あれ、そういえば、そろそろダイアリーっておわってしまうんだっけ。ブログに移行するのか。しなきゃな。もはやなんのこだわりがあるわけでもないっちゃないし、でも、自分はずっと日記を書いているんだ、という気持ちでいたからなあ。でももう今はまたブログという言葉、場所の意味するところも以前、昔ともまた違うのかなとも思うし。


こないだの年末はまた友達が岐阜から泊まりにきた。すんなりとそれを受け入れるわたし、って、一体、何。2泊して、また、東京駅で見送ってバイバイした。さあもう一体これ何度目?新幹線の改札手前でさよならをして、改札に入った向こうで最後のバイバイとして手をふるのは、一体何度目だ。いつからこんなことを繰り返すようになったんだっけ。いつからこれが定番で、いつもその度同じだ。私たちはいつも人として、友達として、あっさりと、まるで何もなかったみたいに新幹線の改札でさよならをしている。感傷はない。なくなったのはいつからだ、あったのはいつのことだったっけ。

なにも期待してはいけない。思いをよせてはいけない。それはもう学習してしまった。してもいいのだけど、自然としなくなったというところも十分にある。もうやめようと思っていたのにな。もう少なくともよほどのれっきとした用事が無い限りわたしからは連絡しないと、思っていた。忘れるというほどのことでは無い。ただ、もうほぼほぼ絶対的にこの人はわたしを好きになりはしないと前からわかっていたし、知っていたことについて、自分でも時間をかけてよく咀嚼できるようになってきていたのだった。それをあえてするための時間が去年だった。恵比寿で偶然再会して、わたしはやっぱりこの人が好ましく思うと思った。それは懐かしさでもあり、旧知の仲としての心地良さであり、愛ででいたいものだった。1年前に電話で変な、というか断ち切るような終わり方をしてしまった。そのあと一度メールがあったが、それ以上したいとは思えなかった。でも再会して、やっぱりこの縁は簡単に無くしてしまっていいものじゃないと思えた。だからもっとっちゃんと受け入れたかった。私が彼から好かれないということを?

その上で、それでも人としての付き合いは続けていけるでしょ?そんな簡単に失ってしまう関係じゃないでしょ?ってことを示したかった。見せてやりたかった。もし付き合って別れたりしたら今までの全てがなくなってしまう、失われてしまうのが怖いとか嫌だとか、なにふざけたこと言ってんだ、そんなただの言い訳みたいなこと、保身みたいなこと、そんなのを隠れ蓑にしている人が、ずるかった。もっとちゃんと向き合いなさいよと思った。自分が言ってることのうさんくささ、不誠実さをわきまえろと言いたかった。もっとちゃんと正直なことを言って欲しかった。

東京駅まで一緒に電車に乗って、降りる時になって、彼は私に上野で降りても良かったんじゃないの?と言った。私もそのまま実家に帰る予定で、上野駅は東京駅の手前で今しがた通り過ぎてきていたわけだが。私は東京駅からも一本で帰れるから平気、と答えたが、え?なにこれ?と内心思った。彼は一体何のつもりでそんなことを言ったか。なに、優しさ?親切さ?お前、私の気持ち知っててよくそんなこと言うな、とおもう。知ってるからこそそんなこと言うのは、ただの腹黒い意地悪じゃないか。ずるいじゃないか。それで私がそうだね、上野で降りれば良かったと言うと思ってるのか、思ってないはずだ、ただ、私があなたを好きだと言う事実を消すために、そんなもの俺らの間にはそもそも存在してないよね、そうゆう関係じゃないよね、ただの友達だからそれぞれ必要な駅で降りてさよならをすればいいだけの存在だよねとでも言いたいんだろうと思えた。ほんと、そうゆうところがクソだよなっと思う。ひどいと思う。そうゆう言葉の数々がいつも私を冷たくする。

それで私は傷ついているのだろうか、それがいつもよくわからない。もはや、それで彼を嫌いになることなどなくなってしまっているのだ。だって彼は私を好きじゃないし、好きにならないし、そのことについて私はよくわかってしまっている。私は少なからず彼の人となりを知っている。なぜって、学生時代を見てるから。でもそれはほんの些細な時間のはずだ。それでなにを知ってると言えるんだとも思う。でも、それでもやはり知っているのだ。知っているらしいのだ。見てれば、聞いてれば、わかってしまうのだ。彼は私のなにも知らないだろう。

