朝から現場。昨日の夕方に急に頼まれたらしい。上野で待ち合わせだったのだが、雨で低気圧の影響なのか起きた時からひどくだるかった。バスは2本くらい見送って座れるバスに乗った。ひどい眠気。最近夜寝る時間が前より遅くなってしまっているせいか。電車は上野止まりのに乗れたしそこまでは混んでない。バス降りてから走ってなんとか間に合った。ドアの角のとこで立っていた。まあ座れなくていいかなって感じで。尾久を出たあたりで、急に、あれ?なんか気持ち悪いかも?と思った。吐くのか?確かリュックにゴミ袋は持っていたはずだけど、、と一応確認した。でも吐く感じではないな?これは気失う系なのでは?となんとなく冊子がついてきた。うーんこれは立っていられなくなるのかもしれない、うーんと思っていたら予想通り血の気がひいてきて、そのままずるると棒につかまりながらしゃがみこんだ。あ、なんとか気は失わずに自力でしゃがめた、というのは少し安心したが、ああ水が欲しいと思った。呼吸が荒くなっていったから下手すると過呼吸になるなと思って、おちつけ落ち着けと自己暗示。うう誰も助けてくれやしない、悲しい、悲しすぎる、無慈悲。いいよいいよ別になんとか大丈夫だからとむしろここで意固地になる反骨精神でどうにか立ち上がる。ぐったり。もう、すぐ上野だ。大丈夫大丈夫と自己暗示。あああもうやだやだほんと悲しくて帰りたい。上野でみんな降りる、でもその時すぐそばに立ってた40か50代くらいの男性が、大丈夫ですか?と声をかけてくれたので言うならもっとはやくに言ってくれと思いつつ、こうゆう人もいるにはいると思って泣ける。水を買って、なんとかあさいさんと合流。足もとはふらつくし、車に乗ってからもしばらくぐったり。久々になったなー。しんどかった。前に気失った時もそういえば大宮ー上野間だったではないかと思うと鬼門だな。年をとってまたこうゆうことが増えていくんだろうかと思うと年取るのほんとつらい。ただただ体の不具合が増えていく。

現場ではNさんも呼んでて現場で一緒にやるのは新鮮だ。もともとここのスポーツクラブの仕事は私は事前か事後のちょっとした作業の時にしか入らないから、全体について詳しくはしらないことが多い。だからサポート的な位置にまわるしかないが、いかにそのサポートをこなせるかが気になる。良いアシストをすることができているのかどうか、というか、そうするためにはどうしたらいいか、というのを行動に移していかねばならない。職人はもちろんみんなそれぞれのやり方があるし、それにすんなり応えられたらいいとは思うが私も自我がある。あれでよかったのかなーといつも気にかかる。お昼をとらずに進めて、食べれたのは14時半くらい。会社まで下道でいったのだが、ものすごい睡魔でずいぶん寝ては起きて寝た。道が混んでて運転大変そう、と思いながら。こんなに車中で寝たのは久々で、やっぱ体が変なんだと思う。疲れた。

仕事は休み。昼間ずっとラジオを聞いていた。ジェーン・スーの生活は踊るの相談コーナーが、20代だったか30代だかの男性から婚活パーティーで女性ウケする服装を教えて欲しいという内容のものだった。それへの回答の内容、会話が私にも目から鱗みたいな感があった。まず大事なのは清潔感って話だったのだが、前提として女性と男性の清潔感には大きな差があるというのがそうか、よく考えたらそりゃあそうだと思った。はたちくらいの頃にだったか、世の中はどうしてきれいな女性の方が多くてその数との落差がある男性が多いのか、この不釣り合い具合はなんなんだ?と思っていた。自分が女だから女性がスキンケアから美容や化粧にかける時間、手間、お金のかかり方は幅はあれど察しがついていて、10代の頃なんかは女ばかり金がかかるなんて最悪だ、男に生まれたかったともそう言えば思っていたもんだけど、まあだからこそ女性の多くはきれいなのだ。清潔感なんてわざわざ口にするまでもないこと、当然というより普通すぎちゃってわざわざ意識することもないような。日本人女性は毎日きれいに身なりを整え過ぎ、欧米人とか全然そんなことないみたいな話を前にツイッターで見た気がするけど、まあそれも結局個人によるのでは?って気がしてしまう。