朝から雨。こないだ買った雨靴が活用される。リュックにもカバーをつける。最近は結構雨の日などリュックを前に背負って傘をさしてる人も見かけるが、なんでかあれで歩いているとエラーみがあっておもしろいと思ってしまう。電車の中で止まってる状態だとおもしろいことはないが。

あさいさんは現場に出てるのでひとりでつくりもの。とはいえやらなきゃいけない量は少ないのでかなりだらける。不必要なだらけ。お昼に持ってきた冷凍のピラフが味が薄くていまいちでガッカリ。午後になって睡眠時間があきらかに足りないのですこし寝る。なんとなくクレジットカード使用料見たらかなりいっててびびる。好きに使いすぎたかも。でもそれでいいと思って使った。まあ残業と休日出勤分の給与がそれで消えるだろう。雨も止みそうにないしはやく帰ることにする。池袋によって東武でパンを買う。店頭で試食させてくれたパンの一切れがでかすぎて笑う。期間限定の出店だけどここのそば粉とりんごのパンが好き。素朴である。店名は覚えられない。webで読みたい記事がいろいろあるのに追いつかない。新聞ならやはり読みやすいと思うのに。

帰宅してルイスコール のMVを見る。この人のMVって好きだ。本を読んですこし寝るつもりが寝たら体が重くなって起きられない。鱈を料理しようとせっかく買ってきたのに調理されない鱈になる。つらい、起き上がれない、もう無理と思ってすべて放棄、そのまま朝まで爆睡。これをやるとなにかと感覚が狂う。そして20代のころにはなかった感覚、体感なので年をとることの大きさを感じる。今でこれなら老人になったときの老いってどんだけなんだ、と思う。だから運転というものも年を取ればまったく変わってしまうんだろうと想像する。少しこわい。

月曜現場の製作がおわっていないので出勤。ほんとは昨日も出てほしかったのだろうと思われたけど、先にそれは予定ありと言っていた。なんとか16時には終われた。お昼はデニーズに食べに行ったが私も昨日は出かけていたし夜寝るのも遅くなったしで体を休めたわけではないのでふたりしてほぼ喋らなかった。そしてなんだか食欲がそんなにはないことに気づく。

ほんとは仕事のあと展示見に行こうかなと思っていたが、足がぐったり疲れていたので無理はやめとこうと家に帰った。買い物行こうと思ってたけど雨もざあと降り出した。まあ死にはしないからいいか。エトセトラを読んで、ギターをまたひさびさに弾いてみるかと思う。いつも思うけど、宇多田ヒカルの初恋のコードを私はいったいどこに書きとめたんだ?どこかに書いたはずだと思うがいつも見当たらなくてYouTubeを参考にさぐりあて弾き歌いして満足して、それでいつもメモってないとは考えにくいけどどこを探してもコードが書かれた形跡がない。やはりしばらくやってないとコードをおさえるのはもちろん歌をうたうことがぎこちなくなっているし高音も出ない。それでも楽しい心地はある。

そんなにおなかもすかないような、疲れのせいか気持ちがなぜか落ちこむ。変だなと思う。そういえば朝は昨日の会が楽しくもあり自分の日常にとっては異常でもあり、色んなものが混ざり合ってなぜだかつらくなって泣きたくなって泣かなかった。でも決して悪いことではなく、ただ自分のなかにたまっているものがうずうずしたのだと思う。もう何年もあるやつ。それをやはり私はどうにかしたいのだ。

まあそんなんもあったしで雨だし萎えた気持ちを古屋誠一の写真集を開いてうやむやにした。野菜ばかりの夕飯。お風呂に入ろう、その前に歯みがきと思って歯みがきをはじめたはずが急にスイッチが入って昨日の日記を書いた。もう途中で切れないのでお風呂は後回し。日記を一気に書いてるときは時間を一切顧みないのでどれくらいたったのかよくわからない。たぶん1時間半とかはかけたのだろうか。疲れるがすこしすっきりする。すこし肌寒い。

