今日も1日外出しない。8時過ぎに起きて、げ、そう言えば今日ベッドマットが来るんだった、そして今使ってるのを引き取ってもらうんだったと気づいて慌ててベッドを片して玄関まで運んでおく。そのあとコーヒー入れて飲んでたら配送屋さんが来た。その内気づいたら雪が降っていた。鶏胸肉で蒸し鶏を作ったから明日の朝はこれでサンドイッチにしよう。鶏肉の塊から筋や脂をとりのぞく作業は何か似ているような気がする。

昼間はYouTubedownyのMVやライブ映像を見た。downyはみんなセクシーなんだけどやっぱ裕さんのセクシーさがハンパないことをライブ映像を見て確認する。すごく映える人なんだよなあ。むかしの、休止する前の映像は10代の自分がスペシャviewsicで見てた時代の感じでそれはそれでああまさにこれを見て興奮していたものだとなつかしむ。

2014年のライブを個人が録音したらしい或る夜は良い。生っぽさがすごいなあ。生っぽさ、というのはおよそこんにゃくや豆腐や肉の塊を手でもった時の感触や重みのイメージにつながるのがまた妙なもんだがだがだいたいそうだな。まっすぐに疾走する秋山さんのドラムにうねりくねりを与えるまっちょさんのベースですでにかなり気持ち良いものだが、そこにのるロビンさんと裕さんのそれぞれの音色あるギターが風景や温度、光や風向きや痛みや苦痛の刺激といった詳細な描写を加えていく。それがdownyなんだよなあ。すごく精緻で、世界が強い。音源の作りこみとライブでの生っぽさはもちろん全然違うのだけど、違いというよりも同じであることの認識の方が働くような。うまく言えない。

最後のとぐろを巻くような裕さんのギター、まさに生き物のように。


downy - 或る夜 Aru Yoru - Live at 渋谷WWW

downyはレコ発ツアーを6月に設定しているが、ROVOなんかはもう今回のツアーは厳しいのではないかと思う。野音も。4月の推移を見守るにしても、ちょっとこわい気もする。今年はアルバム出すつもりだろうし中止になれば残念だけどROVOは生きてきた経験値が高いので延命感が高いイメージをもってしまう、ような、それは正しいのかどうか。だれしも6月のライブがどうなのかってところだが、外出禁止とまでなれば判断も出しやすい方向にいきそうだけどそうではないからいつかどこかのタイミングで判断を出す、になるしかないのかな。

サブスクの中ではapple musicがいちばん制作者にお金が入るというのを見かけたが(とはいえそれも正確な表現ではないのか?)そのためにCDを買ってもサブスクで聞くというのは聞く側も複雑で大変な時代だな、と思ったりした。でも私もCD持ってるのにパソコンに入れてないからサブスクで聞いてるものもあるわけでもはやよくわからないことになってるから同じだな。サブスクがある人生っていうか生活、ほんとすごすぎるな。ありえなさを感じながらありえている。

夜ご飯にビーフシチューを作ったが、ボリュームに欠ける肉で作ったのでずいぶん軽いものになった気がする。ゆるいオムレツ的なものを合わせたら良いのかも。もしくはサワークリーム。煮込み料理などでアクを取り除く作業も何かに似ている気がするが実際はなににも似てないのかもしれないと思う。今年の大河は今のところ織田信長役の染谷将太がいちばん面白い気がする。しかし戦国時代、だれがどこのなになんだかを把握するの、ついていくのが辛すぎる。内紛とか、ほんと大変だな、、って感じで見る。結局休みの間に録画したものの消費はすることなく終わった。ハードディスクがまた溜まってきたから移す。なぜ録画して、見終えたものをもったいなさそうにして消せないでいるのか。惜しみがすごい。

cange.orgで赤木俊夫さんの自死に関する第三者委員会立ち上げのキャンペーンに署名していたのだが、そうしたら赤木さんの奥さまから名義での今日は夫の誕生日です。ご賛同ありがとうございます。というメールが届いてどきいっとする。あわせてヤフーニュースの記事で元NHKの方の書いた記事を読む。最速で最高数の署名が集まっているのだという。改めて調査すること説明することはないと発言した人たちに対しての情けなさ、苛立ち、あきれるというかどこか違う次元を生きていられるかのようなその感覚に、どう立ちむかえるのだろうか。

長島さんの本を読み進める。

生活はどうなっていくだろう。30代の東京の女性が青森の実家に帰って感染が確認されたというニュース、ツイッターでは実名出すべきとか傷害罪を当てるべきとか言ってる人々がいて気持ち悪すぎる。私は同じ30代の東京の女性だ。