最近、というかよく考えたら先月頃からゆるゆるとずっと仕事がひまだ。全くないわけではないが、会社始まってからこんなに時間かけてずっと暇というのはなかったような気もするかも。今までなら一応9月から繁忙期的なものに 入っててよいわけだが、全然そんな匂いもしない。仕事の話があってもまだ先の話とかあるかどうかもわからない話とか。大丈夫かこの会社。私の給料支払われるだろうか。いつも今までもそうゆう心配をすることはあってもまあ気にしないでおこうで知らん顔してきたが、流石にどうなんだろうな。やはりほかに副職なものを手につけていくべきなのかもしれないな。でないとこの先ずっともこの仕事でやっていけるのかどうかはそもそも心配の種であったし。でも何するんだって話だな。もし今のこの仕事、会社で食っていけなくなったら同じ仕事で他の会社探すんだろうけど、基本的にこの仕事は体力的な面が強いのでそこらへんはどうしても考えてしまうが。まあでもそのときは失業保険もらいながら考えたらいいのか…もらえるのかな…。

 

昨日と今日とで栃木と山梨の現場だったがそもそもかなりあっという間に終わる仕事で人工も1人分しかないだろう仕事。ただひまなので私も一緒に行ったに過ぎない。そしてハイエース運転するのも嫌な私。ほぼ完全にいる意味はないわけだが。どうにか意味ぽいものを浮かび上がらせるしかない。うーん。しかし毎日こうやってたいして働かないでいるのは楽だな、楽すぎてこの社会に生きていない人みたいだな。それはそれで悪くない。栃木や山梨の風景を見ながらこうゆうとこではどうやって暮らしがあるのか気になる。私には新築の家を買うのに何千万も出すような感覚がないだろう。自分には縁がないだろう。かといって東京やその近郊でない土地であればやっていけるかと言うともちろんわからない。虫苦手過ぎるし。私は基本的になんに対しても積極的能動的に自分で選ぶということをできないでいる。それは自ら探さないといけないだろうが、どこから手をつけたらいいものやら。生命保険に入らされてるけど一体いつの誰の生命だよと思う。でも怪我したり病気したらお世話になれるのだろう。オチは付いている。死んだらそれもまた、それがそう。

栃木のあたりで田んぼが黄金色になっているのを見て気持ちいいなと思う。田んぼのある風景は自分にとって気持ち良さや心地よさを喚起するものだったのだ、と気づかざるを得ない。それはおばあちゃん家に行けばある風景、そこに付随する風景に過ぎないと思っていた。もうあの風景、あのような心情は、そこにはないのだということが虚しい。

午前11時から「ホフマニアダ ホフマンの物語」を写美で見る。前々から見たかったものの見逃し続け、ようやく。あまり内容をわかってないで見てしまって楽しめるのかどうかというのは気になっていたが、まあその予想はその通りの面もあったし、いや初めて知るものごとの世界であっても魅了されてしまう造形、物語のある世界だった。チケットを買った時に登場人物たちの相関図をもらったのでそれは事前に読み込んだ。誰が誰だがわからなくなりそうだなと思って。でも結局主人公のエルンスト/アンゼルムスがどっちがどっちだかよくわからなくなったりして、うわ私だめだなーと思いつつ区別してみることは諦めていや結局どっちもでひとつなんだと大雑把な気持ちに徹した。でもそれで困ることはなかったし、そこに気をとられることもなかったのでよかった気がする。しかしほんと狂気的なほどに髪の毛一本一本がばらばらになびいたりしていて、うわコマ撮りアニメーションってほんと狂気、狂気の人が世界には一定数いるのだなとうなる。人形はもちろん衣装も美術も貫通した魅力を備えていて、できればもっとじーっと見ていたいような気持ち。写美のホールは見やすいけど空間が開けてすっきりしているので映画館のような迫り来る圧などが物足りない。想像世界での展開は微妙についていけない突拍子さなどありつつ、ひとつひとつの部分は古典的な物語の要素といった感じがあって、すでに知っているという余裕と私が知っている前からずっと知られている、もしくは知らなかった、知っていることとは違ったけど知っている気になれているというおそれが入り交じったりした。蛇という動物ひとつとっても国や地域によって伝説や言い伝えとしての象徴の役割は違うだろうし、あ、こうゆう扱い方をするんだな、というのがしかし色んな物事からの情報が自分には入り混じっていて自分がもともと持っていたイメージが何、どれだったのかよくわからないなと感じる。そしていつの間にかその最初のイメージ(子供の頃に最初に見知ったもの)は消え去っていき後からこうして見ていくイメージに更新されていくような気がした。蛇は怖れか、畏怖か、美か。そのように多面的なイメージを持ちうるものはそう多くあるわけでないと思うが、それだけ見る人に様々に違う印象を与えられるのだからおもしろいな。最後の大円団みたいなものより過程ひとつひとつがやはり良かったかな。子供時代や機械として作られた少女のエピソードが印象的。

