昨日からなんとなくなんかこの体が変な感じがするのは何のせいなのか、時差ボケ的なものか生理前だからなのか、要は結局これといった原因の特定はできないのだが、どうもおかしいなにかだなとは思う。帰りにどこかギャラリーでも寄ろうと思っていたが無理な気配しかない。はやく帰りたい。なので今日は午後から出かけて今日で終わりのギャラリーをいくつかまわるだけにしようと思っていた。だが用意万端になったところでどうも変だ、どうも全身がぐらつく。特化して気持ち悪いわけでもなくふらふらするわけでもないが、半分自分で半分自分じゃないみたい。気力もでない。ため息ばかりでる。これはだめだ、ととりあえず1時間ほど寝た。よしなんとか、と立ち上がるがやはりだめ。しゃきんとならない。やっぱり展示は早いうちに見に行かなきゃだめなんだと泣く泣く出かけるのは諦める。なんともぜんぜんうまく言えないが、これは薬切れのときの状態に似ているなあと思う。体が半分浮いているような、離れてしまっているような。まだ生理直前でもないのにこんなに体調がぐらつくなんて、気味が悪い。アマプラに入り、HBOのドラマ、チェルノブイリをついに見始めた。すごいというか、こわすぎる。この虚構をしかしとんでもなくリアルなんだと感じている、感じようと?している自分がいる。ゲンロン10を読みこないだの東さんの7時間ニコ生を見て、という順番だがもっかいニコ生見たくなるパターンだったなこれは。

急に、この時期になると大学生の頃のことが思い出される気がした。そう思った途端、風景や光景が思い出されるよう。まるでそう思ったからイメージがついてきたかのようだが、それでも先に出てきたのは大学の構内のイメージだった。なぜだろうと思う。日が暮れるのが早くなって空気が澄みはじめるから記憶がひときわ鮮やかに保存されているのだろうか。そしてそれが空気を共有して、むしろ強要するようにして思い出されるのか。でもこの季節は毎年あるものだ。なのにスポット的に大学なのはなんなのだろう。

 

 

昨日はオウガのライブには行けず家には18時半頃帰ってきた。前の晩に泣きすぎて目が重くて仕方がなく、両親話をする気力もない。ひとりでレトルトカレーの朝ごはんを食べた。それからタクシーで空港へ。早々にチェックインしてこれからホノルルへ行く両親とは別れた。気をつけてねと言われた気がするがそれになにか返すような余裕もなくなんの返答さえしなかったかもしれない。ほぼ屋外の待合所。ようやく帰れると思うとありがたくてしょうがない。父は最後もやはり無関心な人だった。つい毒親というワードで検索した。ああ、今までずっと毒親とまでは言わないだろうと思ってきた、それは断定を避けてきたみたいなものだったけど、毒親に近いものはあるんだろうと思った。自然と最後に通ってた心療内科であなたはアダルトチルドレンですねと言われたときのことを思い出した。本を開いて見事に自分があてはまっていったときの驚きと安堵。自分の苦しさには出どころの理由があったのだ。でも私にとってはけっこうそれだけで納得を得られてしまいそれ以上を深く追求する気にはならなかった。そのあとも結局カウンセリングを受け続けるお金への罪悪感がつらく、通院もぶっちぎってやめてしまった。それで両親への怒りはおさまったのだと思ってきた。両親という人たちも未熟な人に過ぎないから何かを期待したりするのはやめたほうがいいし、子供に期待しすぎる親をいさめるべく私は自分はしょうもないのだから期待をしないでと繰り返しつきつけた。そうやってどうにかリセットをしていけると思ったが結局親に対してのうざったさは増し、父は相変わらずの無関心、私もまるで関わる気はなく、このままずっと一緒に暮らしていくのは無理があると思って私は家を出た。それでも、それなりにうざいがものすごく悪いひどい親として認定することはできなかった。親子とはその程度のようなものだろうと。ああでも違ったんだ、それじゃあ違うんだって、ようやく気づいた。今までぜんぜんなんにもわかってなかったんだ。

 

会社に行きハワイの話がぜんぜんないので引き気味に笑われる。ちがう、それよかまたひっくり返ったゴキが出て…という話をした。ひさびさに外での車の仕事があったのはすっかり忘れていたが天気は良く寒いこともなく良い気分転換になったかもしれない。

誰にも頼らず生きていくことなんてできないけれど、誰かに頼らず生きていけるようにならなければ、その気概がなければ生きていくことなんてできないのではないか。そうでなければ私は頼れる親に依存するしかないのでは、それは、やめるべきだ。いい子に、いい娘になる必要なんて私にはない。演じる必要もない。それは私にはできないことだ、できないことを無理してやろうとするには無理がある。たとえ誰とも喋らない土日があっても、つまらなく感じる仕事、会社の日々でも、なにも感じない鈍感なものになれたら楽なのだろうか。自分の好きなものや興味をかられるものがあれば、それでなぐさめられ勇気付けられ希望を見れるのだろうか。それは理想的?わからないが。でももっと自分の意思や好き嫌いやを行使して、振り回されることにも強制されることにも無理やりいうことを聞かされることにも拒否を示さねばならないと思おう。強くなる、というのはあまりに抽象的で大きすぎてしまうがそのようなものに向かわねばいつまでも自分はこのままだ。

