どこか出かけようかなという気持ちとだるいなめんどくさいなのせめぎ合い。昨日仕事だったのもあり、今日一日家にいると明日から金曜まで息詰まってしまうかもなあという懸念があるのだ。とりあえずやるべきことをやろうと日記を1週間分書くことにする。覚えのある日とない日。1日のうちで思い、考えることはいくつもあるはずなので書き出すとその日思っていたこともなんとなく引っ張られて出てくる。というか私はなんでもかんでもだいたいは日記に書くことを想定して思い、考え、まとめようとしている。いつも頭にはこのフォーマットをフィールドとしてイメージしている。

映画でも見に行こうか、2本くらい見たいのがある、でも暑いし、ならば夜の回を見に行こうか、と考えてだるいのでとりあえず寝る。たぶんたいして寝てないけどなぜか起きてツイッターを見たらTOKASで17時からトークがあるとわかる。今から用意すればギリギリ間に合うなと思って急いで化粧して家を出た。昨日までの蒸し暑さはうすらぎ自転車をこぐと風がまともに感じられた。でもそのあと地下鉄の乗り換えなどで小走りしてたら汗かきかきになったので調子に乗りすぎた後悔。なんとか開始数分前につき、ギリギリで椅子も座れた。すぐ立ち見の人でいっぱいになっていた。2時間立ちっぱなしで聞くのはしんどかったかも。

というわけで展示中の小田原のどかさんと批評家の仲山ひふみさんのトークを聞いた。小田原さんの展示は先月だったかすでに見ていたし、おふたりの美術手帖での最近のそれぞれボルタンスキー、広島原爆資料館のレビューも読んでいたので(ボルタンスキーは新美の展示も見ている)興味があった。ちょっと面白く感じたのはおふたりがそれぞれある程度まとめて意見、見解を述べバトンタッチするように交互に喋っていたところだろうか。1人が話している時、もう1人が聞く顔、態度をじっくりと持っているのが印象的だった。そしてそれはこちらとしても聞きやすく、追いやすかった。とはいえアカデミックな話の部分は自分が全く知らない、わからない世界でもありついていけない、理解も想像もできない。そもそも彫刻のことなんて全然知らないのに、小田原さんのここの展示を見に来てへえーーと知ったくらいなのだった。でも会場にも置いてあった彫刻1は買って読んでみたいくらいにはひきつけられた。この日本の街中にある彫刻、銅像は、いったい誰なのか?それは一度は疑問に思ったことがある。 おふたりの話はいろいろ行ったり来たりでアカデミックな話ばかりでもなく、あいトリの話や京都アニメーションの話などがあることによって話の広がりをおさえることはできた。批評とはわけること、喪の作業になるといった仲山さんの発言になるほどと思い、小田原さんの日本の彫刻の歴史観に一石を投じるような視点、作業、探索はぐるんと目がまわるような面白さを感じる。

19時で終了し、ドミューンで津田さんの出演をスマホで見ながら帰宅。スーパーで買い物しながらもイヤホンでそのまま聞き、自転車でも片方だけイヤホンつけて聞いちゃう。家帰って夜ご飯作りながらも聞く。食べながら聞く。なんか津田さん痩せてたっていうか、やつれてたっていうか、通常以上によくわからない姿形の感じに見えたりして。最初またパワポから始まるの?!と思ったらそれはフラムさん、宇川さんからの要望だったとのことだけど、いかんせんあの東さんとの動画彷彿とさせてしまうものがあって驚きはあった。結局あれやこれやしながら見聞きしていたのもあり、結局これといった手応えはないまま見終えてしまった。これまでと現状については知ることができたが。色々な人が色々なことを言っていて、それは津田さんひとりで収集し答えきれるものでもないだろうと思うしそもそも津田さんひとりとしか認識できない、見えないというのも変な話のような。とりあえずアーティストたちのアクションが唯一手がかりになるような、救いのような。それもおかしな話だろうけれど。けれど、そのようにひとりひとりの思考や態度が言葉だけではなく行動や姿形として出てくることによって、現状に対してのリアクションが出てくることによって照らされるものはあるのではないか。そのようにして前へ進むことは可能なのではないか。とりあえず小泉さんの作品鑑賞チケットを偶然的にトリエンナーレ最終日の日時で購入しているので、最後にいったいどうなっているのかを見にいくことになっているわけだ。

 

ツイッターでびっちさんにオウガのバッジを譲ってもらうやり取りをしていて思い出されたのが、17の頃、ちょうどライジングサンから帰ってきて日も浅い8月、新宿リキッドの階段で、キャンバス地の白いリュックにいくつかの缶バッジをつけて一桁の番号で階段に並んでいた私は、るびさんとけんさんにこのコはもしや…と気づかれていたと後から知ってめちゃくちゃ恥ずかしい思いに至ったことだ。しかもそのおふたりはそれぞれナンバーガール野音を見に行ったらしく、ああなんて、なんて夏だろうなあと思う。新宿リキッドのあの階段に並んだあの日のことを、なぜ今でもこんなにもよく覚えているのだろうか。夏は短く、陽射しは強い。