同時上映のマイリトルゴートが想像をかなり裏切られてなかなか怖くて、怖さというものに対する新鮮みがあった気がする。前から知っている物語のはずなのに、あれ何かちょっと違う?という違和感、その違和感にどこか一層の奇妙な気配を感じ始めてしまうのだ。ちょうどセリフの切れ目のところで前の方にいた小さな男の子がいやだよーこわいよーと声をあげたのだが一瞬それはスクリーンのなかの声かと思ったほど、ちょうどぴったりでもあった。始まる前に男のがいるのを目にしていたから、あ、違う、とわかったけど。そのあともやだよかえりたいよ〜と言っていたのでそのままお母さんだろうか、抱えて出ていかれていた。確かにその気持ちわかる、わかるっていうかほとんどみんな思ってたけどみんな黙って口にしてなかったことだ。それをよくぞ言ってくれた!という気持ちでもある。すごく良かったな。ヤギの一体化フォーメーションはひつじのショーンだよね?!ということを誰か同意してくれないかな、いやでもあれ絶対そうだよなあ、そうでしかなかった。そこだけ笑えてほっとしたけど最後の最後まで秘められた大人、子供のそれぞれの意思があり、10分ほどの作品でこんな風に濃密にコマ撮りで作り込めるんだという驚きがあった。

それから三越の地下でカレーをたべる。ファミリー層ばかりだし、みんなおよそリッチそうで私は場違いというか異質かも。でもカレーおいしい。そのあと写美でまた展示見るかどうか迷って、いや、ベンチでぼーっとする。今日は下の広場で何かイベントをやっており演奏ステージもあった。昨日の展示のテキストや持ってた文庫を読む。上の広場でやってたマルシェは場所を移動してなのかな。花屋さんで買う。

渋谷のアップリンクで火口のふたりを見る。

ツイッターでは結局文字数の中でまとめてしまっているから貼り付けてしまうと色々削がれてしまっているものがあるとは思うけど、でも削ぐことでそれはそれで率直に感じていたものがむきだされる気もしたりする。色々見てしまうと影響を受けてしまい自分が本当は思ったり感じたりしていなかったものをいつの間にか取り込んでしまっていたりするから危険だなあと思う。自分が感じた違和感はなんだったっけ?どこだったっけ?というのを覚え留めておくのは結構注意してないといけない。私の場合は。

