いつか私はこの感傷から逃れられるんだろうか。
なんでも話せると思っていたし、それは今たとえ久しぶりに会っても、一年以上ぶりに会っても、何年も会ってなくても、そうだと思うというか、わかる。記憶か、本能か。なんでも口にしてくれるから、言葉で音で振動しているから。だから私はきっと安心していると同時に、こわくて震えてもいる。なんでも早急に口にすることは私には簡単じゃないだろう。速度が違う。それでも、言葉を交わすやりとりの快感があるはずだ。なんでも言ってくれてるのだと、どこかで思っていたかもしれない。だから互いに受け入れられもするし、求めすぎはしないでいる正当性があるんだと。と?

でも全然違っていた。私たちはなんでも話せるだろう。聞いてくれるから。わかってくれるから、わかってくれるかもしれないから、わかってくれなくても受け入れてくれるから。でも、その先がない。それ以上はない。ない。冷たい気がするのに、差し出されず受け取らない。ない。自分には何もないよと示してみせる。

私たちはわかりあったことなんて、ないのだ。なんだってわかる気がするのに、知っていると感じられるのに。感じさせてきやがる。それなのにわからないと思うが、でもそれは本当か?都合の良い解釈をしようとしているだけなのでは?自分だけの特別を信じたいのでは?夢を見たがっているのは私だ。

わかりあえないこと、受け入れあえないこと。わかりあわず、受け入れ合わないでいる、ずっと、そのまま、いる。私たちはあの頃からそうだったんだろうか。触れる直前すれすれまでいくくせに、そこで静止したまま。交わらず別れるだろう。

また忘れて。また思い出して。また忘れて。またどこかで会うだろうか。あれが最後だったかもしれない。もう会うことはないかもしれない。会うたびに自分は甘いと思う。そんな自分に自分であらゆる理由をもってきて、示して、何を考えているんだお前はもっと冷静になれ、愚かになるなと叱咤する。すべて忘れたくなる。もう幕を下ろしておわりにしたい。

忘れたい。消えたい。出会わなければよかった。見つけてくれなければよかった。行かないでほしかった。髪の毛を染めたことにも、誕生日がもうすぐだなんてことにも気づかないでくれ。昔と全然変わってないなんて軽々しく言ってくれるな。知っている肌。もう手はのばせないの。