今日は朝から仕事。実家から会社へ行き、そのまま実家は去ることに。母は明日帰ればいいのにと言うが日記を書かないとと言う思いがあった。パソコンがないと沢山は書けないし。ご飯が出てくるサービスは最高なんだけど。スマホで読もうと思っている記事がタブに開かれどんどん溜まっていくのを処理したいと思いつつ座って電車。

仕事はとりあえずここまでできればと言う量までやることに。あさいさんは奥さんの実家に帰っていた間のあれこれ話をする。パチンコでどんどんお金を失うも最後になんとかどんでん返し、結局プラスにして終われたと言う話、ギャンブルはこわいと言いながら義理のお父さんに付き合って毎度行くのはよくやってるなあと思う。こうゆうのも結婚の証か。へえ、へえと聞く。聞くのは面白い。知らないことを知る。知ると言うほどでもないのか。聞いて、思い描いている。

お昼はデニーズに行く。ハンバーグを食べるも、ご飯はなんとか食べ切れたと言うくらい。ウエスト締めすぎのせいか?ジブリの話になるのは昨晩テレビで千と千尋の神隠しが放送されていたから。私はほんの1分くらいしか見なかったし、こわいという印象が多めすぎちゃってあまり見返せていない、特に導入部はよく覚えているが後半はかなりおぼろげ。両親が豚になるのがつらい、こわい。映画館で見たときは15歳のはずだがそれでも10歳の主人公に自分を重ねていた。ジブリにおいて(宮崎駿作品において?)それは避けられないものだ。私的にはもののけ姫の方がお気に入りで、もちろんそれより前の魔女の宅急便ラピュタは別格で、他の監督の作品はまたそれぞれの立ち位置で、と考えるとジブリを子供の頃から見て育ってきた日本人にはあらゆる角度からジブリが植え込まれているのだなと思うと本当影響力は計り知れないほどでかい。

15時半くらいで仕事終わり。帰る。暑いけど扇風機で過ごす夕方が好きのような気持ち。だって今にしかない。この蒸し暑さをだらだらと体で受け止めている。とけてしまうような一体感。暗くなってくると風情が消えるので冷房を入れる。日記を書くつもりが書かない態度。ジャズトゥナイトで菊地さんのぺぺが流れた。大友さんがもう長い付き合いだからと言いつつ、昔、この曲を一緒に、どちらかのリーダーバンドでやったことがあるがすごく良い曲、またぺぺの演奏もテナーサックスがとても素晴らしいと行ったことを喋っていた。菊地さんといえば私の中ではテナーサックスであり、パソコンでネットを見ていながらついぼうっと曲の良さという沼に滑り落ちてしまうような感覚が何度かあった。

午前中に銀座の美容院へ。先月、大宮でずっと切ってもらってた美容院で切った髪が気に食わず自分でざっくり切ったのだがいかんせん量が多くて梳き切れていないので頭が蒸して暑い。なのでやっぱ整えてもらわないとなということで、母が行っているところに時間を前後させて一緒にお願いする。年末に一度切ってもらっていて技術は良いなと思っていたしそもそも先月の時点でもこっちでお願いしようかなと思ったりしていた。でもなんとなく長年通っているよしみで選んでしまった。でももう最近はいまいちに感じることも多かったしと思い切ってもうこれからは変えよう。銀座の方が近いし。自分で全体を切ったのだという話をしたら美容師さんには驚かれた。まあそうだろう、我ながら一応それなりにちゃんとした風には切れているから。髪色を褒められたのでなるほどと思う。カラーは良いんだよなあ。明るめの色でこの先も試してみたい。よく考えたら私の職業は髪色にもなんの縛りもないのだった。ヒゲも刺青もオーケーなようなものだ。でもかといって私はそもそもそれらに興味がないのだった。

お昼は高松のアンテナショップで食べる。広めで落ち着いた良いところだった。若い人は少なめ。美味しい。無印に行って資生堂ギャラリー行ってキルフェボンでネクタリンのケーキを食べた。ケーキならいくらでも食べれそうになった。髪の毛が軽くなり蒸れなくなった。嬉しい。技術は面白い。イデーのラグが欲しい。いやライトが。いや広い部屋が。