午前に来るはずの荷物が結局待っても来ない。まあいいか。ほんとは写美の講演会を聞きに行こうかと思ってたが長時間の通訳の入ったトークを聞く気力もない気がして、たまたま午前中にCINRAで読んでた遠藤薫さんのインタビューで資生堂ギャラリーの展示のトークが14時半からあると知りそっちに行くことに。すごくではないが暑い。飲み物を買ってばかりいる。銀座は中央の通りには自販機やコンビニがなくて困る。遠藤さんは今年のVOCA展で見て一番記憶にあるし、おもしろいなと思った。でかかったしな。その時の作品も出ていた。小柄な方で、喋りだしづらそうであったが、ひとはやっていぬと少しずつ慣れていくのだろうな。お客さんは老若男女。VOCA展の時はベトナムでぞうきんを交換してつなぎあわせてでかいぞうきんにしてそれで実際道をふいていて、そこから破れたり裂けたりして現れ出てきた現在の一枚の大きな布としてあるみたいなことだけ知ったと思う。しかしインタビュー読むとその布のとらえ方、またほかに蚕を使っていたり、そもそもの出自の話からしてとてもおもしろいひとだなと思った。そして素材や土地への調査もなされておりぐわぐわゆさぶってくるものがあるような気がした。

お腹すいたので何か食べようと思うもいまいちこれというものがあるわけでもなくもう15時半とかだからがっつり食うのもなんか違うしと彷徨い出す。やばいループ。ううううとなりながら結局日比谷シャンテのプチメックで食べる。パン飽きてきたけどまたパンを買う。安くて簡単で気楽で素早くたべれる軽食屋さんってなに。いまいち世の中には求めているものがない。

そのあとG8ギャラリーへ。有山達也 音のかたち展を見た。レコードプレーヤーを買いたいと思っているが結局どれを買ったらいいものか、置き場所問題、などあり結局まだ買えていないが少しは調べたりしたのもありこの展示も面白そうだなと思った。何がよかったっておそらく有山さんの私物なのかしらの揃えられたオーディオで聞くレコードやテープの音の良さだ。空間で鳴っている音がおもしろい。うわなんだこれ、この感触、こんにゃくのような?なんなのだ、という焦りと不安と面白みでチョット高揚してしまう。訳がわからないものの中にあるこの興奮作用、成分はやばいなあ。偶然かもしれないけど展示をじっくり読み、見ているのは男性ばかりだった。こうゆうのは断然に男性の方が好きなんだろうなあと思う。しかしオープンリールテープでの録音のこすれとかレコードの針との接触のこととかだったかな、そうゆう点にエロいとか言うのは男性視点な感じはした。まあ少なくとも私にはそのエロいの感覚が全然わからなくて、内心少々キモ〜って気がした。意見は違って当然だ。もっと見ていたかったけど荷物が来るので急いで帰る。大きい花瓶を買ったのだった。

 

 

急に仕事は休みになった。ほんといつも週4だったらいいのに。ずっと気だるいままでいるので午前中に何をしたということもない。森美術館に行こうかと思っていたが後の時間を考えると滞在時間が微妙になるな、という時間にまでなり結局写美にいってこないだ少ししか見れなかったポーランドの女性作家たちのしなやかな闘い展を見た。1時間以上時間はあったが、やはり映像作品ばかりなのでまた結局全ては見きれずに終わる。おいおい、、ではあるが年パスあると気にしなくて済む。しかし面白い作品が多い。すごい。特に自らの身体を使ったものが続くので想像する痛みや危うさにじっと見ざるを得なくなる。

そこから横浜へ移動してROVOサムズアップを見るがその前にお腹空いたので同じビルの中のモスバーガーで簡単に食べる。コーンスープが飲みたかったから。食べてたら益子さんが入ってきたのでついその時ガン見してしまい、いかんいかんこんなに見たらファンと疑われてしまうかもしれないと思ってなるべく目線をあげないようにした。でも私の死角のとこに座られたのでそのあとは気にせずに済んだ。公共の場で見るとなにか急にあやしい人に見えないこともないな?などと勝手に勝手なことを思ってしまう。いやいやそれは考えすぎだ、馴染んでいるじゃないか、とか思いながら他の成人男性を観察比較しながら過ごす。

