液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

待ちに待った、待ち望んだキセル(+ゆうこさん)と山本精一さん(+山本達久さん)のツーマンを東高円寺UFO CLUBで見た。去年キセルが出したカバーアルバムでフォーククルセダーズの悲しくてやりきれないをカバーしてるのを聞いて、これは山本さんとカバーしている人たちとのかぶりが増してきていると思ってこれはいつか2組でカバーライブをやってけれないものかと思った。まあ山本さんのレコ発でキセルは兄弟して見にきてたし兄はさらに山本さんの本も買っていたのを見たしROVOでは野音で共演してるけど、またキセルは京都出身で山本さんも長らく京都に住んでいることなどもあるし、単純に音楽的にはかなり近接してふれあっていると思うのだけどなぜなぜ一緒にやる機会がないものか不思議なものなのだよく考えてみれば。
チケット前売りはたしか3月に買ってたのかな。胸たかなりすぎてなんでだ私が緊張でいっぱいふくれあがりおなかくだしはしないだろうかと思いながら丸ノ内線にゆられ開場前の列に並んでいた。ufoclubは並んだ順てことだけど、30分前くらいに着き、10人ちょっといたかな、けれど一番前で見ることができたのはラッキーだった。前で見たかったのだ。信じられないくらい嬉しい日のことをよく見たかった。最近は視覚欲求が強い。

先行はキセル。これは予想内。カーテンが開いてみるとまあこころの準備はしていたけど近い。ステージ高は20cmあるだろうか、久々にこんな低いところ。近すぎるときはまあ目つぶってしまった方が目の行き場に困らない、なら前行かなきゃいいんだけど後ろで見えないのもいやなのだ。前だと楽器をどのように弾いているのかを見ることができる。楽器と弾く人の音の出し方みたいなものはよく見ているとおもしろい。みんな違うから。
以下セットリスト

時をはなれて
柔らかな丘
ピクニック
新曲
そこにいる
風とくらげ
空の上
ひとりぼっちの人工衛星
町医者
ギンヤンマ


柔らかな丘はもはや違う曲としてなじんできてる感。リズムがはねている。それで楽しめる。久々にちょっと前のライブ映像見るとやっぱ今のはテンポ、リズム感がぜんぜん違うんだわと確認できる。
ピクニックはこの日のライブですごくよかった一曲。すごく楽しかった。なんか特に弟とゆうこさんがにこにこしていたような。思うにたぶんこの曲は高校のときに駐輪場で聞いていたんだ。授業さぼったり、昼休みだったり。ギンヤンマはどちらかというと17のときで、ピクニックは16のときの歌なんだなあと思った。キセルを外で聞くのは、ピクニックなんてのを聞くのは、お墓でランチをなんて歌うこの歌は意味不明なように過ぎ去っていくこの世から抜け出、外れた身には抜群で、MDウォークマンと制服とコンクリートの色やざらつきや冷たさ陽射し透明な空気、はいた息ごしの景色を思いだすような。もはやそもそも見ていない景色かもしれない。そうやって刻まれていく。だから、歌詞もよく覚えすぎている。口ずさむこと、口が動いてしまう。歌詞が出てきてしまう。だからこの曲は好きだ。自分のなかでいつでも歌がゆらぐ。お墓でランチと駐輪場でランチをしている自分を重ねたのかもしれない。自分の青春の歌を30になっても聞くことができるなんて、想像もしていなかった。
そして久しぶりにやるんでと兄が言い出したら弟がすかさずいいわけ?と笑いながらつっこむとアレンジしてるんでと兄、明るい幻からそこにいる。でもこのアレンジって聞いているような?いつだろう?原曲だって暗い雰囲気のあるもこもことした空間を進むような曲なのにさらにそこから奥深いとこへ行ってしまうようなアレンジ。こうゆうところが面白い。なじみあるような、でも得体のしれなさが同居しているかんじ。
そしてこないだも聞いた新曲は、イントロが明るいしミスチルみたいだなと急に思った、上昇感のある明るさ?でも歌いだすとキセルになるんだった。やっぱりここは夢〜みたいに歌っているあたりがいいなと思う。
ゆうこさんと3人でやってるときは3人で丁寧に音をあわせていく感じが見ていてすごく気持ちいい。3人の輪があるなあと思う。去年からだけ見てもどんどんぐっぐっとそのやわらかな繋がりが増していってる感じがして見ていて心強い。人が集まって音を出す、音楽を演奏しているということの貴重で繊細で唯一性みたいなものを感じる。楽しそうであり試練でもあるような、音をあわせる、一緒に出すってどんなことなのかなあと思わせられるくらい。
空の上を聞くのはこれまた久しぶり!キセルのライブ選曲は規則性もなく唐突でただ道をてくてく歩いていてそこで目に止まり立ち止まりひろいあげたもの、という流れのなかでのくみあげるものという感じはする。知っている風景のところだけどいつも違う道を歩いていくような感じ。
ひとりぼっちの人工衛星は前半兄がひとりで歌い、ひいて、そこに加わっていく音、広がっていくまるい地球のような宇宙のような、ゆらゆら帝国はこの曲をどんな感じに演奏していたのかなということさえもまじりこんでくる。色んなものを竜巻のようにまきこみすくいあげながらゆっくりと進んでいく、また向こうへさようならまた今度。
そしてピクニックと同じくらいこの日よかったのは町医者。兄が次は弟の曲を‥と紹介するながれ。なんとなくふいに弟もおとなに?おじさんに?なってきたようなという気がしたりする。町医者は全体にアレンジというのはそんなに感じないけれど、骨密度のつまった骨太な曲になっている感じがする。
そしてもう最近つづけてやってるみたいだから予想ついてたけど、ギンヤンマへ。弟のベースがすごく気持ちよくてすきだなあと思う。いつもいつもながら泣きそうな気持ちがこみあがってくる。この曲であふれでてくるその場にいる色んな人の思いがいりまじってまるでぬかるみどろどろずるずるじゃないかとさえ思う。でもこの曲はどんなをもゆるし包んでしまえる広いふところを感じる。そんなおっきな曲になってもいつもみずみずしい、いつも。自分がこどもに帰る歌なのかもしれない。
最後は春。季節限定曲をまた今年も聞けてよかったと思う。春を歌ってる曲は他にもあるけどこの曲を歌ってくれることが嬉しい。やわらかにやわらかに、今宵を今宵もまたひそやかにねむりましょうという眠りにつく布団にはいっているような。
今回はやっぱちょっとテンションあがりすぎてセットリストを覚えていようとする頭もついうつろうつろ、あれあれあれ?と何度も思いながら再度整理して覚え続けていくというおぼつかなさが起こった。なんとか終わってすぐにipodのメモひらいて打ち込んで穴をうめていくようにしたら思い出せたけど。最前で見るなんてのもキセルはよくあるんだけど今回はまた独特の近さや音の気持ち良さ、自分のわくわくうれしさでほんとうかれていたんだなあ。

