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日曜日に部屋の模様替えをした。だいたい半年に一度くらい突然したくなる。写真のは前の前くらいだと思う。基本的にはベッドをおける位置が2パターンしかないので、そんなにバリエーションがあるわけではないが、それなりには変わってくる。そしてその都度色々少しずつ処分していく。それでも捨てられない沢山のものがある。片づける度なんでこんなにものが多いのか、とややうんざりするきもちとしょうがないな私という受け入れのきもち。ひたすら増え続ける一方の代表的なものとして写真。一眼レフ買ってもうすぐ6年がたつ。ああたまるたまる。

そして月曜日に髪の毛を切りに行った。鎖骨下くらいまではのばした。そんだけ伸ばしたのは小学生ぶりだと思う。伸ばすことは自分の忍耐力をためすひとつだった。髪の毛が多い私は肩くらいまでくるとむかむか我慢できなくなって切ってしまうことが繰り返された。まあそれでついには坊主までいったわけだが、ここで我慢の一つも覚えなきゃいかんだろうと思って一年半か、二年近くかな、伸ばすことに専念した。そしてもうこれでいっかと満足するとこまでいけたので切ることにした。
髪の毛のばすってああこういうことね、こんなもんね、洗うのもケアするのも大変ね、じゃあこれでわかったらもういいわ、ってこと。そんなわけで肩上でばさーっとな。ああ軽くなった。とんでもなく多かったからなあ。メガネゆえ、前髪はなるべく短くしてもらう。眉がいくらか見えるくらい。

それで昨日の火曜日は随分前に書類を出していた会社へ面接。さっぱりした面接だったな。まあ結果は一週間後位。他にも応募者はいるし(それでも書類通ったうえでの面接だったが)一名募集だしまあぜんぜん期待はせず相変わらず求人探して応募する作業がひたすらまっているわけで。ああめんどくさい。ずっと同じことしてると、単純に飽きちゃうんだな。だめだな、がんばらないとな。とひたすら自分に言い聞かせる。


最近よく宇多田ヒカルを聞いている。パソコンに姉がいれたらしいアルバムがいくつか入っていて、とくにシングルコレクションとかいうアルバムにはまる。非常に楽しくおもしろい。かなり聞ける。これまでそんなにちゃんと聴く機会はなかったけれど、ドラマや映画で使われてる楽曲はどれも単純にいいなあと思えるものが多かったので聞いてみたいとは思っていた。改めてこうまとめて聞いてみると、非常にいい楽曲を作る人なのねとわかる。
その中でも特に気に入っているのは『誰かの願いが叶うころ』、元旦那の映画の主題歌だったらしいけど、それにしてもテレビとかでよく流れていたのか映画見てなくても知っている曲としての認知はあった。これは演奏がピアノと弦楽器のみでシンプル、歌詞もシンプル、なように見えて複雑というか単純な繋がりをみせないところが非常に魅力的。
わたし、あなた、誰か、あの子、君、僕ら、といったいくつかの人称がまじりあう。解釈は色々できると思うけど、そのうちの一つとしてこれらのどれかとどれかは同じ一人の人物として読みとれるところがある。あの子、というのは何度か出てくるけど、それはその度違う人物を指すかもしれないとも思う。同時に複数人含むのかもしれないとも。描き方は違ってもそれは同一人物かもしれない、という風にうかびあがらせられる、というのはなんだかスカイ・クロラを思い出すね。
抽象的な表現をしながらも普遍性をおびた面をあわせもっていて、個人の事柄でありながら誰しもが受け取れ自分のことのように持ち出せるといった作品としての強さがはっきりとある。おお、すばらしいなあ。メロディラインもひじょうにきれい。音の流れと言葉ののせかたは独特の気持ちよさがかみあってる。そうゆう面での曲の気持ちよさがすごくいい。
そんで今の私の恋愛に関する気持ちとリンクしているというのは大きい。


つい書くことから少し離れてしまうと書かないとと思いつつ億劫になってしまうということになりがち。そんなのはほんの数タッチで突破できることなのに。流されてはいけない。書きたいことは書けると思ったそのうちに書いていかないとならない。何でも簡単にこぼれおちてしまう。何だって簡単に忘れていってしまう。その時にそれが必要かどうかの判断はつかないもので、であるからしてなるべくどうにか留めておくことをしなくては。こぼれおちて消えてなくなってしまうことへの恐怖感だな。
多分書きたいと思うことは他にいくつもあるけれど今日の気分はなんだかここまでと言っている気がするのでこれくらいで。