8、9日とsyrup16gツアーKranke@NHKホールの2daysを見にいった。とりあえず1日目。しかし仙台も東京2日間も雨で、終わったら暑くなり晴れた。雨の中を通りすぎたよいツアーだったな。

NHKホールははじめて行った。生還の映像見る限りでは、3回でも左右のゾーンは前へせり出ているし、音はよいという話をネット上でみていたからまあそんな悪くないのかなと発券したときのショック感をやわらげて到着。なんだかんだで席はほとんど埋まっていたけど、ぽつぽつくらいは空いていたのかも。19時数分前というとき、なぜかまたふっと笑いが自分のなかにもれる。私は2004年〜2008年のシロップを見ていないから、こんだけのホールでこんだけの人が待っているシロップというのにやはり全然なれていないのだ。それに慣れなくて、私はどこに何見に来てるんだとおかしくなってしまうらしい。

19時を過ぎてSEのフェイントにあいつつ10分近くになってから始まったような。すっくと立つ。幕がひらく。仙台はあがるだったけど、あがるほうがなんか気分はあがるかも。うん、やっぱりスタートかっこいいねと思える。

1曲目は冷たい掌、仙台でこの1曲目の出だしに不安定感みたいなものを感じていたからさあどうだろうとすこし緊張した。そしたら、あら、よい感じ。ライブだと音源では入ってない、イントロからの歌入り前に中畑さんのハイハットかな、の音が入っているけどそこまでが安定して、中畑さんのその音に安心を覚えた。1曲目だからか音量が小さく聞こえる。なんとなく、とても丁寧に音を鳴らすというか置いていっているような、そこに含まれるのは空間全体に流れる緊張感がそう思わせたのか。

はじまってみると、上から見る3人ははじめてで、でもなんだかすんごく懐かしくて、なつかしい。高くて遠いのに切ないくらいになつかしさを感じる手ごたえがあった。3階からだと、3人の立ち位置、距離関係がかなりよくわかった。平面でなく立体的な前後の奥行き感がまるまる見えるというのがライブハウスでも体験できないところだろう。ブリッツとか2階席はしらないが。まきりんが五十嵐さんよりも後ろに下がっていてアンプに近いとか、前から知っていたような、でもそれがすっごく新鮮に目に映ったりした。

そして、3人でバンドをやっているんだっていうのが、正面から見ているのよりも断然ダイレクトに入ってきた。ぐっと3D的に迫ってくるかんじが新鮮だ。どうしてもステージ上の3人は正面向いて演奏することになるんだから、要はすこしそこに向き合わないぶん、いくらか客観的にみることになるんだと思う。それがよかった。

例えば最前列でライブを見るようなときも似ている気がする。ある程度の大きさのハコでステージもそれなりに高さがあると(1mとか)最前は近すぎて演者の目線はもっと遠いから、妙に冷静に見れることになる感じがある。だからか、昔シロップを最前で見たときの感じに似ているような、そこに懐かしさを見出したような気がした。それはなんだか遠近の差がはげしくて不思議なもんだったけれど。

また、五十嵐さんがエフェクターを踏むのもよく見えた。上からだから、超見える。私はなんだかしらんがギタリストがエフェクターふみこむ姿がすきだ。そのふみこむ瞬間にきゅーんとする。これはたぶん主にモーサムももの影響なんじゃないか、もものそれが原体験なんじゃないかと思っているが。五十嵐さんのそれも例にもれず良い。とにかくエフェクターふむのが正面よりはっきり立体的に見えるのがツボすぎて嬉しくなりすぎる。そんでそれがまたやっぱり最前で見えるときの感覚に似てる気がして。でも、もしくはそれって映像の視点なのかなあとも思えるから、自分の眼かカメラなのかってよくわからなくなっちゃう。