カーテンがとじ、次あいたら山本さんが立っていた。昨日VACANTで見たときとほぼほぼ同じ格好に見えるっていうか、山本さんの服装におけるジャッケト着てるときのバージョンというか。しかしそういえば私立ってる山本さん見るの久々かも!ここ最近は座りのソロばかり見ていた気がする。去年のEASTのROVOのとき以来かも?山本さんの方は気を取り直してセットリスト覚えとこう意思をしっかりもってったから無事覚えていられた。下手のほうに立っていたため上手に立っている山本さんは見やすくてよかった。以下セットリスト

ラプソディア
そら
ハルモニア
めざめのバラッド
真昼間の貘
虚空の屋根
幽霊
羅針盤

そして船は行くだろう(キセル、ゆうこさん、精一さん、達久さんで)

今回は山本精一☆山本達久というユニット編成という発表があり、また☆になんの意味があるのかと思わせておいてたぶんなんもなかったと思うんだけど。達久さんとはたしか童謡のレコ発で一緒にやってたはずだから(私はこのときもソロの方しか行かなかった)童謡からは数曲やるんじゃないかなと思っていた。それはあっていたけど、一曲目からっがっつーんとラプソディア!アルバムのラプソディアは好きだけどレコ発とかも全然いってないから生でこのアルバムの曲聞くのははじめてで、音源よりもガラガラと音を立てて世界が崩れていくようなしびれる音を華麗に叩き出していた。ぐっと息を飲み歯をかむ。歯医者で歯くいしばりか歯ぎしりが強いっていわれたばかりなのに、ああ私猛烈にぐううううときてしまう発狂寸前なギターやドラム聞いたらめっちゃ歯くいしばってしまうわそりゃどうしょうもないと思った。とにかく二人の出すストレートな音を直接的にこちらにばんばんがしがしくらってるような体感で、ストレートに聞こえるのにがさつでなく実に綺麗でもある音を空間で鳴らしているUFO CLUBはすごいなと思った。最前にいる場合モニターの音のほうが聞こえてるのかなんなのかわからないけど、スピーカーからの音にせよなんにせよ目の前で出されている行為と耳に聞こえふるえる体感がすべて自分の中で直列してくることは感動的ですらある。UFO CLUBは前に山本さんのLightsのときもえっらく音がきれいできれいで今思い返しても夢のようなまさに夢の精神世界のような時間だった記憶があるけど。
安定的ではない山本さんのギターにひょいひょいと竹馬でひょいひょいと物をよけ穴をとびこえ壁面だってのぼってしまえそうな達久さんのドラムは寄り添っていく。とにかく二人の音の相性が気持ちよい。完璧で最高だと思った。ノイズとロックとその他もろもろが試験管の中で混ざり合ってぶくぶく煙を立てているそのなかの音なのかもしれない。
目覚めのバラッドはもともとアンバランスさがある曲とはいえ山本さんがもろに不意な感じでギターを弾いてしまうんだけど、達久さんはまったくもって動じることなく、んん?っくらいの表情みせつつ耳がピンとたってるかのような佇まいでギターのズレに音をあわせにいっていたところがすごいと思った。いくら崩れてもすぐにたったひとつの凹にすぎず、すぐそこを治すだけというような。
とにかくしびれる。なんだか久々にこんなに真正面から自分がこなごなにしびれてしまうような音をまさにあびているような気と、いや久々なのか、いやそもそもこんな体験ははじめてなのか、といった疑問に次ぐ疑問もうかんでくる。似てようと似てまいと結局その都度その時で一回きりのことだと思うが。もうほんとここで布団ひいてねたい。
後半に童謡の曲に入ってソロバージョンでしか聞けてなかったから嬉しい。真昼間の貘は音源だとギターは3本くらい重ねててそれがじつに良いというところがあるせいか、ここでは達久さんのドラムの方が前に出てきて勝ってる感じがした。まあそれも悪くない。虚空の屋根で少しとろける。ひきのばされていく時間と時間。境目があやふや。山本さんの歌がよく聞こえる。ひきこまれる。立ってギター弾いてるの、かっこいいな!歌うからか、前のめりになってないのがまたいい。しかしあついあついと山本さん。そりゃ長袖ジャケット着てるから。頭も汗をかいてるのか眼鏡をかけてて汗の処理が大変そう。そしてついには上手のカーテンで眼鏡だか額だかをふいた。ここでキセル弟がいたらハンカチを差し出してくれただろうに。