島尾敏雄の日記を、読んでないのを読もう。

そういえば日記を読む会に参加した人たちはみんながみんなiPhoneだった。話にすこし出たけど、日記を書いている人々は書いてない人からしたら奇妙に見えるのだろうか。ただの会社員だけど一般企業としての軋轢などはない環境ゆえ世間一般といった概念に接する機会は私は少ないのだと最近気がつくやや鈍感ぶり。昔の人の方が日記をつけることはより普通だったのだろうかな。いまはそれよりSNSになるのだろう。日記と思えばなんだって日記なんじゃないのかな。夏休みの宿題としての絵日記ってのは、ああゆうのは外国にもあるんだろうか。


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金川さんの日記を読む会にふたたび参加した。とはいえこないだの5月に参加したのとはまた別。その前に4月と6月の2回連続企画の会がkrautraumという場所であり、でも4月の日程が旅行とかぶっていたので5月の公開読む会に参加、そのときちらっと6月の会は欠席者がいるということを聞いたのでどうしようかなと迷ったけど数日前にメールで問い合わせたところ参加可能とのこと。違いとしてはこちらは密室空間で参加者はみな日記を読むということ。そして1回目のときに2回目用に指定された日付や曜日の日記を書くことが提案されていたらしい。そういった、すでにできあがってるらしき中に入っていこうとすることは私は得意でもなくこわごわな気持ちもあったけれど、やはりひとの日記が気になる思いがあり参加してみたいと思った。日記にまつわる様々なことがらがやはり気になる。いやもうこれはすごく気になるというレベルだ。

終わってみると、やはり人によってばらばらな態度や状況で日記は書かれており、自分のものもそう。その一種。それは前回も感じたことだが今回は前回よりさらにふみこんで色々と参加者の方たちと日記について喋ることもできてとても面白く、考えるものがあった。ありすぎて今はもうパンクしそう。でもすごく楽しかった。楽しかったってなんだ、とも思うが、刺激的であったことは確かではないのか?

 

場所は住所非公開にされているとのことで、メールで教えてもらっていたのでグーグルマップでたどり着いたがポストにも表示が一切なくて不安になる。一度外に出てあたりを見回して、でもここしかないよあと勇気を出してピンポンする。そうしたらちょうど金川さんも現れてほっとする。緊張はあったものの、それでも2回目なので前回に比べたらそれは下回っていたと思う。そう思うと5月の時は確かにものすごく緊張があったのだと改めて思った。

5月の時は空間のすき間や開放性、人の出入りの自由もあったし聞くだけの人もいたが、今回はそれとは何かと正反対だった。自分としてはこちらの方がスタンダードな日記があるのかな?と想像したのでそれが聞いてみたかった。場が違えば集う人も違うのだなとわかった。4月の時の話や5月の時の話などをそれぞれしたり、聞いたり。参加者は結局どちらも同じく7、8名だったということになるか。

今回は録音したり、途中でコンビニに行ったり、録音なしでやったり、席順を変えたりした。私としては正直録音するしないはどちらでも関係ないなあと思っていたが、みなさんは違いがあるらしかった。なんでだろう?その辺は、やはり私は基本的にここでこのように公開した日記を書いているというのがあるんだろうか。

5月の時の時点で金川さんの日記の書き方のようなものはなんとなく親近感を持つものだった。でもそれはある程度続けて書き続けている人特有の雰囲気の共有なのかもしれない。今回の他の参加者の方は前にも書いていたことはあるけど、この会のために、この会があるから書いたという方や、あと、結構私が気になったのは日記というフォーマットにおいて何を書くか、ということであって、つまり日記というものを何を書く場としているかってことになるが。ほとんどの人はその日にあったできことを記していた気がする。そりゃ日記だからそうか。でも私は自分の日記がそうじゃない、ということにその中で気づいてしまい、あれ?私のこれって日記なのかな?と思ってしまった。ま、まあ、私はここを日記と思っている以上日記であるはずだけど、それって日記なの?と誰かに問われたらどうしようかと一瞬思った。自分にとっての日記とは、その日思ったことを書くような場でもある。その日その時そうゆうことを思った、という成り立ちを書いておきたいというような?刻印のような。