学生の頃はぐずぐずとして甘えられるのがすごく嫌だった。ずるいと思ってた。だからこの人には絶対弱いところも隙も見せたくなかった。でも今はそうゆうのももうないらしい。一方的に都合よく甘えられて利用されて、それならそれでって感じに思ってる。都合よく、と言うなら私だってそうなのかもしれない。お互いただの性欲の捌け口にしてるならそれはまた学生時代から何も変わってないとも言える。ずっとそんなものだな。何も変われてない。彼が私を好きだったことなんて少しもなかった。いつも他の誰かを好きで、私は彼の中のきれいやかわいいと言う領域に入ることはない。憐れまれてるだけなのかもしれない、とふいに思う。もしくは嫌われてるのかもしれない。うとましく。

愛されない私は、いったいどのような態度を持っていればいいのかわからないままだ。

ドラマの獣になれない私たちを見てた。夢中になるというか、関心するように、ドラマの世界の隔絶された世界の話なんかじゃなくてすぐそばの物語のようにして見入って感じてた。最終話においても、その場の勢いだか流れだかでお互い後悔を隠せない体の関係を持った夜のことについて、あんな風に面と向かって話し合うなんて、ああいいなあと思った。どうなんだろ、普通、そんなのするかな。しなくて、まるで何もなかったみたいな挨拶を会話を交わしてまうんじゃないの?だから、あそこでどうしょうもなくむきあって話をせずにいられなかったふたりがとんでもなくかわいかったな。お互いにこんなの良くなかった、お互いにもっとちゃんと大事にしたい相手、関係だったからこそなぜどうしてを突き詰めたくなる。でもその態度はなんて誠実なことか。そこまでできるなんて、ないよな、少なくとも自分には、と思ってしまう。良い作品だった。


新しいラグが来た。部屋が明るくなった。実家からデロンギを運んできた。やはり私はデロンギのオイルヒーターがないと生きていけないのだった。本をもっと読める人になりたい。全然読めてないけど。毎日時間はどこへいってるんだ。ドブに捨ててるのだっけ?空気公団のライブは週末だ。オウガのライブと被った。自分の実体は永遠にわからないな。わたしは馬鹿になりたくない。馬鹿だと知っている。何度も夢見て何度も夢破れているのにそれでもまた夢を見ようだなんて馬鹿げてる。馬鹿になりたくない。私は賢く高らかに大らかで微笑む人で、なんて、そんなの無理すぎるけど。馬鹿からとにかく遠ざかりたい。馬鹿になって泣きたくなんてない。最初から何でもわかってる。何も覆ったりしない。それを何度も何度も摘んでは飲んでいる。

12/1、大阪で大学時代の友達に会った。彼とは同じゼミだったから少しは仲がよかったと言えるかもしれないけど、それは学校内においての多少の関わりに過ぎず、おそらくメールのやり取りだってしたことはなかった。でも卒業式のあとの謝恩会のあと、明け方まで一緒にいた面子であったのは、それもまたただ同じゼミであったからそれだけなんだけど、でも結局いまに続くまでずっとそのことだけで私は彼が気になり、またもうひとりの彼も含めた3人のいびつさについて考えざるをえないのだろう。

もう今となってはその共有した属性そのもの自体はなんの有効性もなく、生活にもなんの利益も支障もない。その無効性は誰もがわかっているはずなのに、それでもどこかその縛りを離し切れていないのではないかとも思える。それは先生のせいなんだろうか。

1年と少しぶりに会った彼はいま婚約中で、年が明けたら籍をいれ、5月には結婚パーティーをして6月には一緒に住み始める予定と言う。去年に結婚の話は聞いていたからそろそろしないのかな?とは思っていたものの、本当にそうなるのかと思うと急に寂しくなった。この気持ちってなんなんだろう。なぜ、こんな気持ちになるんだろう。

