夜中2時ごろに大きめの地震スマホ緊急地震速報が鳴ったのは揺れが来たのとほぼ同時のようだったが。最近は夜中の小さな揺れがおこるときにはなぜかその直前に目がさめる、もしくはかなり最初の微震で目が覚めることがよくあったけど、今回は最初からガツンと来たのか直前に目をぱちっとあけて揺れをむかえうつ、なんていうのは一切なくて、とにかくスマホからの音声と部屋の揺れとにがばっと起きた。勢いで手に取り目に入れたスマホの画面に、メッセージが来ていた。こんな時間にだれだ?と思ってみたらTくんで、若干日本語としておかしいひとこと、飲んでるよみたいなメッセージがほんの数分前に来ていた。揺れの中で呆然としながらもああきっとまた東京来て飲んでますよって意味なんだなと思う、なにか返信すべきか、いやきっと彼も地震にびっくりしてるだろう、んでさっさと寝床にでも帰るだろうと思ってラジオをつけてNHKの人の声を聞けばもうそれでもう一度眠りにつくには十分な安心を得る。

朝ごはんを食べたりなんだりした後になって、そういえば夜中にメッセージが来ていたんだよなあ?とそれがいつのことだったのかもあやふやな気がして確認すべくメッセージを開いた。あ、やっぱり現実だったんだなと思って、とりあえず返信。会おう、とか言った話には別にならない。彼も彼で忙しいんだろう、くらいに思う。

体は引き続きものすごく強い疲労感。だぶつく。ぐにゃりとするような、ガクガクとするような。こんなにも言うことを聞かない自分の体を操縦するのは初めてだ。キキがデッキブラシに乗って「言うことを聞きなさい」と言う気持ちと通じあうかもしれない。へんだへんだと思いながら横浜のbankartへ心ある機械たちagainを見にいく。sくんが良かったと言っていたので見ておくか、と。今の場所になって初めて行った。どこかやさしく、そこにいても邪魔にならない、といった説明ははてな?だけどなんだか愛嬌を感じるものがある作品もあった。小林椋さんの作品は見るたび、見れば見るほど好意を抱いてしまうような気がするし、早川裕太さんや片岡純也さんの作品のひたすら運動しているそれだけに自分の眼差しが針の穴を見つめるように吸い込まれてしまう。いろんな作品がそれぞれに回転していた。回転するものを見飽きずにずっと眺めていられるのは、海や川の水面や水流を眺めているのとは違うのか?同じなのか?

展示を見おえてGoogle マップで探しておいたパン屋へ行ってみる。歩いてたら急に中華街に出たのでもろにびっくりしてしまう。わっ、と思ってそうしたら急に過去の中華街来訪の思い出が沸き起こってきてその波にもまた驚く。美味しそうなものがいろいろ売っているような気がさせられる。パン屋は夕方ですでにラインナップが薄かった。2つくらい買う。ほんとはもうちょっと先のパン屋が気になっていたけど、そっちも夕方には品薄になると言う口コミを見て諦めた。ああぐったり〜となんとか電車に乗って帰る。なんだか座っている方が歩いていたときよりもものすごくぐったりする。背中に膝腕に米袋を背負っているかのようだ。隣に座ったおねむりおじさんの寄りかかりが、猛烈に重くてしんどい。どう考えてもしんどい。泣きたい。寝てる人ってどうしてあんなに無垢に体重を預けられるんだろう。

そういえばお昼を食べていなかったので空腹がすごいけどこうゆう時ほど何を食べればいいのか買えばいいのかわからなかったりする。なぜかお菓子をいろいろかって、羽二重餅など買って食べた。ぐったりつかれてベッドに横になったら熟睡したらしく、起きたら夜中。ダメだと思いながらそのまま寝た。