1ヶ月前の12月3日、今のへやに引っ越してきた。決める前までは散々本当にここでいいのか、駅から徒歩10分に3点ユニットバス、好きなスーパーも近くにない、しょぼいマルエツしかない、本当は隣の駅が良かったのに、果たしてここでやっていけるのかを考え始めると決めるのに2週間は時間がかかった。それでも結局2階の部屋がすでに申し込まれていると聞いて、ああ悩んでる時間のせいで取られたガックリうなだれてしまったものの、結局母からの5階でもいいんじゃないというほんの些細な後押しでわりとすんなり5階でもいいかと切り替えて申し込んだわけで、そうゆうケロッとさが自分にはあるわけで、で結局自分は5階に惹かれてもいた、5階に住んでみたいと思っている自分がいたじゃないかということにさらされて、えいやあっと賭けた。賃貸住宅なんて賭け事だ。西日の部屋で午前中はとにかく寒い、夜もまあふつうに寒い、でも鉄筋コンクリートがやはり集合住宅の正解というのをひしと感じる。鉄筋コンクリートこそをば私は絶対に求めなくちゃいけなかったんだ。泣ける。電気代のとにかくの節約のためにエアコンは朝だけつけてあとはホットカーペットのみで過ごす、というのを決行するつもりだけど冬はまだ長いんだと思うと負けてしまいそうにもなる。

昼頃に仕事始めだった母と浦和で待ち合わせ。パルコのミディウミでニットを買った。2着試着して、どちらもほしかった、なんならシャツも欲しかったわけだがぐぐっと腹に力をいれてこらえた。年末セール、年始セールですでにあれこれ買っているじゃないかと自覚を促す。店員さんたちがキリとした顔立ち、雰囲気がありそれがきれいでかわいいと思う。ミディウミすっかり気に入った。それから伊勢丹へ。あれこれ見てムートンのスリッパを悩んでいたら母が買ってくれた。アフヌーンティーでお茶とケーキ。これもおごってもらった。買い物して帰宅。チューリップが5本で598円だったので思わず即決。花瓶を出した。ベッドをそういや買わなきゃいけないだろうと思ってまた検索するが悩ましい。

午前中に国立国際美術館トーク動画で福尾匠さんの日記を書くことについての話を聞き、わかるわかると頷くところが沢山ありそうだ今年は日記を再開継続しようと思っていたなと思い出した。