また、4月に参加されてる方たちは6月にまた読む会があるという未来を持っていたために日記を書くときには読むという意識があって書いたという人もいた。それは私にはちょっと不思議な感じがした。私はというとそれは全然なかったような。いや、ほんの少しはあったか。やはりここでも私はそもそも公開している、というのが関係するのだろうか。基本的に誰かに読まれるかもしれない、というのは忘れてはいなくて、でも誰一人として読まないかもしれないとも思っていて、まあそれは今の所結構どうでもいい。むしろ知りたくないという方向性のような。

それでも人によっては書いてあるけど読み飛ばす部分もあるらしかった。私も部分的に読まないですましたものがある。私はそこに起きている読み上げる日記の選定作業や読める、読めない場所の選抜作業が興味深いなあと思った。そこの心理の働きって、また微妙に違っていそうで。私自身はこんなくだらない自己の吐露を読んで人を不快にさせてはいけないような、とか、同時に不快に思われるのが怖い、といったものがあった。でも5月の時には読まなかった、見にいったライブのことを書いた日のことについては読んでみることにした。5月で読まなかったのは、それは、メジャーでもない人たちの得体の知れない音楽のことをだらだらと読み上げても退屈に感じられてしまうかも、といった思いが働いていた。今回それを読めたのは、やはりスタンダードな日記を書いている方が多く、そこには全く知らない人物や場所、事柄について書かれていたからだった。そうか、それでいいんだよなあとふっと思えた。そういった違いが自分の中に出たのは面白かった。しかし読むのはいつでも良いとされると、自己検閲が入って読む日記を選ぶ作業はちょっと訳が分からなくなりがちだったので、この日、この月、など少しでも指定がある方が逃れようがなくて良い気がした。人によって違いそうだけど。

考えてみると、私はネット上とはいえ直接の知り合いに日記が見つかる可能性なんてないに等しいと思っていて、ここでもイニシャルで誰かが言ったこととかしたことを平気で書いていた。あれ、でもそれってあまり良くないのか?と急に思えたりもした。ミクシィも同時に書いていた頃、招待制だった頃は読める人認定制度を使ってたこともあって実名で書いて公開にしていた。その頃は私の大学生活のことなどを、大学の友人でない人たちが結構読んでいた。私自身、全くよく知らない人の日記でさえ具体的であればあるほど面白いと思って読んでいたからそうゆうもんなんだろうと思っていた。日記に記すのは自由だけど、でも書かれた人からしたらどうなのか、と、ここにきて初めて気づいたというのは鈍感すぎるのか。でもとりあえず、まあいいか、と思うことにする。

読み終えて(この時点で3時間経っていたのだろうか?)、感想などを話し合った。5月の会ではこっくりさんみたいと出たがやはり似たものがあるとか、録音の有無についてとか。一番のもんだい?は1回目の時のど緊張感と、2回目のその喪失についてなのではないかと私は思ったが。私はそれぞれ違う場所で参加したから、会が開かれる場所の影響はすごく大きい気がしたけれど。5月のあれは畳、窓、ちゃぶ台、暑さ、無風、無関係な人々の気配、感情の揺れ動き、写真、といった一つ一つの要素が読むこと聞くことに大きな影響を及ばされた気がした。今回は静かさや気温、風景が揺れ動かず一定が保たれ、そして2回目ということが結局大きく影響したかもしれないけど落ち着いて読める心地になっていた。やっぱり初めてと2度目では、会としては、別物になるんだろうと思った。それが良い悪いというのかどうかは分からないし、それは関係なく読む会の面白さは確かにあったと思う。それはただストレートにひとの日記を聞くということの面白さだ。1回目というのはそれは特殊な経験にはならざるを得ないのだろうと思った。そう言えば、自分の日記を読み終えて隣の人にバトンを渡す時のアイコンタクトも、1回目の時の方は妙にじっとり渡されていた気がする。