とりあえず開場時間に入り、いつもと同じような場所で見ることにする。kさんの友だちの女性の方がいたので話していたら、来月のキセルワンマンの話が出て、夫婦でペアチケットで取っているからそっちに行くことになっていてと聞く。他にも話していたら話せる共通項が多かったのでなんとなく安心してしまったのだった。と同時にROVOはやっぱり間口が広く、ROVOが好きな人であればある程度共有の融通が効くんだろうなあと思う。

ライブはSPICAから始まったので、新鮮な気持ちになる。ってことは今日のセットリストは最近やってきてた新曲たちをどう組んでくるのかな?と結構謎に思う。SPICAはとにかく最初のドラムの手数の複雑さが改めて興味深い。至近距離で見れてるのに、あれ、どうなってるのか全然わからない、要は視覚と聴覚で整合性がつかないんですけどと思う。今回は芳垣さんがいつもより角度を開いた感じになっていて、この方が見やすい。ハイハットが穴あきものになっていたが、芳垣さんが穴あきのものを使ってるのはなかなか見たことないような気がする。岡部さんは正面から見てる形になるのだが、岡部さんの叩き方で一番チャーミングなのは上半身をわりとかがめて連打している時だな。今回はどうも音のバランスが居場所的に悪く、山本さんの音は特にずっと聞こえが悪かった。ベースの音も最初は特に聞こえなかった。ついでに空調も弱いのがサムズアップだ。そうゆうのもあって今回は岡部さん芳垣さんをずっと見てた気がする。ふたりは他でも一緒に演奏しているけど、それでも一人一人の別個の人でありそこで共に演奏することは常に一度きりの緊張状態なんだよなあと思う。信頼や慣れといったものはもちろんあるだろうけれど、それは土台でありその上での作業は常に更新しているもののように感じる。ふたりの、それぞれの視線の送り方や演奏の動作を見ていたらそういったことを思った。もはや、そのように視線を送り合い、受け取りあえる間柄がなんとも羨ましいような気持ちにさえなっていた。そういえば終演後に見えた新曲らしき曲の楽譜はやはりいつものようにABC表記だった。

 

新曲を2曲だか3曲だかやったようだけどその辺の認識はよくわからなくなったかも。叙事詩かよ〜の曲が山本さんのギターかましで始まる7拍子ででもそのうち拍子が変わった?と思ったんだったかも。叙事詩かのように3.4場面転換して描いてるような曲ということ。音として聞こえにくかったのもあるんだけど、山本さんがメインで弾く曲が今回はかなり少なかったのが印象的。セットリストなど諸要素合わせてまた新パターン、もしくはこの日ならではの演奏だったように思う。それはサムズアップでやるという日への試しであり信頼のようなものとしても勝手ながら想像をした。あまり期待しすぎてしまうのもよくないのかもと思うが、しないのも失礼だろう。急にそんなことが気になり始めたのだが、でもそこに対してすぐさまクリアーな答えが出せて、見せてくれるのもROVOならではかもしれない。どんなバンド、人だって演者側と観客の互いがいることによって生まれるものがあるだろうが、サムズアップというあの狭い場所ではそれが濃縮され充満している。それはどちらも自己都合だけではなく、がしっと組みあい掴みあっている、離れられないというか離しやしないといったもののようだと思った。

終演後、チケットを渡すのに初めて会ったiさんと、kさんtさんとで去年も行ったお店に行った。やっぱりここの焼き鳥は食べやすくて良いなと思う。サムズアップのジンジャーエールがバカでかかったので流石に飽きて烏龍茶を飲んだ。色々食べながら色々喋ってもともとお店入ったのも22時過ぎだしあっという間にお開きになった。でもなんか良い感じになったのでよかったなと思った。これは新鮮さと懐かしさか?kさんと途中まで同じ電車に乗って帰る。再会してからというもの、すっかり友達っぽくなったなあと思う。その前はもともと直接連絡を取るといったことはなかったのだから、まあだからずっと会うこともなかったわけだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