昨日の夜、また父が家を出ていった。ちょうど以前から1ヶ月ぶりくらいだろうか。私が帰宅したのが20時ごろだっただろうか、帰宅するというのが憂鬱で仕方なくなっているわけで、家の中に入った途端息が詰まり始める。リビングで、父が居座るテーブルで、ご飯を食すということさえしたくないのだった。その存在の臭さ、廊下からリビングのドアを開けて入るとすぐににおうその臭み、そしていつもいつもいつもただそこに座っているだけのでかい図体、立ち上がっても邪魔だけど座ってそこにいるということを目に入れるだけで不愉快になる。苛立ちがつのり、その嫌悪に対抗するために私は口を固く閉ざすのだろうか。そこで母だけが立ち回るのだ。ああここで食べたくなんてない、この同じ部屋になんていたくない、どうしたらこのリビングで食べずにすませられるだろうか、もしくは速さで食べるしかない、そんなくだらないことが憂うつで水をコップに入れて自分の部屋に行くことにした。台所に立った母がカウンター越しに父に何かを言っていた。それはおそらく私の食事の用意についての何かだった。豆腐がどうとか、豆腐の皿か、豆腐に乗せる何かについてだったのか。父はいつも通り聞こえてないんだか聞こえてないふりをしているんだか、何にせよ自分には関係のないことを言われて無関心な態度をとっているようだったが、母の言い方に少しずつ不満がつのっている気配を感じてこれは一歩間違えば喧嘩に発展するんじゃないか、とは思った。その予想は的中した。自分の部屋で洗濯物を畳んでしまっていたら父親の怒号が聞こえ始めた。ああやっぱりと思った。落胆した。相変わらずすげえでかい喚き声を発し始めた。大きな声をあげるしか脳がないのだと思う。そのでかい声で全てを支配できると、従属させられると思っているのだろうか。やっぱりだ、やっぱり私が家にいるからこんなことになるんだと思った。前回の家出がおそらく初めて長期間、っても1週間くらいだがいなくなった出来事だったようだし、それまではとにかくひたすら和室に閉じこもるスタイルをやっていた。4年前に家を出るときにも自分がいるからこの家はダメなんだろうと思っていたし、実家に帰るかどうかで悩んだのも自分がいることで不和が発生する原因になるんじゃないかと予想することができたからだ。それはやっぱりそうだった、わかっていたはずなのにのこのこと楽観視して、時間の経過の変化に希望を見出しちゃって改善されてやっていけるはずと簡単に意志を曲げてしまった自分が愚かだったのだ。まあ、ずっとは無理だろうなと思っていたし、一年も無理かもしれないとはもちろん思っていたが。私はそうやって自分が悪いのだと自動的にかなりスムーズに思ってしまう。ここで誰が正否をジャッジをできるだろうか。やっぱり家を出るしかないと思って部屋探しは始めていてただ母にこのことを言うのが憂うつで、また絶対何か嫌味を言われるんだと思うとうんざりで、でも早いうちに言っておかないと自分の決心を先に進められないと思っていて、ああこれでもう今はっきり言うべきタイミングがきたと思った。父の暴力的な暴言に母も切れ返していた。ガッシャンガッシャンと物音も聞こえていたがあれは何だったんだろう。もうこう言ったやりとり、音を聞くのはうんざりだ。何度うんざり思っても終わることがないんだと思い知る。もう36なのに。涙が出た。こんなところにいたくない。母は何でこんな男と結婚したんだろう、何でいまだにこんな男と一緒にいるんだろう、何で何で何で信じられない。何でこんな奴が私の父親だと言うんだろう。ありえない。母が不憫で仕方ないのと同時にどうして別れないのかと怒りと軽蔑の念を持つ。2.3分後、母が食事をおぼんに乗せて持ってきた。無言ののち、やっぱり家でるわと言うと、愚かだと言わんばかりの声音で何でそんなこと言うの、またお金なくなっちゃうでしょうと言い返される。あの父親と一緒に暮らすのは無理だからと言うと、母がすんと身を引くのがわかるようだった。私だって嫌なんだからそりゃそうだよね、それを無理に引き止められはしないと言った。同時になおこがいてくれたら隣のまりこたちだって助かるし私だって助かる、いてくれた方が良いといったことも言っていたが、もうそういったことで気持ちが揺らぐとかそうゆうことはないのだった。私は黙っていたが、涙が出てきた。あの男が心底嫌だった。ずっと黙っていたけど言ってしまえと思って、あいつは十条の家そっくりだ、十条のおじいちゃんとおばあちゃんも隣に住んでたのに私たちの面倒を見ることもおもちゃを買ってくれるようなことも一切なかった、それと全く同じことをしているあの男は。そのことが私はきっと許せない。嫌悪であり、嫌悪すぎて言葉にできない。気持ち悪い。それは母を苦しめ惨めにさせた傍若無人で無責任な人間のすること、それは忌み嫌う人々。自己のことしか考えず他者からも自己だけが優遇されていたい人。母が言われてみれば同じだ、と言った。そして父が洗面所などでガサゴソ音を立てているのが聞こえてきて、ああ、また家出して実家に行くつもりなんだなと思った。ああ本当に嫌だ。そうやって逃げることしかできない。いつも、ずっと、これまでもこれからもずっとそう。そしてまたしばらくしたら何もなかったかのように帰ってくるんだろう。帰ってこなければいいのに。早く死んでくれたらいいのに。死んで終わりにしてほしい。謝ることも自分の過ちのこともわからないまま、自分が大事にあつかわれないことに憤怒したまま、死んでほしい。終わってほしい。父が出ていった後、リビングで夕飯を食べた。これまで黙っていた気持ち悪さについて吐き出した。母もずいぶん言っていたから、ああこうやって女たちはみんな黙っていたんだな。私が父に結局何も言わないでいるのは何でだろうかと自分でも思うけど、それは母が父に何度同じことを繰り返し言っても一向に何一つ改善されることがないのを見てきているからと言うのが一つあるのかもしれない。話をしたくない、と言うのももちろんあるがそれはまるでサボっているようでもある。わざわざ何かを伝えたり注意すること自体どうせ無駄になることを知っている、そこに力を尽くしたくもない、関わりたくない、ただひたすら無視していたいがその存在が目に入ることも耳に入ることも鼻に入ることも結局は防げなくてひたすら女たちは我慢している。そのことにうんざりだ。結局あの男だけが得をしている。うんざりだ。死んで帰ってこなければいいのに。

