日記を書く、書こうとするモチベーションというのか気力というのか気持ちというのか、が、まあ今週からあきらかに下がってきているのは感じていたけど完全にそうなっているとわかる金曜日。テレビのニュース番組は主に朝のNHKくらいしか見てないが、とにかく毎日毎日コロナコロナコロナばかりで気が滅入る。どんな行動を取るのが正しいのかを、どんな情報を信じるのが正しいのかを、選び取らなければいけない。いつもより40分くらい早く出社。なんだかよくわからないけど会社に行くと頭痛がしてくる、まあそれは薬飲んで治められる。午前中は作りものをしてお昼をモスに食べに行ってそのまま車の貼りの仕事へ。モスの店内で飲食していくことも危険なことなのだろうか、と思いながら、半信半疑というか、決して禁止されているわけではない中でどこまでそれを断言すればいいのだろうかと思う。車にシートを貼ってたら途中から風が強くなってきた。まあでも雨の日も雪の日もやってきたことを思えば風が強くてやりづらいくらい大したことじゃないんだよなあと思う。終えて西濃に発送ものを出して終わり。来週は現場がいくつかあるけど、今週末の自粛要請もあるしまたこの業界は冷え込むしかないのではないかと思える。もはや仕事があるかどうか、なくなってしまうのではないかという心配よりもいつまで外出してまで会社に行くこと、仕事をすることが許されるのかどうかを心配しなくてはならないのかもしれない。それとももし爆発的に感染者が増えなければそれはそれでやっぱり自分の会社、仕事に仕事がないことを心配しなければならないのか。まだそのへんはわからないことだ。どちらにせよもうしばらくは慎重におとなしい暮らしを送らなければならないのだろうなと思う。帰りにベルクに寄ったら肉や魚はふつうに売っていた。冷凍食品とパン類はかなり偏って品切れしていたけど、あとはほぼほぼいつもどおりくらいだった。納豆もたくさんあったし。カップ麺はもともと食べないし食べる気がないから見てない。水も米もたくさん売っていた。ほっとした。そして帰宅するともうれつに体がおもく、だるく感じられる。働いている間はないのに。普段なら会社にいる時間にだるく、帰宅して疲れてる時はもうちょっとわかりやすく疲労感があってって感じだからなんかちょっと違う感じがしている。いやだなあ。しかしさすがに今日はちゃんと夜ご飯作らないと!と思って3日前から作ろうと思っていたジャガイモとひき肉の炒め煮みたいなんを作る。ストウブの鍋で作っていたがうっかり煮汁を全部なくした。火が強すぎた。でも味は良かったからまあいいか。食べ終えたらまた猛烈にだるい、少し寝て、いやさすがに二日連続で化粧も落とさず寝るのはよくないぞっとなんとかシャワーを浴びた。明日、明後日と出かけられないのかと思うと憂うつだ。世界がせばまっていく。自分がふだん日記をかけるのなんて、日記に書いていられることなんて危機のないぬるまに漂っているからできたことに過ぎないのだということがよくわかる。この先は自分が感染者かもしれない、という認識のもとでふるまいをしなければならないのだろう。それでも会社に行き、仕事をするってわけだが。どうなんだそれは。

 

downyの6thの無題を聞いている。裕さんがいた音。downyの良さを私は誰かに伝えられたこともない。言わなくたってわかる人にわかればいいと思ってた。説明もできないことを共有したいわけではない。それがdownyなら許されると思っていた。なにかを好きになるなんて、それは孤独なことだから。裕さんがギターを弾いていた姿が忘れられない。その姿と、はじき出す音とが一致していた、その美しさのことを私はもっと知りたかった。というか、見ていたかった、もっと見たかったなあ。いつも信じられなかった。自分の目に見えていることがもっと信じられないバンドなんだよなあと、改めて思う。恐ろしくて、気味が悪いくらいで。今は取り憑かれるように聞きたくなってしまう。音の洪水に頭が満たされたい。暴力的に強制的に自分の体から離脱させてくれる気がして。

3rdに収録の苒はたしか一度だけライブで聞いた気がする。すごくよくって、そのあとロビンさんのギターパートのひたすらループするパートを思わず耳コピした。音数はごくわずかなんだけどリズムが気持ちいい。私はとことんミニマルなループが好きなことに変わりはない。