qyu2005-10-16

なんかまるで毎日というか、時間があっという間。今日は朝っぱらから掃除機を逝かせてしまった。今年のお正月にお年玉で買ったばかりの掃除機が、だ。maxへこむ。泣いた。私の部屋はフローリングだ。そのうえべつにここは新しいわけでは恐らく全然ないので、よりホコリが立ちやすい方だと思われる。3日に1度掃除機かけるのは普通なことだ。布団だしね。そんな状況下において掃除機がないというのはあまりに致命傷すぎて、頭を回すことがデキナクナリソウだ。どうしよう、ほんとうに、どうしよう。新しいものを買うだなんて、お金が、惜しい…。かと言ってほうき類もなぁ、どうなんだろう。仕方がないので今日は久しぶりに雑巾がけをしっかりしてお掃除。しばらくちゃんとやってなかったからなぁ、雑巾がけも。それが祟ったのかな。そしてなぜかベランダも大掃除。うちのベランダってなんで緑色しているんだろう。かわいいじゃん。まぁそんなお陰で予定が狂いまくって掃除しまくってたら14時くらいになってた。なにやってんだろう。


それから買い物へ行った。茄子を立派なのが袋に詰まって190円くらいで購入出来て幸せを覚える。茄子大好きだんな。あとブロッコリーが1株29円だったから2株購入。それで今日の夜ご飯は麻婆茄子とブロッコリーと人参と玉葱を茹でて味噌とマヨネーズで和えたサラダ(?)にしてみた。私は中華料理が大好きなので、テンメンジャンも大好きで、付け加えて大好きな茄子となれば、麻婆茄子って最高。生姜とニンニクとネギのにおいが香ばしい。あとブロッコリーの方が、これまた凄く美味しかった。あうなぁ、味噌マヨ。昨日は、手羽先と大根と卵の煮物を作った。手羽先も大好き。でも手羽先はやっぱりスープ系にするのがいいかなぁと思った。でも手羽先はそんな滅多に買えない。そして昨日の朝ごはんには久しぶりにフレンチトーストを作った。幸せすぎた。
時々ふと思う。こんなに毎日しっかり作らない方が安くつくんじゃないだろうかって。たぶんきっとそうなのだ。私は自炊にわりとお金をかけてしまっている、ついつい。しかしでもそれが楽しい…。なんか思わず毎日違うものを色々食べたいって思っちゃう。色々な食材を色々な手法でと。うぅ〜んこれが料理好きかどうかと聞かれたらまたむつかしいんだけど。作るのが好きというより、食べたいから作ってるだけで、でもまぁ楽しいかな…。なんていうか煩わしいけど。



うー、なんか最近毎日書けてないから、いっぺんに色々書こうと思ってて、でもそうなると忘れている。みくしぃを見て思い出すこととする。遡る時間。


金曜日は久しぶりにY家で計4人で鍋。長ネギがべらぼうに美味しくって、多分私は3本中1.5本は食べたと思う。だって、自分の皿に入っているのに、また新たに取ってを繰り返していたから。へへへ。やっぱり鍋って良いな、楽しいな、美味しいな。またやりたい。


木曜日はスポ研。しかしつまらないことにトレーニングルームだった。そして初めてチャリこぎマシーンみたいなのをやってみたところ、これが予想に反して汗だく。15分走って60kcalくらいの消費。地味だ。
午後は久しぶりに第九の授業。久しぶりなのもあって、久しぶりにI先生の素晴らしさに感動する。先生はもうね、人類として素晴らしいんじゃないかと思うわけだ。先生はよく名言を吐くが、この日の先生の名言「三拍子を自分の価値観として、美意識として持つ」。これは第九のフーガ部分での話の時のこと。以前から、歌う際の自分の美意識を持つことを先生はよく言っている。私はこの話が凄く大好きだ。美意識という意識は結局、その歌うことだけでなくて、自分自身の全てに言えることになるから。私は特に「美」という言葉にはわりと関心が強いから、余計にそう思う。自分の中に自分の「美意識」を持つということは、とても重要なことだと思うのだ。なんかあんま上手く言葉に出来ないんだが…。
先生の話はいつもそう。歌うこと、音楽という世界だけの話ではないのだ。それは人間としてある世界全てに繋がってゆくように感じるし、先生の物事の捉え方は確実に音楽だけでなくてもっと広く広く先へと伸びている。そうゆう話を聞いた時の感動といったら、地面から突然ズボボボボボっと立派な成熟した青々と茂っている木が生えてきたかのようなものなのだ。そんなような、巨大な誕生性を与えられる。自分の中に瞬時にして入り込むと同時に生まれ、根付く。それはべつに科学的に驚異的なものとかっていうんじゃない。日常に確実に繋がっているんだけど、普段の自分では見つけられていそうで、見つけられていないもの。それはとても大地的だ。
多ジャンルの横断みたいなものを目指すらしいうちの学科においては先生も様々いるが、やはりどうもジャンル意識は捨てられない。先生の話を聞いていても、え?それって視点偏ってないですか?と思うことはよくあるが、まぁそれはしょうがないしそうゆうものなんだと思っていたりする。しかしI先生はそうゆうのがぜんぜんないから、本当に素晴らしいなぁと思う。んー、もちろん良い悪いじゃないんだけど、人としての物事の捉え方がとても理想的なのかなぁ。ストレートに、わーすごい、と思う。
先生自身が発しまくる表現力も見事に素晴らしく感動させられるものだが、先生の受け取る耳もまたすっげーなぁと思った。音楽やってる人なら多くの人はそうなのかもしれないけど、こんなにリアルに感じる人初めてだから思わずとっても驚く。歌は歌うだけじゃなくて、聴くということもとても大切だ。歌うという行為を通して自分の体と付き合うこともあるけど、合唱ということにより他人と自分とがあわさっているということがまた、とても斬新なことに感じる。小学生の頃からやっていることなのだけど、合唱を歌い、聴くということを改めてじっくりとすると、凄く新鮮。先生の歌声を聴くのがさりげにとても楽しくて嬉しい。
先生の言葉はマジックのようだと思った。先生の言う言葉には思わず嘘偽りが無いと思うのだ。それが世間一般で正しいかどうかは分からないにしても、確実に私はその言葉、世界に正しさを見出す。それは、普段他の先生や他様々なことに疑問を抱いて生活している中ではとても奇妙なことに自分でも思わず思うものだ。思い出せば、I先生を初めて見た時、F学科のT先生に似ている!と思ったものだ。T先生の言葉も、マジックだ。T先生の授業を受けたとき、やはり先生の言葉は心底信じれるものがあったし、確実にそうなった。2人の先生に共通することは見た目。背が低い。私と同じかもしくは低いくらい。私が161cmくらいだから、そうゆうこと。そんで髭が生えてて、ちょっともじゃっとしてて。そんで多分年齢も同じくらいなのかなぁ。うーん、あと決定的なのは2人とも本業は他学科の先生だということ。
なんか思わず、芸術のとんでもない、とてつもない魅力を感じる。すごいなあ。



ちょっと一気に色々書いて疲れちゃった。