この会があることで日記を書くことの励みみたいなものには確かになるのかな?という思いと、でも私はあんまり関係ないような?と思わざるをえない。日記は特別なものではないんだなあと思う。ずっと書いているとはこうゆうことか、と自分のしてることを外から眺められた気はする。すごく書くときもあれば、全然書かない時もあって、常に練習をしている感じ。本番はないまま。

そういえば、数年前の日記を自分で読んだときは結構な奇妙さがあって時空がひん曲がるようなのが少しおかしかった。たった数年前でも、微妙に文章の書き方が違う気がして、とても読みにくいのだった。こいつ何書いてるんだ?とかなり不可解な気持ちで読まざるをえなくて、まるでひとの日記を読んでるみたいでもある。でも自分の中にずっとあるのは読み手がいることを意識したくないといったことだ。意識を持ったらうまく書こうわかりやすく書こうとする気がして、それは嫌だというのがある。それは極力廃したい。完全にないなんてことはないが、態度としてそれは持っている。なにも伝わらないような個人的なものを書きたくて書きたくて、というのが自分にとっての日記のひとつだ。そうだ、だから、個人的なものについての話が出たときは興味深かったが。でも表現をする上ではまたそれはやっかいなことでもあるだろう。

しかしなんか、自分が日記を書き続けていることについて?聞かれて答えるのはどうもむずかしくて。かなりふんわりとしたことしか言えない。この、人に見られてるような見られてないようなといった状態がなんとなくおもしろいような、おもしろいこともあったし、おもしろいことが起こりうる可能性があるみたいな、まあなくても構わないしないと思ってもいるんだけど、でもそうゆうの全体含めてなんとなくおもしろいから、といった感じで、でもそれを言葉にしてみたらいや答えとしてなんも伝わらないでしょと思えて我ながらサーっとひいた。でも、その後で、あ、なんとなくってことで良いのか。なんとなくっていうのはなんとなくっていう状況、状態のことをまさに指し示しているわけだから。それをもっと解体するかしないかだ。しないとする態度をとるならば、なんとなくさ、についてはなんとなく以上に語ろうとしちゃうとなんとなくさが壊れてしまうよね?ってことかな。

最後、いける人で夜ご飯を食べにいった。5月の時もそうだったけど、参加者の人の多くは何かしら表現に関わっている人がほとんどだった。そうゆう時、他の場とかでも、ちょっと身を引いてしまう自分がいるかなあと思う。同時に自分はただの会社員という立場がそれはそれでそこでは奇妙たり得る気もするが。でもなあ、どこか羨ましく思うようなモヤっとした思いも流れているなあと思う。それは、表現をしようとする人たちには意思や信念を感じるからだろうと思う。自分はどうなのかと、それだけで突きつけられるようだし、また、人が表現をしようとすることは特別に特別なことではないんだということも感じさせられる。私はアートなどが好きな友達が周りにいるわけでもなくそれが普通になっているけど、それとは違った環境や人々がいるんだなあと思うと眩しくも見えてしまう。

でなんか詳しくはわからなかったけどほとんどの人は事前に金川さんと知り合いだったとかなんとかで、あ、じゃあマジの日記マニア?愛好家?みたいな人はまだまだ出てくる可能性などあるのかな?など気になり、金川さんが何かしら日記について続けて行ったらどんなものが出てくるのかなと気になる。金川さんが私の日記についてハードコアと言っていたのが笑う。人と日記についてこんな風に話せるなんて考えたこともなかったから、改めて日記というものを考えられるようになった。ことばから、金川さんは常に考えている人だなと思った。言葉の用意があるかないか。それが作家だろうけれど、この2回を参加できたのは金川さんの人柄にもよるところは大きい。

 

 

