なんだかんだで日記を書きたい。だって書き始めると書けてしまうんだ。体がいくらでも書けるという。でもそれでも書かないという時、それがこわい。不気味。書いていたら正常でいられる、正常さの担保になってくれてるようにさえ感じる。書いていないのは体たらくで、怠けていることの証のように脅しのような存在であることがそこはイコールされる。日記を書いているという正しさ?

昼過ぎに母と会うことに。氷川参道のアップコーヒー前で待ち合わす。新都心から歩く。帽子をかぶっていて汗をたらす。3組待っていた。このようなカフェがここにしかないからここに人が集まる。ここでなきゃいけない理由とは何だろう。なんでもいいのにわざわざここを選んで訪れる。ドーナツが美味しかった。さくらんぼ狩りに行ったというお土産をもらう。私が誘われ、断ったやつだ。行けばよかっただろうかと一瞬よぎって、いや行かなくて良かったんだと思う。2月から4月の2ヶ月連絡を絶っていたのは結果的に良いことのようにして現在に影響している感じがする。自分の気持ちの問題だろうか、それとも母にも影響していることだろうか。わからないが。コクーンへ行ってkeenでサンダルを試着。楽天ポイントを使って楽天で買うつもりだから試着だけにしたいけど試着したら買わないわけにはいかない雰囲気が生まれる、それを果たしてのりこえられるか?と思いつつ。ユニークという種類の底がフラットなものとよりクッションが踵についたものとを履いて、フラットな方でいいだろうと思っていたが試着したらクッションの強い方がぴったりきた。最近はお店で試着することが億劫になりつつあるけどでもやっぱり実際試さないとわからない、それはわかってる。しかしそれの、白の、24サイズ、それがちょうど在庫がなく、ネットショップにもなく、他店のものも取り寄せられるかどうかはわからないとのこと、それはラッキーそれならネットで探してみますと言うことができた。ほっとした。そのあといくつか店を見て駅で母と別れた。それから迷って恵比寿に行くことにした。ナディッフアパートで金川さんの展示を見た。4ヶ月分を一月ずつまとめた冊子もひとつずつ見た。金川さんのだからあまりに当然みたいになっちゃってるけど、写真と日記がひとまとめになっている、ドッキングしているというのは、なんかまあすごく魅力的でおもしろく感じる、そのことに慣れたというか、それを楽しむ素地がすでに自分にはできてしまっているということか。セルフポートレートといってもそれは誰かに撮ってもらった写真で、そこに写っている金川さんは居心地が良さそう。裸を見るとは皮ふを見ることで、なんかやたら皮ふに目がいく気がしたけど冊子を見てたらきっと皮ふ科でもらったんだろうなという薬の容器の写真を見て、私はアトピーとか皮膚の弱い皮ふ科通いの人に対してそれだけで親近感を覚えてしまうから、それは知らない皮ふじゃなくなる感覚?、なめらかなすべすべの透き通るような肌よりも、がさっとした皮ふに地続きを感じるんだ。地下でやってた展示も良くて、色鉛筆を多色使いした鮮やかな絵というのが私はほんと好きなんだなと思う。ステートメントに書かれていた昔読んだ少女漫画の忘れられないシーン、描写についての話が良かった。私にもそうゆうものがある。見ると頭がすっきりしていく。だけど見ることがいつもこわくなる。自分は何も理解できないんじゃないかと思うと、作品を見るのがいやになる。なにもかも私にはわからないんじゃないかって。でもこうやって見ることは、見せてもらえることに勇気づけられるというか。それは作り手の覚悟の凄みの前にあっとうてきな高さの壁を感じるよう。さっさと帰ろうと思って金川さんの10月の冊子とヴァージニア・ウルフを購入してレジを去ろうとした時、エプロンをつけた店員さん?が軽くおじぎをしてくれていたのに気がついた。そういえばさっきから居たかもしれない。って、そうか、もしやこの人が太田さんか?と気付かされる。そのとき私はもうナディッフを出ようとしている。だって、金川さんの冊子にも写真があったよなあ。太田さんプロデュースの棚もさっき見ていて、うわすごい面白いことをしてるんだなあと驚きをもって親しみを覚えたのだった。特にVHSテープと本とを組み合わせた3点セットを1袋にまとめたものが異様なエネルギーを放っているようで、なんか、ああゆうものを久しぶりに見て嗅いだ気がした。それでその時ZINEを1冊買おうと思ったのに、すっかり忘れてしまっていた。ああ、見せてもらったんだし、買うべきだったなあと思いながら引き返しはしない。北千住に住んでた頃を思い出す。北千住なら日比谷線で帰るのに。何度も思い出してしまう。北千住に住んでた頃はやはり楽しかったんだ。帰宅して、迷ってたけどええいっと明日の金川さんのイベントに申し込んでみる。そのあと金川さんからメッセージがきて明日のイベントについて調整してもらう。日記を読む会に参加させてもらって、それが2019年か、それから何度か直接会ったことがあって、金川さんは見てる限り誰にでも開けた態度で接してる人だなと思うしだからほとんどの人は警戒なく話すことができそうだと思うしその人柄というのはとてもいい感じだと思うけど、私はでも日記を互いに読み聞きしたという経験からの信頼というか安心というか許容があると思う。それはだから10代の頃に私の日記を読んでくれててそのまま今でも付き合いのある、直接顔を合わせずともただネットで生存確認はできているというそれだけでもつながりを感じさせてくれている人たちが同じであるように。日記がそんなに特別かというと、そうだとも言えるし特にそんなことはないとも言えるし。でもそれは他にはない鎖のほどかれ方だとは思う。あとは多分それ以外にもこったが一方的に金川さんの文章を読むことで知り得るものごとから親近感みたいなものがより多くあるような気はしているけど、なんかそれが写真集の日記からなのか、日記を読む会で聞いた日記からなのか、実際会って喋った時の話なのか、日記ではない雑誌やwebメディアやツイッターで読んだ話なのか、『いなくなっていない父』で読んだのか、おそらく全部が混ざってるんだけど、なんか一方的に私が情報を得ているだけみたいで、まあそれでいいというかそれはどうしようもない部分なんだろうけど、なんかその状態の自分にキモさを感じないわけにもいかないところはあるよなあと。