それは率直にいって誰かが誰かのものになってしまうんだ、という急激な距離の引き離しをかんじるものだと思う。もの、だなんて、ヒトはものじゃないのはもちろんわかっているけれど、でもやっぱり誰かの所有物、誰かのためのあなた、になってしまうのだと思うと、もうこれまでの私の知っている私たちのあいだにあった空気はかき消されてしまう、終わりにさせられてしまうんだなあと感じている。結婚をする、してないというだけでなぜこんなにも感じることは違ってしまうのだろう。恋人がいる、というだけではこうはいかない。

結婚という言葉、行為はそれだけの何かなのだ。結婚をしていないものにとって、結婚をする人した人は自分とは違う生き物なのだと感じざるをえないでいる自分がいる。そんな自分はみじめで醜い存在なのだろうか。だって、私にはわからない、知らないものごとの世界をその人たちは進んでいるのだ。知らない世界を生きている。私の知らない時間を生きているのだなあと、それは手の届かない場所のことを想像してしまう。だから、さみしい。

まあふたりともフリーランスな形で仕事をしているし、ぜんぜん型にはまった生き方はしてないのでそんないかにもな風情はないのだが。彼はそのまま今のままでいい人だからそのままそれなりにいい夫になりいい父親になったりするのだろう。たとえいくら無茶をしてやんちゃをしていたとしても。まあただ気になる点といえばこの10年くらいでいろんな女の子と関係持ちすぎてきているそうゆう欲求商人の強さ、本人も自覚し認めているそれを、どうするのっていうのはあるけれど。まあどうせその辺もうまくやるのだろう。心配というようなものはない、か。

でまあまた色々喋ったな。彼はあまりに率直になんでも話すので、話さずにいられないのだろう、それにつられて今まで誰にも言ったこともなかったけどというような話を私もしてしまう。いや待てよ、最近そうゆうこと多いよな、それは歳をとったからなんだろうか、そうかもしれないが。そう、私自身がもう最近はなんでも喋ってしまえ、口に出してしまえというところがあるだろう。自分の体のことも人の体のことも、個であり共有でありそれは話してみないとよくわからない。恥ずかしいことよりも、知られたく、知りたい気もする。そうゆうものを共有したい。

ふいに、結婚したら彼女のことはなんて呼ぶの?と私は聞いてみた。すると、彼はしっかり準備した答えを持っていたので意外だった。すこし驚いた。彼は嫁でもなく奥さんでもなく、かしこまった場では妻と言うと思うけど、もっと適切な言葉はないか探しているというようなことを言った。なんと。私は結婚した女性が夫に嫁、嫁さんと呼ばれることに違和感を持ち、嫌悪感を抱く方なのだが、それでも世間ではその呼び名が多いので果たしてこの人はやはりそうゆうとこに無意識なのかどうかをただ聞いてみたかったのだ。それで嫁と呼ぶと聞いてもそうなんだ、へえ、私はあまり好きじゃないけどね、で終わってよかった。また関西、友達まわりでは嫁と呼ぶのが主流であるということにも気をもんでいるらしかった。なるほど。しかししかししかし、まさかここで同じ意識を持っている彼だったとはな。
考えてみたらもともと同じ志向性が少なからずあったんだろうけど、だからの同じゼミ、だからの他人行儀な距離感であったんだろうけどこんなデリケートな事柄において意識の共有ができるなんて思ってもみなかった。それは驚きとともにすこし嬉しく、ホッとした。もともと卒業して何年も連絡もっとていなく、ただ、人づてにどうしているかだけ聞いていた。それで一昨年久しぶりにあって、学生時代には話せなかったことも話せるようになって改めてまた仲良くなりたいと思った。面白いものことを共有できる人だと思った。信頼もできる。でも、所詮育った場所も住んでる地域も違えば、もう何もかも違うようなものだ。何かが一緒ならそれは偶然と呼ぶしかないような、ただの偶然と、ただのただの。
私たちは同じ大学の同じ学部で同じ先生のゼミを取っていた、それだけしか共有できるものはないと思っていたんだ。それ以上のものを何かを、人と人が分かり合うなんて、共有するなんて、ないんだと思っていた。私たちはわかり合わないよね?最初からそんなの無理だよね?だってバラバラの違う個体だもの。わかり合う必要なんてないよね?と思っていた。だから仲良くなる必要もないし、お互いを知る必要もない。そうやって、何も知らなかった。最後の最後になって、最後だからか、ほんの少し知った。でもそれで終わってしまった。
けれど時間を経たところで、ある時ある途中の道を共有したことの余波は未だあるのか。私たち、こんな簡単に同意して、語り合ってよかったのだっけ?と思う。もちろん小さな差異はたくさんあるだろう。それでも、自分の価値観を、譲れないものを、大事にするという彼の姿勢は好感を持ち、見直してしまった。まあ、おいおいと思うどうなのそれって話もたくさん聞いたので特に賛歌する人間とかではないのだが。