金川さんのすごくよかった日記を読む会についての文章。みんなであれはよかった、と言い合った時の空気がすごくよかった。

金川晋吾 「日記を読む会」 - krautraum

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前の晩が26時くらいまで起きたので眠いかと思いきやそれはそんなでもない、でもまた異様な体のだるさ。特にひざ下のだるさが異様。早く帰りたい。でも仕事がやっぱりたくさん来ているらしい。夜ご飯は塩豚と野菜を焼く。昨晩のライブが胸いっぱいすぎて書けそうで書けない。ツイッターでタイセイさんがいいねをしてくれて恥ずかしくて死にそうな思いに至る。

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朝眼が覚めるとぐうぐうと苦しい。まるで前から両肩を押さえつけられるように起き上がるのがつらい。なにか見えない敵と戦うようだ。あとから考えると金縛りに似ているようででも全然違う現象ではあった。起き上がることを許されないおふれが出てるかのような、起き上がったら罰せられるかのような。うわあなんだこりゃあという感覚のなか聞こえたのはご飯の炊けた音。昨晩タイマーセットしておいた。朝にセットしておくのは珍しいのだが。大して良くない炊飯器なので、冷凍するには炊けたらすぐにラップに包まないといけない。保温で放置するとまずくなる。だから朦朧とするなかでそれは、それだけはやらなくちゃいけないと思って気体に全身であらがって起き立ち上がり、半分見えてないような気持ちで出来立てのご飯をラップに包む。ほめたい。そうしてまた布団に倒れこむ。起きなきゃいけないという気持ちといや体がこんなに言ってるんだからいいのではないかという気持ちがせめぎあうのか寝ては覚める。でもやっぱり体がものすごく重く、言うことなんてこれっぽちもきけないという感覚にどんどん支配されていく。何度目かの目覚め、8時前なのでもう連絡しないとと思って社長にメールする。起き上がるのもつらくて、と書いたがご飯のためになら起き上がったんだけどと心のなかでつぶやく。

その後もひたすら重力に縛りつけられ、流石にいつまでもこうしていてはいけないと思う。湯船につかろうと思う。入る。出る。それでもあまり変わりがないのでこりゃいったいなんなんだろうと思う。考えたらここ数日連続して夕方になると頭痛がやってきていた。最近はごぶさただったけど暑くなってきたせいかと危惧していた。迷惑だ。疲れているから頭痛するのか頭痛するから疲れているのか、そうゆうのはわからない。果たして関係あるのかどうか。

夜に見にいくライブまでにどうにかなればいいかとだらっとする。なんとか少し持ち直してきたので新宿行く前に飯田橋に行ってアンスティチュフランセの金川晋吾さんの展示『同じ別の生き物』を見る。同じで別で、同じで別の、生き物かあと思う。像の皮ふがすごい。いなかのおばあちゃんの皮ふのことを思い出す。自分の皮ふもいつかこんな風になるのかなと思う。子どもの頃からアトピーで今も傷が簡単については治りの遅い貧弱な自分の皮ふはいつも頼りなく、30も過ぎて老化を感じざるを得ない。いつまでも同じではないだろう皮ふがたるんだりシワが刻まれたり表面が固くなったり、そうゆう変化は自然とやってきて、それに抗おうとかしてるけど、無意味な気もするだろう。なぜ像なんだろうな。ピントの合っていない写真に自分はピントを合わす。

 

それから新宿三丁目へ移動してピットインでVincent Atmicusを見た。日記によると6年ぶりということになる。も、私は、ヴィンセントが特別に好きすぎちゃって、、といったようなことはもはや散々書いている気がする。でも特別に好きだからこそアルバム出してばんばんライブやっていた頃がむちゃくちゃかっこよくて無敵だったのを知ってるからこそ、こんなにも久々にやるっていうのは少し複雑というか、あの頃と全く同じではないよなあということとか、新曲といったものはないということとかが少し寂しくも感じられてしまうものがある。