そんなふうに過去と現在が交差してないまぜになって、ああシロップだーって思いが急激にあふれてきた。加えて冷たい掌が仙台よりずいぶん安定したように聞こえて、間に2公演はさんでバンドとしてぐっと凝縮されてきてそれで最後の東京に帰ってきてくれたことがすごくうれしくて、気づいたら泣きそうになっていた。自分でもあまりに唐突で驚いた。でもなんかすごく感極まっちゃったとこがあった。自分のなかで。五十嵐さんがまたそこで歌う

冷たい掌握り直して 過去へ連れてって
冷たい掌握り直して 未来へ連れてくよ

が響く。やっぱこのサビの歌詞はすごくいいなあって思う。いろんなふうに読みとれると思うんだけど、そこに頭まっしろになってすっと気持ちがのっていく。

このあとも、じわじわと、どんどん、ああこんなバンドだったんだ、そうだ、これが私の好きなシロップなんだなあという思いが高まっていった。そのなかでいろんないろんな思いが錯綜した。そんでいろんなことがほどけていったし、もう心配はいらないような、不安になることもないような気がしてきた。いや不安はでるかもしれないけど、でも数日前に思ってた不安はもう必要なくなったと思えた。

2曲目は生きているよりマシさ。やはり仙台と同じくすぐギターチェンジ。まだなんだか泣きそうなモードがつづく。冷たい掌もこれも、やはり復活後の歌だから、なんかどこをとっても生き生きした今の歌、歌詞ってかんじで五十嵐さんの歌がぐいぐい吐き出されてとびでてきてこちらに届いてくるような感じがする。いい曲になってきた感じがする。また、ステージ上に乗ってる照明がうしろのスクリーンに3人の影をうつすとてもシンプルな見せ方もすごくよい。映像なしのほうが断然いい。三階は基本的に照明効果をかなりはっきり見ることができる。それが結構たのしい。

3曲目はTo be honor、あー、やっぱりはじまりとおわりの音の絡まりがいいな。3人の音が窓からの光越しにもつれあう感じがいい。特にどうしてもギターとベースの絡まりが、なんか色気あるっていうか、女の人が足を組む動作のような曲線のいりまじり感みたいなところがとても好き。そんでちゃんと音源通りに再現されるタメからの音の放出のとこもすごく好き。べたべたにバンドっぽくて、でもやっぱそこで胸高まっちゃう。

4曲目はHELPLESS、出だしで五十嵐さんミスるも、しっかりすぐ最初から立て直す。なんかそれが妙にかっこよくも見えた不思議。あーやっぱこれイントロギターめっちゃすき。次の日に改めてそれを確信する。しかしライブでこれだけのもの聞いちゃうと、音源がどうも死んだような雰囲気であることを否定できない。あれはあれだけど、ライブでこんだけかっこよく再現していくというのは前回のニセモノ含め、あれは出したい本当の形ではなかったということからの再提示なんだろうか、とも思ったりする。なんにせよセルタイ曲は初聞きになる曲ばかりだから基本的に新鮮。

5曲目はstop brain、はいもうイントロ鳴りだしたらちょう喜んじゃう。1日目はこの曲においてはたぶんもう全然歌聞いてないな。主にまきりんのベースにそわそわし、わくわくし、高揚する。最後の方とかきいてると、つい佐藤さんのベース思い出す。シロップ聞いたとき、ベースがすごくいいなって思った、このベースおもしろいなあって。そう思ったものは結局クーデターまでしか聞けなかったから、まきりんベースで聞けるこの曲はやっぱり過去と現在がまざって再度生き返ってくるような。短めの曲だと思うんだけど、ぎゅっと濃密なまどろみがここにあって、よい立ち位置の曲としてこれからもやっていってほしいな。ってゆうか今更ながら、まきりんのベースは主にラストにむかってすごいということを私は発見した。だいたいの曲で歌おわりからのベースに何度も耳がいった。