もともと全然行きたいとも思っていない両親とのハワイ島旅行、でも子どもなら行ってあげないといけないのかなというおもきで、それくらいは努めなきゃいけないのだろうと思うことにしていた。でもちょくぜんになればなるほど行きたくない気持ちは高まるばかり。ゆううつで仕方なく、こないだおばあちゃんが急に入院になったタイミングでどうにか取りやめにならないものかと希望を抱いてさえいた。もともとは姉夫婦も行く予定だったが姉の妊娠がわかり、私と両親だけになった。その時点でも取りやめにならないのかなと思っていた。加えてオウガのライブの方が断然行きたくてしかたがない。とにかくどこにも行きたい思いが見つからない。役割、義務を果たすということだけを課さねばならなかった。

でも、そんなことを思うこと自体私の思い上がりだったのだ。私にはそんな役割果たせっこなかった。そんな度量も器量もなくて、もうこんな人たちとは縁を切りたいくらいだ。一人暮らしをしようと決めたったのも、このままこの人たちと同じ屋根の下で暮らしていくのは息苦しいと思ったところが大きく、そして今となっては実家に帰るのもあまり気が進まなくなっている。親といえば自分よりものごとをよく知っていて頼っていいのだと思っていたような節があると思うが、なんとなくそういったものも薄くなり、変わってしまったように思う。年老いたといっても両親はまだ60代だがそれでも自分が子供のころにくらべれば充分のような気もする。そして私も年をとった。そこにはもう親子といえど大きな差異を感じるようになっているのだろうと思うことはある。いつまでも同じなにかを共有する共同体ではないのだ。そしてそのぶん子どもの私は親を気づかい慮る気持ちを持たねばならないのだと思うようになった。自分の気持ちを優先させるよりも。

だけれど、親の中で、母の中での私はいつまでも小さな体だった子どもの頃のままなのだろうと感じる。そして与えてやっているのだと思われている。だからか、娘には何を言っても良い、どれだけ侮辱しても良い、叩くことも蹴ることも許される。私の感情も、心情も、勝手に決めつけられる。私が気分をわるくするのが悪いのであって、それを私が拗ねてだだをこねていてるのだといともたやすく断定し罪とすることができる。なにもかも私が悪いのだ。小学校の時も高校の時も、学校に行きたくないとなったとき同じく母は私を決めつけていた。責めていた。だから私はこの人に言ったって伝わらないと思っていた。私はなにも言わないことを選んでいた。大学を出たあとも同じだった。ずっとずっとずっと同じだったんだ。そうだ、そうゆうことだった。そ母にとっての私は都合良い道具にしかならない。私は都合良い娘として、良い娘を演じることを、存在でいることを少しは頑張って演じなければいけないと自覚していた。

私はもう自分を否定し尽くしてしまったから、もうなにも残っていないのだ。否定しきってしまった。ただその出がらしだけが残っている。なにもないということだけが残された。もう私は私をこれ以上否定する事ができない気がしてしまう、それは前々から感じている。もうだって何もないのだから。自分が否定されることにはもう慣れきって、飽きてしまってさえいるという感覚。それくらいに何もないという感覚。それはなんて愚かなんだろうと思うと同時に、なんて、言葉にできない。それはやってはいけないことだったのだと思っている。それによって私にはもうないもないんだという呪縛が強くかかりすぎているし、実際にそうなんだという真実から動けなくなってしまった。まやかしが効かない。何もないということをどう証明できるのか?といえば、手立ては何もない。ただ私の実感の話にすぎない。だから誰にも信用されない話だ。誰にも伝わらない話だ。でも、それでもあるこの手ごたえはじゃあ何だというのか。この感覚はどこにも捨てられない。えぐられて、掘り上げられた穴だけがある、そのぽっかりとした穴は私にしか触れられない。その穴をどうにかして埋めなければと思っている。だから、そのためにちゃんとしなくちゃって。少しでもまともそうな人にならなくちゃって思う。全然簡単にはなれそうにもないけど、努力しなきゃって。でも母などからしたらそんなのおかまいなしだ。いつでもいつになってもギャンギャン私を埋没させ壊しにかかってくるのだろう。私が悪いのだと、なぜそんななのだと、私が返す言葉のない場へと追いやる。私の何が悪いのだろう、なんで私が悪いのだろう、私には良いところなんてないのだから、私には悪いところしかないのだから、私になにか良いものを求められても何も提供できるはずがないのだ。私は最初から出来の悪い子どもだ。小学生の頃からそう自認している。生まれてきてごめんなさいと親に土下座しても、きっともうそんなことも忘れられている。私の中でそのときのことは何度思い返しても心が痛く、それでいて、ずっと思い続けていた思いをようやく口にすることができて、そのことによって親を憎むことへの怒りのエネルギーから解放された機会でもあった。でも結局それはそこまでしなければならなかった自分の痛さ苦しさが刻印されてしまった思い出だ。私はいつまでたっても悪い子どもなのだろうか。もういやだ。私はもう私を傷つけたくないのに、それでも頭に浮かぶのは私の悪さについて、なのだ。私の悪さは、もう手遅れだ。存在を否定することなどもはや意味を持たない。最初から祝福などない、過程にもない。だからもう言わないでほしい。無理だろうけれど。親とはあまり関わりあわないようにするしかないのだろうな。親とはただ親という人にすぎない。親から離れなければいけない。意志の弱い私にどこまでできるだろうか。でも振り回されたり、気を使わなければいけないことはもうやめなければ。してもらう、してやってるという関係を抜け出さなければ。頭が痛い。