液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない


今度はモーサムワンマンがあるからモーサムを聞く。今度ってもう明日だが。シロップはちょっともうおなかいっぱいになりすぎたからしばらく聞けない気がする。でも生還見直したらやっぱり翌日の元々であり歌詞改定バージョンを真似っこしたくなってギターと歌と練習してみたりする。
赤裸々な歌だなあと思う。それでいて出だしの信号から赤信号が消えた世界にいるという描写は力強い。その世界って、とこちらに思わせる。時に人はそのような場所にいってしまうんだろう。そこから見えた景色はどんなだろうかという感触をさぐるような感じにざわつく、要はそこが魅力的だと思う。その後につづくのはなにか観念したような、どうしようもなかったことを受け入れたあとの一人のつぶやきのよう、誰に伝えたいでもないただその時の心もようという感じがして完成されている感じがする。
聞く側にしたらいろんなことに思いがあたる。きっとこれはこの時にしか歌われない歌なんだろうけど、すんごくいいなあと思う。実はこれがすごく好きだ。これと明日を落としてもをリピートしまくってきたけどビデオみたいにすりきれていかないんだと思うとやり放題だな、とにやけつき納得する。
しかし数日前に気づいた、今度のモーサムインストアの日にちがキセル野音とかぶっていた。まさか、まさかここでこの二組がかぶるなんて、ライブかぶっちゃうなんて一番いやだ、ああ、まあキセル買ってあるし野音だからモーサム無理なんだけど。ああ、それなら他のイベント類行くしかないかなあ。
今はすごくdownyも見たくなっているから、ライブは悩む。ライブでお金が結構消えていく気がするけどあまり後先を考えないでいたいっていうか明らかに考えないようにすでにしている自分。しかしライブはなやむ。そして最近ぜんぜん美術館やギャラリー見に行ってないな。バランスがない。
最近はちょこちょことディスクユニオンブックオフで中古CDを買ったりする。それがまた十代のころを彷彿とさせる。なぜこんなことになっているのかはよくわからない。なんでまた今こんなに音楽にわくわくしてるんだろうか。でも今はよく音楽が鳴っている。鳴る。今はなんだか音楽がよく聞こえる。音楽がよく聞こえるとそれによって色んなものごとに影響をおよぼしている気がする。風穴があいていくみたいに、その音楽の通り道をつたって他のものごとに、私の身体に通っていくのか。昔は、昔も、こんなだったのかなあ。そうだったような、いやこれは今だからなんじゃないかというような。