6曲目、My song。仙台よりはイントロ安定したけどまだ弾きずらそうに見える。考えてみてもこの曲にあまり感想がないんじゃないかと思う。嫌いじゃないけど、アコギきれいだなあって思うけど、とばすこともなく流れてきたら絶対聞くけど、なんかそれ以上のものを思うキッカケないなあと、昔も思ったけどなんでこれでシングルきったのかちょっと不思議。雰囲気はリボーンに似てるけど、やはりここでリボーンの重みみたいなんがよくわかる気になったりする。

7曲目、明日を落としても。たぶんこの曲はシロップんなかで一番の曲として、不動なものになってしまった気がするなあ。なぜならフリスロ5曲しかまだなかったころに、どれが一番好きかあーとうんうん悩んで答え出したのがまずこれ。そして去年ギターをやってみようと思いまずやりたいと思ったのがこれで、それは先の理由&生還DVDを見てであるけど、この曲からはじめたギター、とにかく生還見まくって再生しまくってコードと右手のリズム、鳴らし方を真似することからはじまった。毎日でもこの歌をうたいたい。何度歌っても歌っても、楽しい。何度だって歌いたい。4つのコード、それのくりかえし、積み重ね、そのなかに組みこむささやかなアレンジ、それが何度弾いても楽しい。そんな曲になってしまっているんだから。
まあそんだけ練習したりしているせいか、一番までアコギ弾き語りなのにリズム感が自分になじみすぎててというのと、大先生が!本物がひいてる!というよろこびでちょううきうきになってしまう。うわあーやっぱり本物だわあーとか思っちゃう。そして今日の大先生は6弦も思いっきりひいているのか?低くふとい音も鳴っている。ライブだとその傾向ありなんだと思うけどそんな荒ぶれた4コードのくり返しがNHKホールではきれいによく響いていた。
しかし、2回目繰り返しのつらいことばかりでの出だしで歌だかギターだかタイミングかなにかあわず、つらい、つらいことばかりでと歌う。でもそのミスは気にならないというか、自分がピアノの発表会でミスしたときのことを思い出したが、一瞬、止まる?!かというような空気がよぎったけどしっかり続けた気持ちの張りあいが勝った感じでこれはこれでよいものを見た気がした。
そして最後のDo you wanna die?は大先生じゃなきゃやっぱり歌えないと思わされる。その叫び。仙台のときはめっちゃ声がわれてて、それがめっちゃいいなと思ったけど今回はそこまでいかずきれいめの声。

8曲目、正常、これはぐっぐっとよくなってきている。これはシロップの曲のなかでは一つの到達点であり、完成形なんではなかろうか。これをやるためのものであっておかしくないというくらい、シロップでこそ生み出せるものがこの曲にはあると思う。音のなかへしずんでいく。まきりんのベースがやばいのはいつもにしても、五十嵐さんも冴えてきている。2人の音はNHKホールでよく映えるしバランスよいしかなり気持ちいい、とりあえず3階においては。しかしスクリーン使ってるこの曲でなぜかX照明が2本スクリーン前におりてきててなんで?と思ったり。

9曲目、Everything wonderful。これはDelayed出したときに聞いてるのかなあ、聞いてる気はするが、名古屋でしかやってなかった曲でぜひ聞きたかったからうれしい。Delayedは近年でいえばたぶん一番聞かないアルバムだ。なんとなく全体のサウンドが好みじゃないんだと思う。改めてきくとみんなよい曲だけど、やっぱり音が多い。いいアレンジしてくるんだろうと思っていたけど期待を裏切らない。もう一度くらい聞けてたらもっともっと親しめただろうなあ。天井にあたる照明がゆらぐ水面みたいできれいだった。五十嵐さんのアルペジオががっつりきれい。

10曲目、吐く血。これはなんとなく仙台がぐっとよかった印象なんだよなー。しかし照明がおもしろい。赤と黄色のスポットが切り替わりまくる。この曲のポップさにあわせてだろうか。なんかそれがあってるようなないような、まあでも笑っちゃう感じふくめてあってるのかも。中畑さんの動きがたのしそうに見えてしまう、嬉しくなる。五十嵐さんがなぜかここでテンションあがりはじめたのか?妙に威勢よくなる不思議。

