今週ずっと体調が微妙によくなかった。それは生理前だからなんだろうと思いつつ、だから何?というのがある。生理前だから不調なんだ、いつもと何か違うんだ、それで気持ちが落ちつき片づくわけではない。なんにしたって体調が悪い不安定さにごろごろとした異物のある嫌な感じに襲われている状態がある。仕方なく生理前だからなんだしょうがないんだと自分に言い聞かせるしかない。嫌な気持ちのまま、消えないまま保存して。金曜に週末にしたいことの予定が立てられていないときは不調のサインだと思う。無理に出かけなくていいのか、出かけて気晴らしができたほうがいいのか。いつもわからないけどそうゆうときは結局出かけられないことが多い。日記でも書こうかと思いながら書けない。日記を書くのがこわいと思うのは書ききれるだろうか、書ききれないんじゃないかというおそれがあるように思う。全てを書きたいと思ってしまうから。そんなの無理ってわかってるから。出かけられないことのできなさが自分に否定的な重さとしてのしかかってくる。思えば今週かもしくはもう少し前からしばらく同じようなことを頭の中でぐるぐるさせていた。自分は友達もいないし、付き合うような人もいない、もちろん結婚もないし子供もない。それでいいんだ、と受け止めて日々を送りすごしている。でも何度もそこに揺さぶりがくる。それはもう知っている。それでも結局自分には無理なんだから、と理解して納得することの適切さにのって、日々を送りすごしてきた。これからもそうだ、そのはずだ、それが自分が存在していく方法。けれどそんな考え方をしている、そう考えることでしか自分を保てないのはみじめでかなしいものだよね、という視点が後ろから差してくる。私は自分を肯定することはできない。それは自分でも驚くほどにかたくなで、それをときほどそうとするのは絶対に無理なことだ、と何年か前くらいに思った。こういった過去に自分が思い至った結論めいたものは後々まで尾を引くというか、かなり自分に決定的な答えとしての印象を残す。無理ならしょうがないんだ、と考える時の「しょうがなさ」は私をだいぶ支配しているかもしれない。しょうがない、と考えることでそのしょうがない方を変えられないからそれにならう、従うためにどうしたらいいか、という考え方をする。でも自分はそうとしか生きられないんだ、という補助線がすぐに引かれ、それを支える。日記を書けないのは、書ける自信がないから。ずっと書いてないと、ずっと考えていることにとらわれ続ける。