液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない


いくらか前にスカイ・クロラシリーズをひとまず5冊分読み終えて、5冊目のクレイドゥ・ザ・スカイでうわなにこれこの展開っていうか仕組み…と唖然と絶句でどーわーとなる。おもしろい。そんで5冊をあっちへ読み返してはこっちへ読み返す。そしてネットでも語られてることをいろいろ探る。ふーむどこにも正確な明確な答えなんて出てないようだな。いくつか筋通して論ぜられるものもあるけど、どこかしらツッコミいれられてしまうとなると、ぐるぐるしていて面白い。私自身はそこまではっきりとしたものが出なくてもまあかまわないという感じだから、あやふやに、誰が誰でもいいような、誰が誰でもあるような、とりあえずもうそうゆう風に感ぜられる見ることのできる世界に頭をめぐりめぐらせることが楽しい。空の世界にとべている感じがある。
記憶、というものについてずううと考えていて、そういえばこの小説では記憶というものが結構重要というか、物語にゆさぶりを与えていくものであるから、そう思うともっとそこらへんを読み込んでみたいとも思う。
ちなみに私は文庫版の表紙が映画バージョンで読んだ。なんでこう映画化ってなるとそのイメージもってきちゃうもんかな、と常々思うが、まあそうすると売れやすいのだろうな。いたしかたないなと思いつつ、番外編といわれる6作目のスカイ・イクリプスの文庫版は映画バージョンはないような気がするわけで、ま、いいか。




今日はシネスイッチ銀座にて、10時からのモーニングショーでアラベール・ラモリス監督「赤い風船/白い馬」の2本立てを見た。おもしろそう〜と思い、金曜がレディースデイでしかも900円、なんでもここははじめてレディースデイを設けたところらしい。

1956年に生まれたアラベール・ラモリスの『赤い風船』は、その年のカンヌをはじめ数々の映画賞に輝きました。しかし、不朽の名作の地位を得ながらも映画そのものを観る機会が限られ、その存在だけが語り継がれる伝説の映画でした。そして、2007年カンヌ国際映画祭。長年の権利問題が解決し、デジタル・リマスターによって鮮やかに甦り再び出品。
2008年夏、待ち望まれた奇跡の映画がスクリーンで息を吹き返す!


はじめにモノクロフィルムの白い馬。野生の白い馬は捉えようとする人間から逃れるために南仏カマルグの荒地を奔放にはしるはしるはしる。その白い馬に一目ぼれし、心を通わすことのできた少年を乗せてもなおひたすらはしる、というか、駆け抜けていくそのスピードや爽快な躍動感、大人を乗せた馬たちとは絶対的に何かが違う馬と少年が一体となって流れていくその画面にとても見とれた。少年のまなざしがまたいい。馬に姿にひかれ、自分の方法で馬とふれあい、馬が群れを選ぶことも受け入れ、しかしまた少年の元にかえってきたときにあふれる両者の間合いみたいなものにすごくきゅんとして、野うさぎをひび割れた広くのびた荒れ地の上でおいかけるシーンは馬が走り抜けるスピード感あるシーンとはまた違って、心地をやわらげるシーンだった。そして最後が衝撃的だった。ひとつとなったものたちだけにしかわからない気持ちがそこには漂い、そしてあわのように消え去ってしまうようだった。この最後の海のシーンは一体どうやって撮影したんだろうとなかなか不思議。いやすごい。なんかすごい美しさなのだ。それは美しさのレベル数値の上位とかいうことではなく、こうゆう美しさが存在するのだという唯一としての際立つ存在のよなもの。ラストで、うううわああわわわとどどうしようという感覚が体にふってきて、すべての呼吸がつまるような悶絶感を覚えた。




次に、カラーフィルムの赤い風船。こっちもすーんごくよかった。街灯に引っ掛かっている赤い風船(なんかちょっと大きいかんじがする)と、それを見つけ手に取った小さな少年のおりなす物語。話の構造は見終えれば白い馬と同じだったとわかる。そしてそう理解したと同時にこの監督への信頼感みたいなものが一気にめばえた。2作品とも台詞がほとんどない。特に主人公と馬、赤い風船においては言葉は必要でないかのようにわずかしかない。しかし両者の間にうまれ、はぐくまれているそのものは見ている側にすらりと写りこんでいる。そうゆうような、なにかとなにかに生まれる目に見えない思いというよなものものがとてもとても純粋に描かれているんじゃないかなぁと思う。またそれを認知できるこころがあることが、人間として生き物としてため息をつくような切なさや重さのようなものがあるんじゃないかと感じる。灰色の町中にぷっくりと存在をあらわにする赤い風船がとってもかわいい。ひゅるりんとした動きがすっごくすてきで、いったいあれはどうやって操ったんだか、ふしぎなものだ。行動の意志や気持ちさえももったような赤い風船は少年とじゃれあう。道を歩けば互いにかくれては相手の意向をさぐる。一人のひとつの思いが届き、伝わったとき、一人はひとりじゃなくなっていて、そこに生まれたものは些細なもののようでいて両者の間にはかけがいのないものとなっている。そしてむかえるラストがこれまたぞくぞくとした。空へと抜け出る色とりどりの風船、石畳の路地裏を整列して進む風船、そして集まった風船たちがなすべきこと。そこに表れる少年の表情がすべてを語るようでとてもよかったな。フランスの町中の路面電車とか、パン屋とか、狭細い道とか、学校とか、そうゆう空気感もどれもよかった。久々に外国の街並みを見てうあーいいなーとこころ打たれたな。空き地っぽいとことかもいいよなぁ。

馬を捉えようとする牧童たち、少年との不思議な仲を持つ風船を捉えようとするいたずらっ子たち、というようにどちらにも同じ役割の位置があるんだけれど、決して彼らは悪ということではなくて、馬と風船が持ちうる魅力に惹かれてしまうがゆえにといったような感があって、それでよけいに少年と馬、風船の、最後には見るものからはなれていってしまうような彼らの関係に胸打たれるものがあるかなぁと思う。うやはやすごくすごく面白い2本立てだった。40分と30分ずつくらいなんだけど、すごく物語にひきこまれてしまって、むしろもっと長い時間そこにいたかのように感じた。シンプルな、普遍的なテーマのものとは思うんだけど、ひとつひとつの画面が力強くひかっていて、いつのまにか体全体で見ているようなことになって、それだけに最後を迎えた時には大きく体を占拠されるようだった。


ちなみに水曜日にはポニョ、先週はグーグーを見た。学生じゃなくなって映画館に映画をよく見に行くようになった。まあそれは働いていないから可能というものか。無表情に笑う。