今日はやたら天気が良くて、買ったばかりの青いカーディガンと青紫の上着を着て出かけるべきだと判断。昼過ぎくらいに東京近美の中平卓馬展へ。思い返せば前に横浜美術館で個展があったとき(まだ存命中か)興味はあったけど行かなかった。それはなんかこの人コワイ、などという感じがあったからではないか。確実にあった。でもそれが結局しこりのように残っていたから数年前の『なぜ、植物図鑑か』の論集を読んだのではなかったか。数年って、5年くらい前になるんだろうか。それを読んだおかげか、今回は全然コワイと思うこともなく、最近美術館行ってないけどこれは行かなくちゃいかんだろうと思って行ったくらいだ。でも最後のセクションで2000年代の青森での撮影風景の映像見たら、やっぱりなんかちょっとコワイと思うところがあった。論集を読んだとはいえほんと論集読んだだけで共に写真作品を追って見るなどはしてなかったから、そうか写真活動を始めて倒れるまでの間ってほんの10年くらいのことなんだということに驚く。でもなんかこの時代の写真表現の探究、面白かったんだろうなあと思う。雑誌などの表紙に写真が使われたとき、めちゃくちゃかっこいい。そしてなんと日記の展示があった。うおおおおおおと、どうしてもえげつなくも故人の日記の展示というものにめちゃくちゃ興奮してしまう。ノートに書いてあるものは、思いのほか字がきれいで誰でも読めそうなくらい。でもとにかく写真についての記述だった。でも私も日記のことばかり書いてたりするんだから人のこと言えないなと思う。故人の日記の扱いとは。パリのビエンナーレ参加時の展示一部再現は論集で読んでいたから、ああこれが!というのはあったけど、でもちょっともっとこれを肉薄した感じで見たい、と思う。沖縄で撮った写真もおもしろい。中上健次の文章に中平の写真という連載も迫力。しかし、こんだけ文章が書けて写真も撮って、というかそれが結託して貫かれているというのは、尋常じゃない影に覆われているみたいだ。今また論集読んだら何か違うかな?いやでも結構読むの大変だったからな、写真の話って読んだらそれなりに面白さは見出せるんだけど、苦痛もともなうからな、無理だろうな。客の入りが思ってたより良くて、老若男女いた。老寄りだったけど。でもこの先なんでもずっとそうなのか?

コレクションをざっと見て急いで有楽町へ移動。HTCでイ・ソルヒ監督の『ビニールハウス』を見る。公開2日目、ほぼ満席か。あらすじ読んだだけ、予告も見てなかった気がするけど、予想以上に刺激的で面白かった。主人公の女がビニールハウスに住むという住居による階層の提示があるけど、あまり悲壮的な感じはしない。ビニールハウスだけど、墨色のような覆いだから外と内の隔てはわりとある。でもそこはやはり農作物の畑に囲まれたビニールハウスでしかない。しかし介護をする勤め先の老夫婦からはとりあえず信頼がおかれていて車を借りて帰宅することもできる。認知症の妻の方からは妄想のような虚言などを言われてもそれはそれとしてぎりぎり受け止めているように見える。仕事の愚痴は吐かず、隠されているよう。息子が少年院に行っているためか、なにか家族や身近な人との軋轢や喪失などを抱える人々の自助グループに通いだし、そこで知り合った女にも親切にする。やめとけばいいのにとこちらは思ってしまったもんだが。でもその時も、あまりに感情が死んでいる感じがある。干からびているような。よくわからない人。でも思わぬ事故から認知症の妻をあやめてしまい、それを隠し誤魔化すために必死になり始めたとき、ようやく主人公は生きはじめるようだった。その後の展開も、取り返しがつかなくなると言ったふうにあらすじで書かれていたけど主人公以外の行動が交差してくることで取り返しもなにもないじゃんということになる。その交差がじわじわと迫っていくのも良かった。これどうするの?どうするの?とはらはらしっぱなしだった。新しく買う?借りる?高層マンションの部屋が実に韓国ドラマや映画でよく見るタイプ、作りの部屋で、その部屋で息子と暮らすということ、その憧れというか叶えというか自分がやる、することへの希求が良い描写だった。終わってみると、最初からどれもが良くできたおもしろさで、混じり合わない登場人物やシーンたちもが交差して通じ繋がっていたんだと理解できる。主演のキム・ソヒョンさんがとてもすばらしい。初めて拝見したけど、切れ切れの艶っぽさや可憐さのすきまからのぞき見えるような得体の知れぬ不可解さが見え隠れし、露出し、しかしまた隠されもするんだけどはっきりと見える意志があり、この人にはなにがあるんだろうかとめちゃくちゃ知りたくなる見逃せなさを表現していた。すごい。帰宅して感想をツイートする。