書こう書こう思いながら書けないのではなく書かないのであって、ふいにふいにそれに流されこのままもう書かないのかもしれんなんて風にのせて思ったりもするわけだが、いやしかしと思わされる坂口恭平の日記。坂口恭平は今年になってワタリウムで見てそれでちゃんと知った。この人は人間だなあと思う。そんなことはなかなか思わされない。ふしぎと坂口恭平の趣味志向はなかなか私とあっている。安吾や乱歩、加えてカフカの城まできたではないか。突然のように出会い唐突のように好きになった人物と、そのような部分で重なれるところがあるというのは不思議なかんじだ。しかしだからよりこの人を見てしまう。同じ人間として。言葉をひたすらつづり、つづり、常に決意をもち、決意をしているそれに私はびりびりする。私もやらなくちゃと会ったこともない人に思わされている。その人は熊本にいる。しかし私は坂口恭平と同じ時代を生きているんだと思うとそれだけで十分な感じがする。この、同じ時代を生きているということがもつふところのでかさ。私はそれを大事に大事に腹にもっていたい、ふくみ、ふくまれたい。私も書くぞ。

連休中はなごやかだった。大学時代の友達二人と、一人とに会い、どんな誰よりも自分だなあと思われる自分を感じる。べつにそれが素ってわけでもない。でも誰かといてそのうえの自分となると、大学時代の自分がとてもくっきりとした輪郭をもってうかびあがる感じなのだ。うれしくてたのしくて、別れるときにはちょっぴり寂しい。また会えるけれどまた明日会えるわけではない。明後日でもなく明明後日でもない。それはいつかわからない。いつだって会えると過ごしていた大学時代とは違うこと、そのことがきっと一番せつせつとした痛みだ。たとえばまた十年後には違う思いになっていたりするんだろうか。ああよかった、よかったなと思う。こんな風に思えることができて。

それから茨城の笠間で開かれている陶炎祭に行った。二年ぶり。もう来るのは4回目くらいだろうか。はじめて行ったのは大学一回のときだろう。その時買った茶碗は震災でわれた。あの朝に限って朝ご飯に米をたべた。ああ。しかしやはりおもしろかった!母と電車で片道二時間半、笠間駅から会場まで歩き、途中の工房でも食器を買い、陶炎祭でもすてきな作家さんたちの器をぎらぎらじろりと見つめまくり、すばらしすぎてほしすぎるけど値段がちょっと高くてひたすら見るばかりみたいなことにもなりしかしそれはそれで楽しい。はー、また年をとって以前より一層陶器をたのしめるようになったかんじだった。来年もいきたいなあ。


芳垣さんのスケジュールが更新されないので自力で探すしかない今日このごろ。とりあえず今月のろぼは確保、来月の4daysのヴィンセントも早々に予約(たのむから仕事がはやくあがれることを願うしかない)、あとはちょこちょこ行きたいものがあるものの平日だとなんともいえない。しかし四月はライブひとつも見に行かなかったんだ。すぎてしまったらあっという間だったか。初給料もさくさく消えてしまう。そうだアウトレットもいったな。パンツ二本買えてうれしかったな。ああおかねおかね。スマホでつけてる家計簿と毎日にらみっこ。


今日は美容院へ行き、肩下までのびてた髪の毛をざっぱり切ってもらった。ようはショートカットだ。ふぬー、しんせんすぎる。しかし、たのしい。自分こんなんになるんだなあという発見。ふむふむ、これからしばらくはショートヘアをいろいろやってみたい。ざわざわと。なんでのばそうのばそうしていたのか今ではあやふやだ。まあお金ないからむすんで回避できる道を選んでいたのはあるような。つまりこれからも仕事をがんばらなくちゃってことだなあ。
それから恵比寿へ行き、写美でマリオ・ジャコメッリ展と日本写真の1968展とを見た。1968の方はなかなかよい企画展だった。学芸員さんのがんばりみたいなものがぐっとじわじわくる。でももっともっと投げかけてくる、問いかけてくるものがあってもよかったかも?キャプションなどもうちょいふみこんでくれたらより知ることができたような。でも、60年代、そして70年代へとつづく日本の写真を明確に知ることができてとてもよかったし、興味深い写真も沢山みれた。日清戦争の写真記録帳みたいなんも、うわこんなんあるんだとおもしろい。高梨豊の写真がえらくかっこよく見えた。また東松照明の写真もかっこよい。前に個展で見てるけど、あらためて。

ジャコメッリは予想通り最終日ゆえか、混んでいた。げっ、と思いつつすいてそうなところから見ていく。よいよい評判は知っていたからそのうえで見てしまうも、やはりよい。うまいな…さすが?だから?巨匠なのか。しかし驚いたのは200点以上のすべての作品がジャコメッリ本人がイタリアで焼いたプリントだということ。いやなんか生々しいなと思って。写真見てるといろいろ暗室でやってるんだろうなあ暗室たのしいんだろうなあという感じが素人にも伝わってくる。なんていうか、見ていて非常に色んなことを感じさせ思わせてくれる人だ。見ていてとてもあきない。まるでジャコメッリが描き出し、つくりだしているような写真。それはやはりプリント作業の影響かもしれないがそれ含めてシリーズ及び全体で見せていく写真のものがたる強さ。ときどきふっとものすごいいい写真が現れる。それがもうむちゃくちゃいいねってかんじで、他の前後の写真のなかから生まれでてくるかんじ。人物を撮った写真もよいが、私は風景や詩のためにシリーズのがれきのようなものものを撮った写真が気に入った。それらの抽象的な線や面にみえる写真群、なんかそれはヴォルフガング・ティルマンスの抽象的写真がすきなんと似た気持ちかもしれないけど、それらが放つ黙りこくった開放感みたいなそんな具合ですきだと思った。つうかむちゃくちゃいい。やっぱり写真はたのしいなといつもながら思う。私ももっと写真をどうにかしたい。
それからナディッフでいろいろ悩んだ末、買わな買わな思ってたクリティック1を購入。ほしい本ありすぎじゃ。一お給料で一写真集を購入したいのだが。