大学時代の話になると、もう一人の話をしないわけにはいかない。ちょうどこないだそのもう一人に私は会っているし。まったくこの私たちの関係は一体なんだったのか。しかし今回は新たな話を聞いたな。私は彼らの間で批判の対象になっていたらしい。まあでも私の中で彼らは批判の対象であったからな。お互い様だったんだなと思うが。私は男に負けたくなかった、正確には彼らに絶対負けたくなかった。こんなやつらに負けるわけにいかない、というのがガソリンではあったと思う。そしてそんな真意は知らずとも、彼らは私を少なからず認めていてくれた。だから素直に無邪気に遊びあうような友達には決してなり得なかった。そんな気の許し方はしなかった。いま思うと、それはなんてなんて寂しく悲しいのだろう。どうして私たちはあの時もっと近づき寄り添うことができなかったのだろう。そんなことできないほどに偉大なる不器用な私たちだったのか。私は誰のことも信用していなかったし、疑ぐりしかなかったから、そんなのできるわけなかったな。そのことが今になってなぜこんなにも胸を締めつけるんだろう。これは後悔と呼ぶの?でも後悔するにはあまりにも遠くて、あまりにも幼くて、その幼い私を責めることが結局どうしてもできないだろうと、思う。

卒業して10年が過ぎた。私たちこんな30代になってるなんて、思いもしなかった。でもこんな風にまた会えていることは、私に大きな安らぎを与えてくれている。誰かのことを思っても心配しても、もうすぐそばにいつもいるわけではない。毎日いとも簡単に顔を合わせられるわけではない。誰しもが遠く、わからない。何もしてあげられることはない。その無力感を味わいながら、それでも彼ら彼女らがどこかにいるのだということに私はなんとか生きる心地を感じている、気がする。


んでこれは羅針盤のライブ見るために大阪行ったわけでそうゆうライブのこともこれから書けたらなあ。iMacを手に入れたので、書く環境は整った。何かをしたい。何かをした。

17日に見たOGRE YOU ASSHOLE at 日比谷野外大音楽堂QUADRAPHONIC SOUND LIVE ー、あいにくの雨、大雨、に見まわれたものの数日たってもいまだになにか余韻が残されているどうしょうもなさ。体がのっとられてしまったみたいに、船にずっとゆられてちるみたいに。
どうもツイッターでほんの一部のことを書いただけなのに、書いたという満足感にそれだけで浸れてしまうようで、それで終わってしまうがほんとうはそれだけではないのにな。全然ないのにな。
天気予報はどれだけ更新させてもちょうど18時頃に雨マークがついて消えやしなかった。しかしカッパは実家に置いてきてしまっていてユニクロの薄手のパーカーしかない。しょうがないからハーフパンツに着替えて、もし雨が降っても濡れる服がすくないようにと、あと多めにゴミ袋、一応の上下の着替え、タオルなどをリュックにつめた。家を出るときですでにもうあやしい空色をしていた。
開場時間ちょうどくらいに着くとすでに番号はよびはじめていて、90番台だったのですぐ入れた。席はPAのすぐ横、ちょうど通路の区切りになるあたり。いつもROVOを見てるときの座席に近い。ただROVOのときよりPAブース自体が前に出ていたな。
オウガのお客さんはふだん自分が行くライブの客層より若い人が多くて、若いなあと思う。オウガのメンバーは私より年上だが。ていうか自分がふだんいくライブの客層っていったい、あれ?なんだっけ?
開演時間の17時をすぎたころ、PAブースにPA御一行様がやってきた。なんかどこかうきうきしつつ、締まった顔つきで、ブース前や左右にかけてあった透明のカーテンなんかも、これもとっちゃおうかー!とか言っている。のちに増強されてたと思うが。


