ときどき、後になっていったい自分がなにをしたのか、どうなったのか、わからなくなる事態が起こる。起こるというか、その後の時点でしかそれは把握できないため、起こったという感覚がぐったりとした体の異変とともに虚無感としてやってきたなかで思い浮かべること。また、のどがひーからと痛んでいることにも気づくと、ああそうかそんなにいっぱい声をきりきりと放出したのかなと思い浮かべるが、よくわからない。自分が、自分でも予想や想像しきれない枠をはずれて精神異常者かのように、のたうちまわるような、体のあちこちの関節部分がおかしくひくひくして、硬直して、なにかおそろしいものに多い喰われるかのような錯覚によって眼が見開かれる。そうゆうことは通常の自分からは想像できない自分の行動であり、そこにはどうゆう意思が介在しているのかはまったく不明で、後になれば自分のそれはいったい何であったのかぽかんとし、またそんな風になってしまう自分がとてもこわい。それは突然やってくる。その風は突然吹く。きっと直前でくい止めることだって出来るはずだ。しかし誰かがそれを許さない。ヒステリックになろうとすることはずっと抑えられてきたつもりだった。でもそれが出来なくなってきたのかもしれない。自制することを忘れたのだろうか。そしてそこで遭遇する自分自身というものは、もう自分の予想や限界を越えているような気がするのだ。自分の手に負えない自分がそこにはいる。もはや私にコントロールのできない、コントロールをほぼ完全に失った私というものがそこには現われている。それは通常の私から見ると、コントロールするという内を持たないため体があるということでしか捉えられずものとしてしかイメージし把握することが出来ないようになる。いったいふしぎな現象と思う。私は自分がしてきたことがいったいどれほどの悪なのかもうわからない、わかれないのだ。きっと私の想像では及ばないものなのだ。手に包み込めるほどのものではないのだ。だから永遠に許されないのだと思う。私の悪はいったいどれだけのものなのだろう。だから私は許されないのだと考えている。私は他者に求めすぎなのだきっと。自分の行動が慢性的な無意味なものに見えるのは当然で、そこにいくら私がなにかしらをこめても他社にそれが伝わることはない。それに対して私が憤慨し、意識をおかしくさせるのは間違ったことだ。いくらそう言い聞かせても、それを本当のところでのみこめていないのが、汚いこころよなーと思う。鎮まったと思えばまた噴出するどうしようもない、誰に向けられたものなのかもよくわからない大きく蠢くどすぐろい怒り。それがすべてを狂わせる。これはどうやって片をつければいいものだろうかな。その感情を作らないこと、それしか思いつかず、そうしようと思うのだが、うまくできずそれ自体がそれを生み出す失敗へ。なにか方法はあるだろう。しかしそれははたして私に可能だろうか。それが可能でないから繰り返しているのではないか。と、考えるとそれは絶望的ということになるから、基本的には何か方法がやはりあるのだろうと思う。これは希望的観測なわけでもないのだけど、なぜかそう考えている。