だがそこに今回はサックスで後関好宏さんが参加するとのこと。そうゴセッキー、ゴセッキーと私が呼べてしまうのはDCPRGで吹いているのを見ていたからだ。むしろその後のことは全然知らなかったが数年まえにNHKの音楽バラエティ番組見たいのにバックバンドみたいなので出ているのを見かけ、在日ファンクでも吹いていると知った。そして最近では芳垣さんと共演しているのをスケジュールで見かけていた。なんせ17の頃とかの記憶で曖昧だし当時は今ほどはネットに情報が安定して流れていたわけではないが、ゴセッキーはDCPRGで一番若くてでも菊地さんに声をかけられて後から加入したらしいことはなんとなく知ることができた。一番若い、そしてブログでもすごく素直そうな純朴そうな人柄が見て取れたので他のメンバーがもっと年上で占められてたこともあってか私としては親近感があったのをなんとなあく覚えてる。

そしてヴィンセントはもともと菊地さんがいたバンドだ。まあ単純にそこにゴセッキーが入ったからって菊地さんのフレーズを吹くとは思ってないけど、でも、私としては当時のDCPRGで共演してた芳垣さんやタイセイさんとゴセッキーが共演するのをまたここで見れるなんていうのは時間の流れを目の当たりにするようだと思った。そしてそのことはライブで実際に見て本当に目の当たりになって、なんともなんともいえない気持ちでいっぱいになった。それは本当に言葉にならなくて、ただただうわああーという思いでそのままにしてたら液体となって垂れ流していまいそうなものをこらえながらステージを見ていた。私が知らない間もゴセッキーはサックスを音楽を続けていて、こんな風にサックスやフルートを吹く人になっていたんだと思うと、なんだか感動してしまったのだ。

セットリスト通りに思い出すと1曲目はMBIR-VA、ゴセッキーがまずフルートを手にしていたのでおっと思うと、そうか、タイセイさんがフルート吹いてたのをゴセッキーが担当し、それによってタイセイさんは鍵盤ハーモニカを吹いた。それがまたさすがって感じですごくかっこよくて素敵だった。曲にとっての新しい音だ。あー、タイセイさんの色んな楽器を扱えて様々な音色をまるで色とりどりの鳥のように奏でてしまうところ、ほんと魅力的なんだよなあと久しぶりに思い出す。この後もずっと全部、自分はヴィンセントの曲をよく覚えている、知っているとわかってしまう。この曲の始まりは自分にとってもヴィンセントらしさをとても感じる曲で、あちこちばらばらなところから音が集まってくるイメージがある。それは例えばどんな辺境からなんだろうか、大陸か、海か、地球上なのか。あと、水谷さんと芳垣さんの音がとても気持ちよく出だしから聞こえて、ああこれぞピットインって感じだなあと思った。

2曲目は太田さんのハミングみたいな宗教音楽のような雰囲気からTurkish Van、この曲で早々にツインヴァイオリンのコントラストの面白みは映える。これぞヴィンセント、と思う。我ながらよく知っている。

そして芳垣さんのお喋りで鬼怒さんからの楽曲提供の経緯が明かされつつ(ボンデージフルーツであまりやらなくなったからくれたとか、もはや何度も聞いた気がする)大建設、これは左右で4人ずつ別れるパートがあるわけだがゴセッキーは右の芳垣さんチームへ参加。芳垣さんと岡部さんのツインドラムと言ったらROVOのドラムセッションが有名だろうけど、この曲で見せる交互にいかに自分のチームで音を鳴らし遊ぶかといったやり取りはまた全然別物で面白い。でもまあちょっと芳垣さんのが上手かなあと芳垣さんびいきな私は思っちゃう。芳垣さん岡部さんならではの繊細であり豪快でもある音の投げ合い、やり取りは見ものだ。全員で鳴らすところも太くこぎみよい音がどこかの深淵にいざなわれるようだ。こうゆうのがやはりトロンボーンがいる音の面白さだなあと思う。