父がいないと言うだけで、気持ちがずいぶん広く明るくなり、開放される。

あさいさんが現場、追加は出ないだろうけどさすがに確実に仕事をやっておかないと来週なにかどうなるかわからんと思ってのろのろと作りもの。radikoで昨日のアトロクの20時台、藤井隆ゲストコーナーを聞いた。アイリーンって曲をカバーしたというからアイリーンってあのアイリーン?と思ったらそうだった。ラジオでかかってるのを聞いていかにも80年代って感じの良曲だからきっと知られるてる曲なんだろうと勝手に思ってたけど宇多丸さんも藤井隆さんも知らなかったと言ってて勝手な思いこみだったとわかる。意外すぎる。おかしいな。そんなことになるものか。しかしこうしてめぐりめぐってくるからラジオは面白いなと思ったり。午後、追加の電話がきてうわめんどくさ、幕張まで持っていくのかー、本当は仕事進めておきたかったけどと内心思う。それは単に来週苦しみたくないから。苦しみを避けて通りたいもちろん。電車の中で眠気にまいる。オクティヴィア・E・バトラーを少し読む。あさいさんとおち合って車に乗り込んで2分後くらいにまた追加がでる電話がきて私がきた意味、時間、くずれる。まあ仕方ないけど、数時間が空虚。少し話して会社に戻ることにするも高速が激混み。会社戻るのに2時間近くかかったような。久々にあさいさんと夜ご飯を一緒に五右衛門で食べた。にんにくが入っていたのは夜だから?帰宅して、父の存在にイラつく。ゾゾタウンで買ったラコステの服がもしかして細身すぎたのではないかと心配になり始めるもちょうど発送済みに表示が変わっていてまあどうしようもないと諦める。

生理で腹が痛いのもあるし天気のせいかだるいような気がするしでやはり仕事にやる気が出ない。なにもおもしろくない。ドラマや映画を見る気もあまり起こらず、本もろくに読めない。気温が下がってきて持ってる服のほとんどがボロに思えてすべて買い替えたいくらいの気持ち。服が全てを解決してくれるかのように思っているがそんなわけないのに。買っても持っても足りていない気がするのが洋服で、そうゆう感覚とはおさらばしたいのにずっとできないままだな。実家に戻って金銭面での心配、不安、憂うつはかなり解消された、というかずっとお金のやりくりのことで私は日々日々押しつぶされていたんだなあとわかってそうしたら楽観的になってしまった。まあ今は反動で解放されすぎのいきすぎだと思うが。お金の心配をすることは疲れるのでもうしたくない、しなくていいということに羽を伸ばしすぎてて決して本当はそんなに余裕があるわけではないのにカードの明細を見るのをあえておろそかにしている。バカっていうかなんていうか。今はひたすら少し良い服を、それなりに頑丈で何年も着れる普通の服を買いたいと思ってしまう。本当に好きでユニクロや無印の服を買いに行っていたわけではないんだな、と思う。夜、ツイッターで千葉雅也さんのスペースを少し聞いた。なんかしかしでもこのスペースを聞くってやつは多少気持ち悪さがあるんだよな。なんなんだろう。声におえってする。

朝から生理で腹がいたいいたい。でも生理の腹が痛いのには耐えられるというか、それでも会社には行けるのだから、先週久しぶりにあった全身だるくて布団から起き上がれない立ち上がれない現象とどちらがしんどいのかといえば、と比べ始めるのもどうなんだろうと思う。朝ご飯食べず、ミルクティーでイブ4錠飲みこむ。あさいさんが現場に行ってるから午前中は1人だなと、しかし全くやる気出ないし、そこまで急いでやらなきゃいけない仕事があるわけでもない、やっぱり家を出たくて仕方ないそれしかないんじゃないかという思考にぐるぐる囚われ何度も涙が出てきてしまう。しめっている。昼前にあさいさんが帰ってきた。昼休みは爆睡。午後は張り物と表具カット。50メートルでくたびれた様子を出したら残りはまた明日以降でいいかとなって16時頃で帰らせてもらえることに。でもまあ家にそんな早く帰りたくもないわけだ。ベーグル買ってユニクロへ、なんかまあしかしユニクロで買うことってどうなんだろうねという考えがどうしてもちらつく。でもユニクロで買わなかったらじゃあどうしたらいい?という服がある。何も買わず、スタバでドーナツでも食べようと思って行ったのにドーナツ売り切れてて最悪。しかも寒いのに店内は冷房ガンガンで狂ってるとしか思えない。寒すぎる。帰宅。親と話をすることをしたくないモードに完全に入っている。でもNHKのニュースで値上げ値上げの話題を聞くとどうしても今また一人暮らしするのはあまりに愚かか、今はまだ我慢の時か、賢く我慢しておくのが得策か、と流れてしまう。まあ時間の問題だと思うところは消えずにあり続けるけれど。いちいち揺れる自分がアホらしく、バカくさい。けれど揺れ動かずにいられないのが自分だとも言える。腹が痛い腹が痛い。すんごい久しぶりにはてなにログイン。大丈夫かこれ。