11曲目、Share the light、これは仙台同様よくできている。五十嵐さんがギターをひずませて入るんだけど、それが新鮮かつちゃんとかっこよくて驚く。私んなかでひずむギターといったらやっぱりモーサムでありももである故、そこはなかなか越えないにしてもだ、そんなちゃんとかっこいいこともできるんだね!と。音源より低く暗く進んでいくのがかっこいい。延々と続く洞窟をはいつくばっていくようで。歌とギターとベースとが最終ユニゾンに向かっていく静かでたしかなところがいい。

12曲目、天才、もはやイントロの心配はしなくて大丈夫かもしれないとも思わされるけどでもやっぱここにかかる緊張感は他にない。決まるとがんばった!とほめたくなる気持ち。どうなんだそれはと思いつつ、天才だった頃の俺にまた連れてってとおもいきりよく歌い出せる五十嵐さんがなんだか頼もしい。そこの歌いだしに連れていってあげるリズム隊の2人が頼もしい。そして1階席最前から後ろまでいいかんじにこぶしあげてる人たちが結構いて、その光景になんか感動したりして。そうゆう風景は大事かなと私は思う。オイッ!はなんだかごまかした感じ。

13曲目、真空
五十嵐中畑の絡みから、中畑さんが、思ったよりも早くにビートを刻み始める。中畑さん主導になったかんじがして新鮮でおもしろかった。かっこい!

14曲目、パープルムカデ
この曲は前にも書いたけだとにかくファクトリーで披露したときの印象がつよい。なんでかいつもかの曲ではしんみりする。それは2日目で思い当たる節にいきつく。とりあえずこの曲の時の五十嵐さんは楽しそうな気が勝手にする。

15曲目、神のカルマ、今更ながら気づく、これの中畑さんのコーラスめっちゃ良い。抜群に良い。これはもう安心しちゃう曲。

16曲目、Thank you、曲に入る前に次で最後の曲です。感謝の気持ちということで。みたいなことを言ったが、いやあなたそれ自分にしかしてないでしょとつっこみの気持ち。しかし五十嵐隆を見直した。最後のサビで、あきらめない君にThank youをと歌っていた。をっ、やるねえとにやにやせずにいられなかった。

アンコール1曲目、vampire’s store、3階という条件があるかもしれないが、イントロのまきりんのベースはホールによく似合う。響きがかなりはまる。しかし1曲目同様、どうも音が小さく聞こえる。それがなんだかもったいない。

アンコール2曲目、落堕、まきりんがドラムセット台に乗ったのがかわいい。3階も3階ということを感じさせないくらい盛り上がっていたような。とりあえず近辺はそんな感じ。うんやっぱりライブはこんな感じが好きだなあと私は思う。

ダブルアンコール1曲目、生活。はじまるまえに五十嵐さんが、さっきなんてチューニングまちがえちゃってたしね、5.6年も休んでるとこうだから、なのでこれからちょっとずつライブをやっていこうとね、みなさんに恥ずかしくないようがんばっていきますとかなんとかと言った。ホール全体がわきあがった。この日はお客さんの待ってたよという気持ちがすごく強くでている感じがして、あふれる熱気でいえば2日目よりも強かったと思うんだけど、このときの歓声というか驚きと喜びにわきあがった空間がとてもいとしいものそのもののようだった。私はやっぱり五十嵐さんがはっきりそう言ったことがすごく嬉しかった。そう言える空間をこのツアーで、今日この場所で作り上げてこれたからこその、誰かに強いられているわけでもない、たしかに自ずと前をむいている発言であり声に聞こえた。その声に各々が景色をみるのか。
そこからはじまる生活って、うわーんと泣きたくなる。実際は驚きと嬉しさでうわあなんだそれ状態の高ぶり。あんな思いになったことがない。またシロップを見れるんだってことが、安心であり、喜びであり、そのことが頭んなかでふるえる。この歌詞にこのタイトル。そのことに新鮮な驚きと納得をみた当時のことがあざやかに思い出される。