そして4曲目Eatborfa、この曲はちょっとROVOっぽいツインドラムの動きになるなと思う。その上を走る高良さんのヴィブラフォン、と言うのが最高に楽しい。私の中ではジブリ作品の何かしらの疾走するようなシーンが結ばれる。約1時間、前半はこれでおしまい。後ろの席の人の声がでかくてうるさい。

 

後半は芳垣さんがいつも言うことだけどタイセイさんの曲が好き、その中から、くつわむし。絶対やるだろうなとは思っていた。松本さんが出だしの方のタイセイさんと一緒に吹くトロンボーンパートがちょっと辛そう。メンバーのなかで松本さんが一番お年を取られたなあと思っていたので、しょうがないのかもしれないとは思いつつ、ここのトロンボーンパートはとても象徴的な音だ。揃わないのは少し残念ではある。しかしこの後もみなさんそれぞれおよよっとミスが出る場面が出てきて久しぶりでこのバンドの楽曲をやるハードルの高さをささやかにも見て取った。

 次は魚鳥とフンデルトヴァッサー、嬉しい!この曲は前半と後半の化けが面白く目がさめると言うものだ。今回は後半での太田さん勝井さんのヴァイオリンの交互に投げかわす展開が熱かったことといったら。特に勝井さんの熱で焼き切るような強靭な音に対して太田さんはやや上品すぎて弱いか、と思っていたら太田さんがヴァイオリンを替えた!青いほうは上品な高貴な音を出す感じで、それを赤茶のぐんっと遠近の強くはっきり出る方のヴァイオリンに替えてきたので、ああそりゃそうだよなと言う思いとどうぞそれで負けずと弾いてくださいと期待を込めて思ってしまう。勝井さんはROVOでしか見てないので、そうかこうゆう音も出すんだよなあと改めて知る。とてもかっこよかった。

3曲目のParadeではゴセッキーのサックスが前に出てきててとてもかっこいい。ゴセッキーのサックスはアルトを小さくしたような形でソプラノみたいな音を出す、見た目がまずかわいい。そしてまあるく綺麗な美しい音を出す。初めて聞くような楽器だったのですごく新鮮で、目をつぶって聞いているとあれ?なんの楽器の音だっけ?と思ってしまうこともしばしば。なんかなこんな純粋に綺麗な音、と形容し、思ってしまっていいのかなって言うくらいに美しい音だったんだよなあ。吹き出される音自体が。素直でひねくれてなくて。こうゆうまっすぐな音もあるんだなあと、そんなことも知らないのかと呆れてもおかしくないようにして思った。

最後の曲はタイセイさんの曲、⭐︎⭐︎🌙、これも定番曲だけどやはりピカイチで面白い曲だろう。芳垣さんが好きだと言うのも十分よくわかる。

アンコールはColombian March、あ、もう全然覚えてないけど良かった、終わってほしくないくらい良かった。終わってしまうのかと思うと物足りない気はした。この日は立ち見も結構いたんだと思うし何より自分と同じくらいの年代の人もまあまあいたように見えたし拍手喝采で興奮した場内があった。でも昔はもっとすごかったんだよって思っちゃう自分もいるかなあ。でも別に同じことを求めたいわけでもないし。昔と今はそれぞれだし今が悪いなんてわけではない。ただ私が思ってしまうのは、ビシッと決まるこのバンドの醍醐味のアンサンブルの楽曲の強さをあの当時もっともっと多くの人が知ってくれていたらなあ、見てくれていたらなあといったことなんだろと思う。このバンドが見せてくれた、聞かせてくれた静寂と躍動、個と群、リズムの複雑さに安らかなメロディ、合わさるダイナミズム、それは私にとってROVOでもDCPRGでもないこのバンドでしか出会えないものだったんだなあと、それは今になったからよくわかるのだろうかな。色々なことが色々なものを含んで思うことがいくつもあった、そんな一夜だった。良い夜だった。