確かに女性がきれいさや可愛らしさ、整った身なりを求められてる大前提はあると思うし、特に職業においてそうゆう要求がありすぎるのはおかしいのだけど。でもそういった装飾性への対応は個人間の差が出るにせよ、女性の清潔さへの心配りは男性に比べて圧倒的に高いだろうと思う。それが誰かに好かれるためなのか、人に受け入れるためなのか、自分のためなのか、どれかひとつと言えるものでもないだろうけど。男性がなぜ女性ほどには無頓着でいられる人が多いのかは謎だ。でも明らかに差はあるし、大きいもののように感じる。清潔感と言っても、果たして女性のいう清潔感と男性の想像される清潔感とはずいぶん隔っているのかもしれないと思うと、宇宙規模の話のように感じられてしまい、清潔感を共有することの無限さを感じた。多くのお金をかけずともそれなりでもスキンケアしたり髪の手入れしたりなんだりとあれこれ手をお金をかけてる女性たちがきれいで可愛いのはそりゃあ当然のことだよなあとしみじみ思った。それは褒められて然るべきだなと思った。スーさんが、女性たちが男性たちと同じレベルのまま街に出たら大変なことになる、みたいなことを言ってたのがおもしろかったな。そして男性は記憶に残らないくらいのみんなと一緒の服装でいい、という話になるほど、と思った。男性もスキンケアとかすればもちろんきれいになるのだろう。みんなやればいいのに、と思う。もちろんやらない自由もある、性別関係なく。

新聞で新しく始まるドラマの解説を読んだら、アラサー独身女性、仕事はできるが家事が苦手でおじさん家政夫を雇う、みたいな内容で、おえーと思ってしまった。別に内容としてそうゆう設定はまあいいかなと思うけど、そんなんがドラマの大きなテーマ設定となっているのが、おえー。これがアラサー独身男性だったら仕事はできて家事は苦手、でも大した話じゃないとされるのではないか。女性だと仕事はできても家事ができないのでは恥、仕事ができる代わりに家事はできないというみじめさ、みたいな感覚ほんといやだよ。仕事ができるんだからそれでいいじゃん、その稼いだ金で家政婦でも家政夫でも雇えばいい、それがいいじゃないか。それの何がどこが悪いんだろう、わざわざドラマの設定として大々的にうたうことだろうか。女は仕事ができるより家事ができた方がかわいい、みたいなのはつまり男に都合がいいってことだろうと思えてしかたがない。まあドラマ実際に見てはないからこんなこと言うもんじゃないかもしれないけど。愛の不時着のユン・セリは家政婦雇ってるのなんて当たり前過ぎて登場すらしなかった。

朝から会社に行ったが特別やることはなかった。土曜日にやってしまったらしい。それならまた北千住の部屋に片付けに行くかなと考える。ちょと早い気はするけど、はやいうちに片付けてしまいたい気もある。次の部屋はキッチンのシンク上の棚がないので、ラブリコで棚を作ろうかなと思案しているが、会社にもそれで棚を作ろうかなとあさいさんが言い出した。まあ引っ越してからじゃないと作れないが。12時半頃に部屋について、お昼も食べずに19時半までぶっ通しでやりつづけて、どうにかすべての荷物の箱詰めとおよその掃除までやり終えた。でろでろのくたくたになった。引越し業者から使わないと思うんですけど、と言われて受け取った段ボール大小あわせて20箱を使い切り、足らず、自前でとっておいたヨドバシなどの段ボールを使った。段ボールにおさめてない荷物だって多いのに、段ボールまでこんなに使うとは、なんておそろしい。まあやっぱり本がな、くうよなあ。あとは当日の朝くればどうにかなるだろう。まあよく考えたら古さからくる使いづらさもたくさんあったし、振動はうるさいし、階段もぼろが来てるのに放置されてるし、住み続けなくてちょうどよかったかなという気もする。それでも、2年弱住んでこの街を去らねばならないことはとてもさみしい。あさいさんが、私とこうして帰るのももうこれで最後かなとか言って残念そうなさみしいような風にいうので、まえからそんなん言ってるけど、いやまあ私も収入がもっとあればここに住み続けてますけど?と思いながら言うわけにもいかないしそうゆう時はただ黙っている。都内で自分が住みたい条件だと給料が減ってるいま、そうそう家賃をあげてまで住むことはむずかしい。