α sweetⅡ


さようならかみの毛。



今日は久しぶりに泣いた。泣いて泣いて泣いて声をさけびあげるように泣いて泣いて泣いて泣いた結果、頭痛…。大体なんとなく昨日から悪い予感、というか、悪い気分になっていた。昨日は朝にゴミをどさっと出した。支度をして学校の図書館へ行こうとしていたけど、なぜか突然うつな気配、気持ちに襲われて、行かれなかった。そして、明日の(つまり今日の)ガイダンス嫌だなぁ、めんどくさいなぁ、行きたくないなぁという思いがよぎっていた。でも、重要なこともあるかもしれないし、行かなくちゃいけないなと思った。でも、夜になっても胸の奥ではいつものなにかが動き始めているようで、全体的に痙攣がしていた。夜に寝付くのもなんだか重苦しいものにまとわれて、体が脱皮の逆流をしているようだった。
昨夜何時に寝たのかはわからないけど、少し早かったのかもしれない。5時や6時に目覚めてしまう。それは癖でいつものこととしても、最近は起きるのが少し嫌になっている。いつもなら目覚めたらどんな時間でもすぐに体を起こしていたのに。いやいや7時半ごろ起こして、コーヒーは2杯飲んだ。昨日一気に沢山の食べものを体に入れすぎたせいか、おなかがふくれあがっている。今日は、なにも食べないほうがいいなと思った。憂鬱な気分は、体に取り残されているのがなんとなくわかった。しかしそれは取り払わなければならないと思った。でも、無理だった。もうすっかり頭が昨日からのうつ具合に満たされていっていた。そして悪化していった。ここ一ヶ月くらいはそういえばなかったように思う。卒業式のことなどで頭が満たされていたからかもしれない。まぁ、卒業式後の喪失感は、色んな交じりあいがあったかもしれないけど、もう既にあまり記憶もない。
泣き続けていると、ふいに、あ、今じぶん何で泣いているのかわからないなと思う時がくる。色んな問題点がありすぎて、それらをいっぺんに繋げて考えられなくて、もう、全部の線が切れてしまっている、錯乱していると客観的に泣きながら思った。これはもうしょうがないと思い、何に対してでもなく、泣かし叫ばせておくしかないと思った。去年の夏の終わりごろからか、頻繁にこうゆう泣き方をするようになってしまった。
ある一瞬、体中がゾクッとした。そしてその感覚を思い出してはまた泣いた。(私が言う泣くって、もう、なんかさ、泣くじゃなくなってきてる気がするから、泣くと使うのもどうかと思うけれど、叫び含む、幼い子供が声を大きくあげて泣きじゃくるそれと大分近いものであると定義しとくとする。)布団に顔をうずめたその瞬間、さながら宇宙で飛び回っている高速の隕石のような速さでそれは全てを映し出し私に与えた。あまりにも速いめぐるものだった。その速さにも鳥肌がたった。それは、一瞬にして、自分が生きているんだという私の今までの時間、年月、人、もの、場所を教えられ、私は私が生きていることにこのうえない巨大な恐怖心に襲われた。そんな経験は初めてで、あまりにもおそろしくって、体中にバネがめぐらされているかのようにビグンッとなった。その感覚がとてもこわかった。そう感じた自分がこわかった。とても。
私はやっぱり自分が生きていることに対して自分で許せない思いが強くあるのだと認識した。それは、自分が自分に向き合っていない、逃げてばかりいるからこその証拠なのだと思った。だからいつまでたってもこうゆうことを引き起こしてしまっている。
あたまが、ぱんぱんだ。



キッチン (新潮文庫)

キッチン (新潮文庫)

装丁の具合もなかなか好きなこれは、結構前にmちゃんから重複していたからといってもらった一冊。読もう読もう思ってやっと読んだ。頭が錯乱しているなか、落ち着かなきゃ落ち着けなきゃと思いミルクココアのごくりごくりと飲んだ後、一気に読んだ。
キッチンは、どの場面も会話もとてもみずみずしくて、それが美しい流水の渦を巻く姿を思い起こさせるようなところで終わってるのが、とてもいいと思った。今までに読んできたばなな作品のなかでこうゆうのは初めてだったから少し驚いたくらい。初期の作品だからかな。
つづくキッチン2はいつもの調子だったので、それはそれで安心というか。でもこれより、3つめのムーン・ライト・シャドウの方が結構気に入ったかな。会話の場面がなんだかとても好きだった。登場人物もいいし、景色もいいし、流れ方も好きだった。
そして最後のあとがきにて、ばななの作家としての思いみたいな文章が、ああそうゆうことなんだ、と納得できる発言だったので、なんだか、よかった。これからも安心して読める作家な気がそんな気がした。