群馬の美術館へ行こうと思うもやっぱりかったるいかもと考え始めてしまうとだめで、結局電車とバスの乗り継ぎが悪くなった時間で諦める。あほくさい。そうだ図書館に行って雑誌を読み込もうと思っていたはずだったじゃないか、と思い出してとりあえず出かけることに。でもまずは大宮のそごうに行ってナルエーのパジャマを買う。迷ったけど青のチェックの綿でショートパンツのシンプルだけどレースがついててかわいいものにした。クーラーつけたくないのでパジャマの涼しさと快適さは大事、と結局行き着く。結局この夏はナルエーでパジャマ2着を購入。3000円くらいで買ったパジャマは綿とポリが入ってたからか着心地が微妙で色も紺にしたら毛玉がわかりやすく出てきて着る気を失ってしまった。無駄遣いした。

ロフトで化粧品なども買う。うろうろ。そういえば昼を食べていなかった。エキュートで蒸しパンと飲むヨーグルトを買ってホームのベンチで食す。あっという間にとりあえず腹を満たせれば良い。お腹の音が出なければ良い。浦和の図書館へ。このでかい図書館が近所にあったらなあとただの夢想を考える。ほんとはアサヒカメラのバックナンバーを読みたいと思っていたのだが、あれ?ないな?他のカメラ誌ならあったので、単なる思い込みだったようだ。むうん。しょうがないのですぐそばにあった美術手帖の塩田千春特集を読む。結構面白くて、へえ、と読む。こないだ近美でもわりと初期?のビデオ作品があったのでそれについても詳細が書かれていた。浴室で泥水に浸かり手でその泥水をすくっては拭う。もちろん泥が取れることはない。その手、指の隙間からうかがう眼。皮膚にまとわりつくというか、染み付いているかのように、一体となっているかのようにまとってしまっている泥。それはシンパシーを感じるものがあった。自分にとってはそれはまるで涙のようなものどだと思った。もし学生の時にこの作品に出会っていたらそれはもっと強かったかもしれないし、影響を受けてしまったかもしれない。それほどに思った。ずっと読んでたら頭痛がしてきた。夏は毎日のように頭痛だ。帰ろうかなと思うも、そういえばと思って文芸誌のすばるのバックナンバーを探す。確か少し前に金川さんのエッセイが載ってたはずと思って。金川さんのお父さんについての文章で面白いなと思うのは(写真集の日記でまず思ってたこと)とてもちまちまとああだろうかこうだろうかとまるで推理していくみたいに筋道をたどっていくのだけど結局わからない、といったところにたどり着くところだ。私はまずそれに好感を持った。わからなさにたどり着くための思考が私は好きなんだろう。冷静さと冷淡さは違うものだが、人の心の中でそれらはからみあう。ひとの家庭や親子関係というものは、自分とは全く別物でありながら似たり寄ったりでもあるような感じがするのが最近は不思議に思っている。最後の最後に金川さんが自身のことを書いていて、それはこないだ聞いた話のことだった。面白いなと思った。なんか、最後。得体は知れないものが立ち上がった。

坂本さんのチケットが先行予約で当たっており、なんとなく2枚で買っており、そうだと思って、いや前々からそうだと思っていたのか、ツイッターでフォロー関係にある方にDMで連絡を取ってみる。私はずっと、ネットで知り合った人に実際に会うとかってなったときいつも声をかけられる側でしかあったことがない。自分から声をかけたことはないはずで、それはいつも受け身で来たってことだよなあという思いがあった。なんかそれもそれだけではつまらない気が年をとったせいか、してきた。音楽などの趣味が合うとか、好感を持てるとか、書いてることに信頼ができるとか、そういったことを感じられる人などというのはそう多くいるものでなく、ツイッターでも音楽の趣味が似通っていそうな人だなと思ってもフォローまでする人は少ないものだ。どんな風に書かれるか、書かれるものが出てきているのか、といったことが自分には気になってしまうのだろう。そういったことがより実感としてわいてきたようなところもあり、知らない人を知りたくなってしまったりするのだろう。今度行くライブでチケットをお渡しすることになった。

両親と朝ごはんを近所の星乃珈琲店に食べに行く。ちょうど良い。アイスコーヒー大を飲んだ。天気も悪いのでボルタンスキーの本を読んで過ごす。でも暑いせいか寝ても寝ても眠気がやってくる。大して読み進められない。頭が悪くて嫌だなあと思う。でもそこからは逃れられないので受け入れる。夜ご飯が用意される、私は何もしていないのに。それがすごい。

行こうと思っていた空間現代のライブに行かない。なんか、ただ、なんとなく、めんどくさくなってしまった。時々こうゆうことがある。体調が悪いというときもあれば、そうゆうことでもないときもある。行きたいんだけど、なんか、暑いせいか、何のせいかよくわからない。絶対行けばよかったと思うはずと思うのに、行かない。家から10分とかなら行ってただろう。結局めんどくさいのか。ああでもやっぱ行けばよかった。聞きたかったな。そう、この後悔を味わうためにだ。