部屋探しでゆずれないのは、25平米はほしい、ガス2口、バストイレ別、できたら2階以上、鉄筋もしくは鉄骨は条件による、ってあたり。20平米で探せば全然違うと思うけどもうそんな狭いとこに住んでるのは嫌なのだった。それは大学のときでもうじゅうぶんって感じがあった。要は今のとこと同じ条件、でもすこしでも築年数は浅い方がよくて、家賃も上げても3000円くらい、となると、国分寺とかならいけただろうか。中央線沿線も会社通勤的にはありなわけだが、なにぶんそっちのほうでひとり暮らしするのは心細すぎるし、夜中現場で帰りを送ってもらうにも不便すぎる。会社の立地に左右される面は大きい。あととにかくなにかあったときに頼れる人がいないというのはこわすぎる、というのが念頭にあった。この、いったい、なにをこわがっているのか?というのは我ながらよくわからないでもいるが。こないだもそうだったけど、20時くらいの電車がそこまで混んでないのは以前とは違うよなあと思う。また仕事があるか、ないか、で不安の波にさらされる。ないならないで仕方ないけど、これがこの先もずっとそうなのだろうか。そしたら会社つぶれよなあ。そのとき自分はどうできるだろうかな。実家で新聞読める生活があるとやっぱ新聞はいっぺんでいろんな情報にアクセスできて良いなと思う。これおかしくないか?と思う記事ふくめて。安藤忠雄が大阪に新しくつくったという図書館、そのインタビューになんかなんか違和感を感じるかもみたいなこととか。

この1週間はなんだかあっという間になくなったような。なんでだろう。現場がつづいて、現場出ると半日でもすっかり疲れてしまう。現場の仕事しかないみたいのは、会社立ち上げた頃と似ている。最初の頃もそうだった。現場仕事ばっかりのところから始まった。またそこに戻ったみたいだ、なんて思うのは気安いことだ。よく思い出せないけど6/30の火曜は22時からの現場、だから15時に出勤、そのまえに本屋行ってたまたま目に止まった、でも前にもどっかで目にしてた、ペク・セヒ「死にたいけどトッポッキは食べたい」を買った。紀伊國屋なのだが、本のカバーは袋に同封という形だった。うーん?現場に行く前にデニーズで夜ご飯を食べた。いつもの会社近くのデニーズ。夜は昼の店員さんたちと顔ぶれが全然変わる。現場で新しい営業さんに会い、そのうえの客の人も担当者が変わるらしく新旧のふたりで来てて、見てるだけの男性が4人になっていて相変わらずの感じだった。駅直結の真新しいビルだが、飲食店が入ってることもあり私がしゃがみこんで作業してるところにゴギブリがあらわれて、大変だった。私が。あいかわらずわたしやばい人だなと思った。みんなドン引きしてるのはわかったし、それによってなぜかますますなんでこいつら何もわからないんだよと思って自我が崩壊するのだった。あさいさんから見ると、そう見えるらしい。あんなひとまえでぼろぼろ泣けるなんてすごい能力だ、と思えるくらいたしかに自分から剥離した人格のようなものだ。この反射神経的なものは、こどものころ、中学生くらいまで雷がなるとそれだけで涙が出てきていたのとまるでおなじだと思う。体がおぼえているんだよなあ。これまでの恐怖感がすべてよみがえる。ごっそり疲れた。あさいさんは笑ってたけど。私がもうやだと言い出したときはやばいと思ったというのが笑った。殺人鬼より虫がこわい、きらい、死にそうな。そのまま水曜日はぐったり寝てた。木曜日にユーロスペースに「はちどり」を見に行った。せっかくなので会員になる。2回も見にくればもとはとれる。会員になってれば見に行くハードルがそれだけでさがる。平日の昼だがそれなりにうまってた。もちろんひと席あけた数。映画は、なぜか、あれ?というくらい自分には入ってくるものがうすかった。わかるわかる、と思う描写もあるのだが、総じてうけとめるものとしてこんなにうす味なこともそうそうないって感じで、ツイッターでは絶賛の声が多いのもあってこれはいったいどういうことかしらと思う。主人公は中学生の少女なのだが、それだけにわかる部分とまったくわからないような、自分はたどってきてない経験の部分も多く、そのことにずいぶん他人事としてしか見れなかったかもしれない。