自分一人だけの記憶ではなかった。そのことが意外すぎる。

ろぼの野音で、久しぶりにbさん、hに会った。それはチケットを渡すためであったのだけど、そもそもそのチケットの譲り先に浮かんで連絡をしたのがろぼの前日のことだった。なんというか今ではすでにあやふやだけど、前日になってそうだそれでいいだろうというストンとした筒のような気持ちになったんじゃなかろうか。
久しぶりに会っても特段久しぶりという感じもしない感触とでもいつぶりかもよくわからない宙を漂ったような距離間のわからなさみたいな手ごたえもあるような、ぐらぐらした感じがあった。しかし驚いたことがあった。ふたりともが、昔一緒に行ったライブのことを覚えていたことだ。その場所や、誰が出ていたかということをふたりはわりとあっさりと思い出していた。あたりまえみたいに覚えていてびっくりした私は実はかなりびっくりしていて喉元を押さえつけられたかのような息詰まりを感じさえした。それはまさに驚きだった。なぜか。
私はもちろんその話に出たライブのことを覚えていたけど、私がそのライブのことを覚えているのは日記を記録を書いていたからだと思っていた。信じていた。そのライブだけじゃなく他のライブでもそう。私は書いてるからだから覚えてると思っていて、それは自分だけの記憶だと思っていた。つまり、他の誰とも共有しえない記憶だと。私が一人で思い出し、回想し、想起しうる記憶だと。それは絶対一人でする作業なんだと思いつきていたんだと思う。というかそうだったことは浮き彫りになった。
ああそうじゃなかったんだという驚きは大きい。私が一人だけで抱えられる思い出じゃなかったんだなあ、誰かと共有できる思い出だったんだ。そんなものあったんだ。それが10年以上も前で、もうずいぶん誰もそこに触れることなんてなかったはずなのに、そこはあった、開かれていた。私にもそうゆうものが、あったんだなあ。
それはファクトリーの収録でシロップとレンチが出たときで、お台場じゃなくて天王洲アイルだった。3人で行ったのはもちろん、その日見たシロップの、ステージの感じもよく覚えている。パープルムカデをやっていたのを特に覚えていて、まだ発売前だったと思う、このころはまだ五十嵐さんは黒シャツじゃなくTシャツだった気がするけど、でもなんかもうすでに遠くなりはじめていた感覚がある。一年であっという間だったんだな。
しかしなぜ五十嵐さんは黒シャツになりはじめたのか。ということはずっと気になっていた。それがいくらか前に思いついたところとして、なにか武装的な意味合いなのかなと。リリース続きの動員も増えていったころから着はじめたのを考えると、構えとしての様式なのかなと。考えてみたらモーサムのももも一時期白シャツだった。いつのまにかTシャツに戻っていたけど。彼らミュージシャンは、ギタリストはやはり請負う役割みたいなものがあって、それは演出的なものとしての小道具みたいなもんなんじゃないかと思う。ステージに立つ人間である以上、とくにギターを弾きうたを歌うという一番目立つところである以上、どんな格好であれそこにはその人の主張や価値観を見出してしまう。その格好を選んでいるという判断そのものが現れている。そこであえて暑苦しそうな長袖シャツを着るという行為は演出的一面を見るしかないけど、もしくはめんどうか、いやしかしたとえださかろうが五十嵐さんはただのTシャツ着てたころのほうがすきだけどなーと思うわたし。シャツに革靴って、なんか似あわないよねってついいつも思っちゃう。