そういえば最初の方で山本さんはキセルとやるのははじめてでっていう話があり、彼らも京都で僕も京都で、なんかずっと前から一緒にやってるような気がしてたんだけどみたいなことを言っていた。ROVOではやってたかな?といってたのでうんうんと一人うなずいといた。そのあと「どうも、ROVOの山本です」と言ったのがむちゃくちゃ面白かった。なんていうかやっぱ山本さんのやってることのなかでもROVOが一番有名かなとは思うから、そこをあえて言う皮肉のようでもあって、真意はわからないしないかもしれないけど、キセルがいつものようにぼくら兄弟で〜という自己紹介をしていただけにその連なりとしても面白くて。他にもアングラは昔から黒って決まってる、まあ自分もですがとか、達久さんとのコンビがあまりにいいんで一緒にまわろうかって言ってて〜ってからの言う地名がなんかとんでもないとこだったり、最後はなんちゃらって言って聞こえなかったけどベアーズの真ん前、とかってつっこみがあって、たぶん大国町って言って笑ってたんじゃないかなと。大阪住んでなかったらわからなかったと思う。
最後の羅針盤のあたりはもう自分の皮がずるずるにひきずるような感覚で聞いていた気がする。うっとりしてしまうのだった。今が一番山本さんが好きなのかもしれないと思う。山本さんの歌は十代のころからなんか好きだなと思っていたけどライブ見に行くのはこわいし、音源で聞いているんで十分であったけど、ソロ作をたてつづけに出していくなかで自分も年をへて、また一から好きになったようなところがある。単純にいって十代のころではわからなかったようなところに年をとって近づけるようになったってことなのかなと。山本さんのファンというのはみんな山本さんの魅力にとりつかれてしまうんだろうか、まあタフだなと思う、引き出しがたくさんあるゆえ知りたくなってしまうその魅力は半端ない引力を感じざるをえなくもありしかしその周りはあまりに幾つもがあり過ぎて誰も全部を収集できないのは初めからわかっていて誰しも熱と同時に諦めという冷静さも持ちあわせているような。それでもしょせんひとりの人間にすぎない。そこから出てくるものはひとりに収束される。でもそれによってまた山本さん個人にのめりこんでしまうのかもしれない。なんだかわからないようなギターとうた。何かが特別だとは感じがたいのに、そこにしかないんだということを体にビリッとしたものを感じてしまう、それで証明されてしまう。

アンコールの拍手が起こると、カーテンしまった状態で山本さんから合体しますとのアナウンス。わきあがる私。夢みたい。正直期待しているところはあったけど、キセルのセッティングは全部片されていたからないかなあと思っていた。カーテンがあいたとき弟がやけにわあって感じで笑っていた。下手に弟と兄が、上手に山本さん、その間に達久さんがドラムにすわりゆうこさんはシンバル横に立っていて、みごとに5人がそろった図。やばい。やばいやばいすごいすごい。信じられない光景だ。キセルと山本さんが一緒に立ってる。それを最前列で眼にしている。眼におさまらない。眼を動かす。うおおおおすごい。もうひたすらそれの繰り返し。そして山本さんのカバー集にも入っているあがた森魚さんのそれでも船は行くをやった。兄と山本さんが交互に歌い、一緒に歌う。うわあああ、山本さんのギターで兄が歌い兄のギターで山本さんが歌っている、うわあー。なんて自然。でも今までに見たことのないありえそうでありえなかったもの。こんなように人と人、音楽と音楽がまじりあうんだなあということ、それを目撃できていることの幸せはまるであやうく産んでくれてありがとうと親に感謝の気持ちでも持ちたくなるようなものだった。いやいやそれはないないと思い返しつつ。まあほんとうに私にとっては嬉しすぎて嬉しすぎて、ああ楽しかった。最前でたぶんにやけすぎてた。こんな日がある。