映像はよかった。集合住宅の雰囲気とか、塾やその帰り道の風景、カラオケやクラブみたいなとこに行く遊びかたみたいのも女子っぽいなあと思う。親にひどいことを言われるくだりなどは自分が重なってつらかった。親ってほんと最悪だよなあと思う。親という人たちも未熟な人にすぎない。けれどこどもに言葉をあてつけるのは絶対に違うのだと思う。映画を見合えてからモスでチキンとコーンスープをたべた。ほんとはイメフォでもう一本見ようかとも思っていたけど、都内で感染者が増えてきてるのがなんだかこわくなって電車が混まないうちに帰った。金曜日は朝から現場。早出しなきゃならなかったのにおもいっきり寝坊した。でもこうゆう時のために洋服もカバンの中身も前日に用意しておいたのだった。午前中で終えて、ブロンコビリーでお昼を食べた。なんか暑くなってきて食欲も落ちてきて、いつもより食べれない。そして体がものすごくだるい。あさいさんにマッサージしてもらったら腰、尻、太腿がまた強烈にかたくなってこっていた。すごいことだ。土曜は昼前にひとり暮らし部屋に行き、荷物の片付けをした。朝に食欲がなくコンビニ白玉とあずきをあわせたのを買って食べた。そのまま昼も食べずに15時過ぎまでやってひとまず服や本や布団などまでやりおえる。あとは台所と洗面所など。つかれる。荷物多すぎ。こわくなる。日曜、今日、どうしても疲れがとりきれてない。そのうえなんか夜更かしの癖がつきはじめてる。毎日ちょっとでも愛の不時着見るのが癒し、みたいなことになっている。主人公の2人の年齢が作中ではっきりと口に出されることはないが、30代だなってのは見た目から推察できる。でも、決してだれもがその年齢だから女だから男だからって結婚とか出産とか仕事についてわざわざケチをつけてこないというのが、すごいと思う。そんなことはこの作中でまったく問題にもなってない。そのことがまるで新鮮に感じてしまうと同時にとても心地よく気持ちよくそれでいいんだと、なにもおかしくなんかないんだと受け止められる。そのことがうれしい、って、なんか変だけど、でもそれだけ今までそんなドラマを日本で見たことがなかったってことなのかと思うと、毒されてる自分がこわいくらいだ。なんもわからん人が見たら、このドラマをおかしいとでも思うだろうか?結婚することが一律の幸せだなんてどう考えてもあり得ないことなのに、それでも人は結婚に願いや望みを託さずにいられないの?赤々舎からクラウドファンディングに参加した本が届いた。猫が早速枕にした。

5年前くらいにイケアで買ったデスクライト、色を変えたいと思ってスプレー塗料を買ってあったがいざやるのはめんどくさい。でもやらないと、とようやく動く。とりあえず壁になるダンボールをつぎはぎして作ったがいまいち役割を果たしてなかったかも。でも家にでかいダンボールはない。会社ならいくらでもあるのに、とか思っちゃう。前に部屋のドアをぬるときに使ってあまってたスプレーのプライマーをかけてからマットグレーのスプレーをした。スプレーでやるのは初めてだし、まあこんなもんかってかんじ。ムラなくできるのは良い。おもしろいから他にもなんかやりたくなるけどやるべきものはない。18時過ぎに家を出て現場仕事へ。武蔵小杉まで下道で行ったからかるく寝そうになった。仕事はさくっと1時間ほどで終えられた。しかし金曜の筋肉痛がひどくて体がまだだるいなかでまた現場ってのは憂うつになるものだ。それにしても、なんか夜に外出する、車に乗ってるってのがすごく新鮮でびっくりしちゃったな。エキュートがまず18時過ぎに全部シャッターおりてるのもびびっちゃう光景だけど、西東京市のあたりはなんか静かすぎてこわい、でも武蔵野市入ると吉祥寺とかめちゃくちゃ人いるし、なにがふつうなのか、だったのか、基準がわからなくなってしまう。夜をこんな風に感じて味わうことを久々だと感じるなんて、奇妙な感覚だった。そうか、そうだったんだな。いくつものなにかはたしかに変わっていて、そのなかに自分はいる。誰しもがいる。自分は変わってしまう、変えられてしまうというのを外部からこんなにも提示されるというのは、わけがわからないことのようだ。それにも、慣れてしまうだろうか。