いつもより早い6時起床で朝から現場、横浜の先のほう。金網にターポリンつけて施工が始まったばかりの建物内の窓ガラスに黒アクリル板じゃないけどそれっぽい板をはめるなど、まあ簡単な仕事だったからあっさり終える。だいたい店舗の内装の初期段階で入ると他の業者さんがラジカセでラジオを流している、という状況があってそれは風情がある。でも基本的にまだ埃がたちまくっているから早く帰ってシャワーを浴びたい、という気になる。本来ならこの段階でうちは入らないから時々来ては居心地の悪さがある。勝手が違うというか。会社に戻りながら志村けんが死去した話から私は子供の頃にテレビでバカ殿様を見ては気持ち悪いと思っていた話をする。まあそんなこと自体すっかり忘れていたけど、でも大人になっても志村けんが苦手で志村けんが出ている番組は見たくないように思っていたのって、バカ殿様を見て嫌だなと思っていたのがあるからなんだろうとは思える。実家で母が動物とのテレビ番組を見てるのを見てはよく見ていられるんだな、とは思っていた。はっきり思い出したのはちょうど数日前にツイッターバカ殿様を見て嫌な気持ちになっていたという女性のツイートを見かけていたからだ。ああまさに私もそうだった、小学生とか中学生にわたって私はなんでこんなテレビがやってるんだろう、みんなこんなのが好きだというの?という苛立ちと不可解さを抱いていたことは結構はっきりよく覚えている。単純に言って気持ちが悪かった。それは女性の扱い方のことだったんだと思う。その当時はそんなこと全然わかっていなかったというか、そう感じ、思うことの正当性すら知らなかっただろう。まあ私はドリフターズのことも全然よくわかってなくていかりや長介は俳優なのだと思っていたくらいだし、お笑いへの興味も薄くて松本人志がなぜもてはやされるのかもまるで全然わからなくてむしろずるい悪い人なんじゃないかくらいの感覚だったから、志村けんに対してもやっぱりどこかでなぜそんなに重宝されるみたいにもてはやされてるのかがよくわからないでいた。私にはどうしても気持ち悪いと思った感覚がすりこまれていたと思う。テレビのチャンネルを何巡も回しながらどれもつまらないなあと思いながらまたこれやってるのか、と思っては苦々しく思っていた。定期的にやっていた記憶があり、やるたびに、うわまたやってる、、と思っていたし、しばらく見なくなってからはほっとする気さえあった。ただ同じ誕生日であるということだけは認識していた。夜、NHKで交流のあった人たちのコメントをそのまま読みあげ流しさも偉大な人であったと伝えているのには違和感を感じてしまうが、みな、そのようなムードなのだろう。しかし出身の東村山市長だかがその身をもってコロナウイルスの恐ろしさを伝えてくれた、とかいうコメントもまたおかしさとして感じられる。お昼を星野珈琲で食べて会社にもどってデータ作って出力だすとこまでやってSさんとこ寄って帰宅。明日はもっと早い現場だから。

新代田のFEVERがしばらくの営業中止の発表を出しているのを見た。なぜ政府や都は補償をしないのだろう。自粛を要請するということが、どうゆうことなのか、全くわからないという立場を貫き通すことなんてできないよな?と思う。各自勝手に頑張ったらいい、潰れるなら潰れたらいいとでも思ってるんだろうか。なんのために税金を納めているんだろう。それでいてオリンピックの開催日が発表されるなんて、なんなんだよそれ。

自分のこの生活、今のこの生活、自分が働いて得たお金で家賃を払って光熱費払ってスマホ、ネット代も払って衣食住を成り立たせていることに私は自分を感じられている。ああ自分は自分の体で労働してそれでこうして居られる場所があるんだなあってことに、ときどき、独特の感慨にふけるのだが、だがそれもいつまで保てるのかということを薄々感じながらどうにかいる。私よりもっともっと様々な形で不安を、恐怖を感じている人たちがいるんだろう。みんな、どうやって生きていこうとするのだろうか。

しかし私は友達も少ないので人と会うこと自体少ないし大人数の集まりとかないし通勤は基本的には車で会社行っても社長と社長父と会うだけですんでる私は結構感染リスクが少ないのかもしれないなあと、ぼんやり思う。

近所ではどこにも売ってなかったトイレットペーパー、会社近くのマルエツで4つくらい残ってたから買えた。エリエールのダブル。ほっとする。いつになったら以前みたいにふつうに買えるようになるというんだろう。トイレットペーパーとは。