ダブルアンコール2曲目、リアル、去年のフォーラムを思いだす。その時も良かったけれど、そこからまた今聞けるリアルがたまらなく嬉しい。今のリアルを更新していってくれることそのものとして頭にのこる叫び。

これで終わり。

真ん中あたりまでは仙台と同じようにさくさく進んでいくあっという間の雰囲気だったけれど、やはり五十嵐さんがすこしは喋ったからか会場の雰囲気もゆるまって暖まって高まって、後半はより濃厚に密度を増していった気がする。お客さんのムードがとにかくこの日は注がれていたし。初めの方で五十嵐さんが帰ってきましただか戻ってきましただったかと言った。それはもう再結成という意味でなく、今ツアーでという風に私は受けとった。やっぱりずっと東京で見てきてるから、東京で見れるのがうれしいし楽しみだし、シロップとしてそうゆうことを言ってくれるのはうれしいと思う。どのバンドでも近年そう感じることが増えたなあ。
私自身の気持ちもこの日の方が強かったか。まあなんせ仙台と見る場所も全然変わって発見できることの情報量がめまぐるしいくらいだったからなあ。特に出だしでぐわっとがらっと脳味噌が物理的に回転したかくらいの発動があったように思う。
五十嵐さんが仙台よりもよくなってバンドとしての一体感をストレートに感じることができた。五十嵐さんが積極的に喋るのもまた久々で、2daysだからって喉を明日のために大事にするとかそうゆうこともできないし今日が千秋楽だと思ってやるとか言ったところにもそう感じる要素があった。だから、仙台で感じた不安は軽々払拭された。自分のなかでは、確かな日だったと思う。確かに自分はこう感じたんだという、確かな日として残るんだと思う。シロップは大丈夫だと思えたこと。これからもずっとシロップらしくシロップのライブをバンドという生きものとしてやっていくんだろうし、それをお客さんが見ていくんだろうなということ、それができるかぎり続いていくんだろうということに、不安も疑いもなく、思いを寄せられた。

わざわざ再結成したからには年一ツアーのみってことにはならないだろうと思っていたけど願っていたけど、それでも今までの動きじゃなんの確信ももてないわけで、拠りどころのない希望しかもつことができなかったとこから考えると、ファンとしてはだいぶ気がらくになった。なんか必死さみたいなのが薄らぐというか。私のなかではそんくらいぽわーっと安心しちゃった。というか、そんくらい五十嵐さんが元気で、中畑さんもまきりんも元気で、演奏がすばらしくて、スリーピースとしての体をなしていた。というかはじめてあんなにちゃんとスリーピースとして認識できた。上からの眺めがそれをたしかに教えてくれたわけだが。私のなかで比べるならやはりモーサムだけど、昔のモーサムの3人の強度はすごかった。今はまた(常に、か)全然違うからそれはそれだが、そこに見るモーサムの3人がバラバラなのにうねりあがっていく様は、みごとな三角形だった。それはモーサムにしかなかった。シロップはといえば全然そうゆうものがなく、希薄。それはどのバンドも各々だといえばそうだが、その2バンドを同時に追っかけている身にはスリーピースといえどかけ離れるところがあった。でも、今回のシロップは3人が繋がってるんだなあってゆうのが単純な上からの視点による点の集まりとして見たら認識できたのだ。3人でやってるんだなあと。3人が集まって音楽を作っているんだと。それがすごくうれしかった。ああそうか、ああそうなんだ、と気持ちの納得がふきぬけていくからそれで泣きそうになる。こんな日がこようとは。

とりあえず次、2日目も書いてしまわねば。つかれる。