液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

あれもう2月になってるんだったそういえば。しかしライブ行った話はたまっているんだった。てことで先月17日のめも。明日またdownyだからなんとかその前に。間にでもグッドマンがある、それもさらりと書き足したい。いろいりおいろいろあるんだけどな。

1月17日熊谷ヘブンズロックでdownyeastern youthを見た。この日は朝から仕事でしかも前日から風邪をひきはじめた。薬でなんとかおさえこむ。熊谷には昔来たことがあるようなないような微妙な記憶。なんか来た気がするんだよなあ、まだVOGUEのころ。でもだれを見たかっていうと全然わからない。そのような記憶もあるもんだ。
downyは去年の9月のリキッドぶり?ひさびさ〜。downyが先手。幕があがった瞬間、裕さんが立っていた。うわっーと思ったら、うしろの男の人が「裕さんが立ってる」と呟いた。うんうん私も同じこと心のなかで呟いた。まあすぐに椅子に座っていたんだけど、なんか新鮮な光景でモノクロームのような色合いしかないのにスクリーンの光のせいもあるだろうけどコントラストがびどく鮮やかだったから。それにそこでバーンとはじまる音がすごいんだもん。去年も聞いていたおそらく新曲。ザクーとえぐられちゃうようなその一瞬ほんとうに棒立ちになってしまうような急にはじめて眼が見開かされてしまうような。ザーッと自分のなかに何かが音をたてて流れた。それdownyの音なんだけれど。圧倒されて驚いてこころ掴まれてそこへ飛び込みたくなるんだな。

それにしても今日はベースの音がでかいっていうか、すんごい響いてるなあと思う。それはここの仕様?他の音も全部響いてくる。でもやっぱり特にベースがすごくて引きつけられる。なんの曲だったかなあ、ドラムとベースからはじまってそこにギターと歌がのっていく。そのときdownyの秋山さんとまっちょさんのリズム隊の険しくも律した完璧なベルトコンベアのような正確に送りだすリズムのうえにギターと歌と映像がのっかって送り出されてくるみたいな感じがして、それがすごかった。その、わっ、すごいっ、と頭も身体も心も全部一瞬止まってしまう。でもその自分が止まってるときにも音楽は進んでいてだから自分だけがギクリとして止まってしまったのがよくわかる。秋山さんとまっちょさんのリズム隊はたぶん難しいことをしている、たぶんというのは、難しいというアピール性が薄くかなりとても平然と淡々とやっているようにしか見えないからだ。まあそれは裕さんもロビンさんもそうなんだけど。そのクールっぷりがdownyの音の像そのものでもあるんだろうけれど。なんていうかその凄みそのものについていけてないような、表面的なものにしか触れられていないようなところに隔たりもあってそれがもどかしさというか悔しいところがあった。だけど今回すこし、リズム隊の2人の音がよく見えてきたときがあった。そこに流れる空気が見えた!と思った。
なにかの曲おわりでお客のなかからすげーなーというような声がもれた。それに対してロビンさんが俺もいつも終わるたびにすごいなって思う、みたいなことを言ったのがそうかそうかそうなんだと思った。ロビンさんが復帰後のインタビューなんかで活動休止するに至る経緯のようなものを話しててそれ読んでるとなんかたしかにdownyの音楽やるってのはエネルギーを消費することなんだろあと、そうゆうヒリヒリしたものを演奏者のなかには少なからず保たなければいけないものなんだと思うとロビンさんの発言は改めて重みのあるものだなあと思ったなあ。なんか聞き手として、downyに限らずともだけどそこにあるいくつもの緊張感や興奮を体験することにかかっている、膨大な重みのようなもの、を、に、もっと顔をうずめてそこに沈んでいるものたちのことをもっと知りたく見たくなるようなものでもある。

最後の曲です、で始まったのが猿の手柄。来るときの電車の中で、今日は猿の手柄聞きたいと思っていたからうれしいー!これのイントロのアルペジオと映像の星空のような画が冬にぴったりくるなーと思う。この曲に幸福感を覚える。そのままこれでおわりかと思ったらなんとそのまま次に安心にいった!うわあ!またまたこのときの瞬間が鮮やかで美しかったんだあ。このとき、また、はじまりのとき裕さんに眼が釘づけになり、本当に自分がその場で柱に釘で打たれたみたいに、そこに捕まえられてしまうように、トドメをさされる一歩手前のように息をのんだ。そのとき。一瞬の息の管が透き通るような、その瞬間を目撃してしまうこと、それが目に焼きつくこと、その瞬間が痛くて永遠になる。永遠はひとつ、そのようにしてつくられる。のかな。

安心はライブ盤で聞いていたけど、これがかっこいいんだあ。どうしてこんなふうに人々のこころを掻き乱して興奮させてしまう音楽ができあがるんだろう、それは必然なんだろうかと思う。
この日見ていて思ったこととしては、downyのライブって重心が下の方にいくんだなあということ。だってドラムの秋山さんは座り、ギターの裕さんも座り、ギター弾くときロビンさんは立つが鍵盤のときは座り、ずっと立っているのはまっちょさんだけだ。だから、すごく音の重心が低くある、というよなことを妙に感じられたのはやはりベースの響きが強いことに影響したんだろか。