子どもの頃に母から繰り返し聞かされた話がある。それは母と自分だけのシーンもあれば、他の人もいてその人に話すシーンもあったと思う。母も自分で繰り返し同じ話をしてることはわかっててしていたはずだ。だって本当に何度も聞いたのだ。
そのひとつが、私が赤ん坊のころ、おんぶか抱っこを常にしていないと泣き出すので面倒をみるのが大変だったという話だ。聞くたびに、またその話か、と思ったもののもうしないでなんて言えなかった。私はその話を聞くたびに申し訳なく思わされた。私は母の手をわずらわせ、面倒をかけ、不快な思いをさせるダメな赤ん坊だったのだと考えていた。加えて父に渡しても泣く、という話もそこにくっついていた。それを聞いて父にもいやな気持ちにさせて申し訳ないと思っていた。小学生の間にこの話は何度となく聞いた気がする。もしかしたら5回程度だったのかもしれない。でもそれが私にとっては何度も、になっている。
あとから解釈すれば、母はその愚痴を私に話していたんだろうと思う。おまえを育てる苦労、そこで奪われた自分の時間、というのを私に理解させ押しつけたかったんだろう。一種、冗談だったかもしれない。母は冗談のように悪意ある言葉をよく吐く人だ。でもそれは冗談としては通じないようなひどい発言であることが多い。
いつだったか、数年前、何かで赤ん坊が子供の頃に手がかかるのは当然なのだ、という記述を読んだ。たしかにそれはそうだと思った。そのとき初めてそうか赤ん坊の私が悪いわけではなかったのか、と思った。悪い赤ん坊、なんて、どこにいるだろうか。そんなことまったく気づかなかった。だから、親が子に子育ての愚痴なんて言ってはいけないことだと思う。あまりに影響が大きすぎる。善良な親ならそんなこと当然言わないんだろうか?
けれど母は今だって同じ話をすることができるだろう。自分がどれだけ苦労したのかを語らずにはいられないだろう。実際そうだったろうと思う。夫の給料は少なく、子供に関心もなく子育てもせず隣に住む義両親たちも孫に興味がなくなんの手助けもない。そのつらさを娘に語らずにはいられないのだ。
けれどその話は何度聞いても私が悪いのだとしか受け取れない。私がいなければ、生まれてこなければよかったのだという話としてしか受け取れない。母がその話をするということが私には悲しいことなのだ。なぜ私にそんなことを話すんだろうか。ずっとこの傷つきが消えない。むしろ最近になってより一層このことが憎く、怒りがわき起こってくる。誰にも話したこともなく、ただひたすら長年自分の中で繰り返してきた疑念が今になって怒り、というか、うっぷんというか、許せなさとして私に立ちはだかっている。まるで私だけが悪いと言わんばかりだった、私の記憶の中でこの話をするときの母の顔、声、目線に私はいまだに傷ついている。そんなことをした母が許せない、けれどそれをはね返したり消し去ったりふみ倒したりすることはできない。
母はよく私の問題ばかりをつらねた。じっとしていられないんだから、ということもよく言われた。自分ではそうなのかどうかも分からなかった頃。しかし繰り返し言われるから私はじっとしていられないんだ、と理解した。運動神経がない、もそうだった。それはかなり思いこまされていたと今には思う。ヒステリック、ヒステリーを起こすということも何度も言われた。それもまた何度も言われ、そのたびに私は傷つき更に更に泣き叫んだ。それはそんなレッテルを貼らないでくれという叫びだった、そんなことを言わないで、見捨てないでという叫びだった。けれどその叫びは一度も母に届かなかっただろう。これらの傷つきの場面をいまだに思い起こすのは、そのときの傷が癒えてないからという単純なことなのだろうか。
親からの愛情を受け取れなかったから自分が人に愛情を抱くこととか、愛するということはよくわからないし、できないことなんだろうと思ってたけど、それより、見放され見捨てられることを恐れるからなのだろうか。その記憶が恐ろしいから、できないのか。というかそれらセットか。