液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない



恵比寿映像祭の鈴木康広さんのパブリックスペース作品。昼と夜とそれぞれ。キュレーターさんが言っていたとおり、今回のテーマパブリックーダイアリーをかなり象徴している作品でとても素敵だな!と思った作品。



三月だ、三月になったー。てことはもさむライブがあるんだー。わいのわいのそれはたのしみ。いやはや今月もライブがあってくれてありがたや。とりあえず今月のパワーはライブがあればとなんとかだせる。その前にピットインであるエマージェンシーを悩むところだが。しかしろぼの野音情報がまたうれしい。こないだみんなの戦艦で見たなんとかって人たちがでるとは!トリのアルタードの二つ前だったけど、なかなかファンの人たちも多いみたいだったし、演奏もとてもよかった。日記ではばっさり省いてなんも書いてないけど。こんないいかんじの人たちいるんだーと結構びっくりした。アルタードまで体力温存とイスに座ってたから姿形はぜんぜん見てないけど。音と歌のバランス感覚がおもしろかったような。さりゅーはりりぃしゅしゅ見てるから好きだ。ろぼはもっと見たいが見たいからこそよい条件のときに見たいみたいな欲張り感。むーん今だとまだろぼは遠い感。しかしそれもあっとゆう間に目の前に来たりするんだろう。きて、去ってゆく。その月日感覚はふしぎだ。遠くにあったときから目の前へ、当日へ、そして過去へ。ああ今はまだちょっと遠いなあ。遠くてさみしい。はやくもっと会いたい。しかし今月のイベントのはチケット高いしむりむり。ただ野音を待つそれしかないのに遠くてかなしい。ああ。は、その前にMOSTがあるのか。最後に見たんが九年前とかそんな感じだな。わ。最近自分の十年前の音楽の聴き方がおいおいしぶいというか、よくもまあそんなふうな音楽たちに流れていけたなと思ったりする。そしてそのまま今がある。
そうそうそして五十嵐さんの復活。生きてたのね、よかったよ。うれしいよ。今わたしのヘビロテはブックオフで買ったsyrup16gだもん、やはり、シロップはいくら聞いても飽きないように私にはできているから。そうしかしそれはやはりシロップなのであるからして、五十嵐さん個人とゆうのはまたどうなんだろう感はなきにしもあらずだ。きっとすきになれるけど、なにかそこには境界線ができるだろう。なんというか、中畑さんと一緒にやってる五十嵐さんだからの安心や安定や説得力みたいなとこにおとしこんで見ていたからなあ。それはでも未来永劫どうしようもないことだ。ライブは見てみたいようなしかしこわいような気もする。シロップじゃない五十嵐さんて、なんかそれだけでつい不安だ。

と、ここにきて自分自身が不安だの問題。はー、ため息ばかりついてもしょうがない。はる見栄もない。かく恥しかない。そう思ってすっきりいるしかない。なさけない。なさけなさすぎる自分。小さいな。砂粒だな。まあいいか。

土曜日は初台のICC行ってアノニマス展と無料のオープンスペース2012を見に行き、また鈴木康広さんのトークを聞いた。先週の恵比寿映像祭につづき。鈴木さんのイラストというか絵や文字って繊細でひょろひょろした感じでなんだけど、ご本人は結構そのまんまじゃない感じがしておもしろい。体格がすっとしていて顔立ちもスポーツでもやってそうな爽やかさと素直さみたいな雰囲気があり自然の中でそのまま育ってきたみたいな風をまとっていて、わりとよくしゃべる、喋りながら自分でも気づいたり発見したりする作業を行っている感じがしてその感じは鈴木さんの豊かで柔軟でとらわれない作品性と通じている気がする。そしてアートに対して真摯であるというか、アーティストとして生きる、やる、することを率直に本人が語る姿を見聞きさせてくれる人だなあと思う。積極的に観客と関わっていく感じからしてそうなのかなあ。アーティストってもちろん色々、アーティストに限らず漫画家でも小説家でもいいけど、オープンにリアルタイムに自分の思考を語ってくれる鈴木さんはなんだか新鮮でおもしろい。アートという枠組みにしばられず、しかし考え、いろんな人や分野とつながっていこうとする感じがまたいいなと思う。

アノニマスの展示もよかった。一番よかったのは毛利悠子かな。大友さんと一緒にやってるってキャプション見て納得。つうかそのまんまやってることはほぼ一緒。だがしかしやはり毛利さんのは一人で作り上げてなお力強い、ぐっとした裏や深さや地球の内部に向かうみたいな堅さ、見えなさといったところを想起させられる力がある。アコーディオンの使い方がすごすぎてびびる。しかし木をひきずるみたいな音がすごくいい音。音がやばい。現美の大友さんの展示もどきどきしてひんやりしたけど、毛利さんにはぞくっとしたなー。

オープンスペースも一人でいろいろたのしんだ。ひとりだって、たのしめるもん!まあ、ちょびっとだけあれだけど。私、恋人も友達もいないぶん、いつも一人であちこちへ行っている。あちこちあちこちあちこちへ。小さな範囲のなかをちょこまか一人で動いている。なんかふとそれがおもしろく思えたりする。いろんなところに行くのはおもしろい。昔から、ライブハウスやらに行くのにいろんな場所をはじめて知り、今はそれに美術館やギャラリーが加わったから、それでいろんな土地を知る。私はそれを一人でするようにできているんだろうという気がする。小中学生くらいまでは友達のいないだめな人間なんだなと自分を思っていたけど今となっては私はそうゆう人間なんだなという納得にたどりついている。理由などない。

ICCのあとは銀座へ行きギャラリー小柳で鈴木理策の写真を見た。やっぱいいなあ。すきだなあ。鈴木理策が撮る緑と光はもう絶対だ。ふれられそうな光や緑の領域。そのなかから生まれてきたような心地になる。地球の球体の表面がすべてそれで覆われているような。今回はセザンヌのアトリエというタイトル通り、あの有名なよくテレビなんかでも見るセザンヌのアトリエを切り取った写真がメイン。これがまたいいんだなあ。コートやステッキのかかった一角、瓶やらの置物のある棚、それらからすごくにおいや空気や塵の細かさまでが広がってくるかんじ。骸骨だって少しのミステリアスとあたたかさ。ヴィクトワール山の写真もある。これがまたいーなー。二枚の内の一枚はかなり平面的で山のでこぼこした奥行きがうすい。しかし隣のもう一枚は陽や陰の具合でだいぶでこぼこがわかる。ヴィクトワール山(のはず、たぶん、きっと…)て、こんななんだ、セザンヌはこの山を描いていたんだなあと思ったりした。そうゆうトリップ感はたのしい。また雪の結晶写真と映像もあったけど、あれ?あの映像はこないだワタリウムで見たやつかな?なにか地層をもぐるかんじ。結晶の組写真もいーなー。かわいいサイズにつくりあげるものだな!鈴木理策の作品はサイズにもよるが30~40万くらいか。私に今そのお金があれば買うぜ。買うぜ、買えないぜと思いながら外にでた。