15分は過ぎただろうか、4人が特に派手なアクションもなくしとしと歩きでてきた。そして4人とも立っているし、担当楽器を手にもしない。4人してひとりずつそれぞれ四角い箱を、シンセサイザーを?、奏で始めた。あれはなんというかすごいドキリとしたし、一目ぼれしてしまいそうなかっこよさがあった。何も言わず、しかしいつもと違うなにかをはじめてしまう。この人たちはロックバンドなのではなかったか?もちろん何をしたって許されるのに、何をしちゃいけない、何をしたら違うなんてことないはずなのに、それでもそんなことを思うなんて、それは結局私自身が絵に描いたようなきまりきった風景しか想像していないからだ。
ひとりずつの音がそれぞれ別個のスピーカーから出ていたと思う。下手後方からぶふんという音のかたまりがでてきたとき、お客さんがそろってうしろをふりむいたのが面白かった。音の存在が、気配というより音そのものの存在を後ろにはっきりと感じたのだ。演奏者は前方にいるのに。音は発する人そのものだけでできていないなあとハッキリとよくわかる場面だった。

誰だかわからないけどだれかがメロディをならしはじめた数秒後、ぽつりときた。なんてタイミング。どちらがどちらを報せたのか。お客さんがぱらぱらと雨具の準備などを始める。その向こう側でメンバーも自分の担当楽器へ持ち変わっていた。そしてたぶん馬渕さんのギターの音、それだけでその音はなにか特別に丁寧につくられた音と感じた。どのような何が施されているかはわからないのに、ふるいブリキのおもちゃが丁寧に油をさされて動き出したみたいなそうゆう気配を感じた。不思議だった。

4、5曲目あたりでついに雨は本格的になりはじめた。これはふるぞ、ふってくるぞと。いそいそする前方のお客さんたちの向こう、背景として演奏をつづけるオウガ。なんともそのコントラストというか、ずれた世界のありようがおもしろくも見える。彼らは私たちに向かって演奏をしているようで、しかし誰のためでもなく自分たちが演奏をするためにそこにいる、ということが端的にしめされているような光景でもある。
素敵な予感の演奏時にまず大きなピークを迎えた、と思った。雨の強さも、演奏も。あまりに雨が強くなってきて、キャップをかぶっていたもののそれも浸水してきており顔にも雨がつたってくる。なんだかもう雨で前すらよく見えないような気がしている。しかし演奏はなにも変わらず、まるでステージには何の害もないかのように、演奏がつづいている。そして音が爆発する。それは音が壊れた音なのだ。音が爆破され、そこから煙とともに出てくる音って、こうゆゆものなんでしょう、という感じ。このあとなんどかやはり壊れた音を聞いた。それは音が破壊されてるわけでもなく、音がこっぱみじんになってるとかでもない。つくりこまれた音として、壊れた音を、音響を私は聞き、見たのだと思う。それはまるで映画のようだった。映画の音響のように、映画のひと場面のように。鉱石場とか、そうゆう場面だった。畠山直哉さんの写真とかの感じあったな。

本編最後でなんと雨がやんでいった。なんてことだ。すごいな。フードを取るとそれだけで体が軽くなっていったような気がした。雨は重いらしい。体の中も地球も水分だらけでできてるだろうに、体の外にまとうことはなぜこんなにも重いのか、と思ってしまう。

あとでツイッターで書いたことをつけたそう。

一人暮らしは吐きそうなくらい寂しくて死にそう。そしてあまりに簡易にするっと死にたい気持ちになり、死ぬことも肯定してしまえる気持ちにおそわれる。ひとりだと、自分のちっぽけさがあまりに強調されわかりやすくなるのだろうか、今ここでここに自分がいなくなっても、というか、今ここで自分の姿形が砂のように溶け消えることができたらなあという喪失の清らかでかろやかな想像をしてしまうらしい。なくなりたいのだ。