進学自体にさして興味がなかったのもあると思うけど、でもそのとき自分を大事に扱うような感覚をすでに削っていたからというのがありそうだ。そう考えるとしっくりくるものはある。自分を自分で見下してるから、価値がないと思っているから努力して成しとげることへの意欲もなく、どうせ出来の悪い自分というまなざし、態度をとっていた。なんて、むなしいんだろう。そのとき違う自分でいれたなら、なんて、そんなこと思うなんて安っぽすぎると思うのに、でもその安っぽいうらぶれたセンチメンタルにはめこんだ自分をかわいそうに思うのだ。