せっかく先週は1週間分の日記を書き連ねたと思ったのに今週は結局また一切書かずじまい。なんとなく気持ちがだるくて何かを見たり聞いたりする気持ちにならず、仕事もかなり暇だったのでそれは嬉しいがつられて自然とだらけてしまうようでもある。今日は昨日1日あちこち行って見たせいか、しかも24時過ぎてからお風呂上がりにつけたEテレでバリバラの特番生放送やっててそれがめちゃくちゃ面白く、終わったのは26時すぎくらいだったのだろうか、おもしろ過ぎて寝れないとか一体いつぶりかわからないくらいだがそれから寝たもので朝はぐだぐだ9時頃ようやく起きた。自分としてはかなり遅い。でもまあ今日は買い物いくくらいにしとくかなんて思う。今あまり展示を見に行く気になれないのはあいちトリエンナーレのごたごたを目にしてしまってるからなんだろうか。それと、東京で自分が実際見に行くものは違うが、もちろんそうだが、なんだかそうゆう気になれないといった自分がいるのはおかしなことだ。笑うべきだろうか。自分は結局大してアートが好きというわけでもない。音楽だってそう。何に対しても自分は好きだなんて言えないと感じる。昨日は写美に行った、写美は楽しい、何かしら楽しいはず、というのがあるらしい。お昼前に母から荷物が届く。あれ、こないだ実家におき忘れていった洗濯物が入ってないな。買ったばかりの服が。その代わりというかなんなのか、こ、これはと驚くくらいガーリーな半袖のブラウスが入っていた。しかし新品という感じや最新という感じも薄い。タグもついていないし。どうゆうことだと思って連絡を入れる。で結局池袋で荷物の受け渡しをすることに。先に着いたのでどさんこプラザやロフトで買い物を済ます。エトヴォスの新色の限定のリップを買う。これがかわいいかわいい。母と合流して千疋屋へ行く。長蛇の列だが意外と進みはよくそこまで待つわけでもなかった、いや待った、その間にweb DICEの津田さんの記事を読んでいた。アップリンクの浅井さんがもともと津田さんのやり方をよく思っていないという面があると思うが、それがそのままこの記事でも先導されてるのは違和感がある。津田さんも質問に答えていないようなところがあったり、結局言えないということに対しての先が開けない感じはなんだかなあ、もう全体的になんだかなあ、と感じたりもするがちょっとあまりに津田さんを責める誘導が強すぎるのではないかとツイッターを合わせて見てると思ってしまう。桃のパフェをふたりで分けて食べる。カフェラテも美味い、美味いと感じることが贅沢だなあと思う。美味いものがあるということは希望的。ガーリーな服のことについて尋ねると、西部のアンティーク市でフランスのものを扱ってるお店がありそこで袖がパフスリーブになってかわいいっと飛びついたらしい。しかも消費税分おまけしてくれたらしいが、それでも1万超えたお値段と聞いてびっくり、おお、そうか、、、これはよくちゃんと着ないといけないのだな、、とひとりプレッシャーを感じた。母のこういった洋服の買い物は時々今でも驚かされるのですごいものがある。まあなんとか着こなせるよう努力しよう。可愛すぎるので、他でバランス取らないとだけど、私の顔で似合わせられるのかはかなり恐怖でさえある。姉夫婦の話などを聞いたり、私は中古マンションでも買うべきか?など話をした。別れて東急ハンズでゴム状のストレッチ器具的なものを買う。他にも生活用品など買い物をして最終的に荷物が重い。帰ってきて2方向の窓を全開にして過ごしていたがやはり網戸してるのにベランダ側から小さい虫が入ってくるようで血相抱えて処理する。虫つらい、ほんとこれだけはどうしても嫌だ、虫には悪いが気持ち悪い。金曜のろぼのライブに備えて音源を聴くといういつもの行い。