都現美のイベントを見に行こうかと思っていたけど、何かと何かを天秤にかけるような思いになって、やめて、とりあえず銀座のポーラアネックスの展示と資生堂の展示を見る。ポーラの方は思っていたのとまた全然違った、あれ、なんか、あれ?!という気持ちになった。収穫は能の型で泣く型があるというのを知れた。瞳にたまった涙のしずくが落ちてくるのを受ける型。目はふたつあるから2回行う。もっと悲しいときは両手で受ける。悲しさが内側に満ちてきて、自然と面を伏せることで、こぼれ落ちる涙を受ける手が出る。と言う解説も面白い。自分はやっぱり涙に興味が、いまだに、あるのだなあと気づかされる。資生堂は記憶の珍味 諏訪綾子展、数種類のにおいを嗅いで、一番自分の記憶に訴えかけるものだかを選んで係の人に伝え、奥の部屋でそのにおいにまつわる何かを食べる、体験するらしい。しかしひとり5分くらいはかかる、すでに今6、7人並んでいるので30〜40分かかると言う。おおお、渋谷で映画を見るには40分後には出ないといけない身にそれはちょっと無理かも。仕方ないので体験は無し。しかし最近ここにくるといつも同じおじさんがいて、今日もいて、親しみやすく作品の解説もしてくれる。サスペンダーをしている。そういえば受付の人も以前は資生堂の感じのある女性だったのが最近は学生かな?って言うくらいの若い女性がいることが多い気がするし、アルバイトの方々なんだろうか。なんだかいろいろミックス感があり、しかしこの場においてはそれがわりとハマっていて面白いなと思う。

渋谷に移動してイメージフォーラムで彼らは生きていたを見る。ほぼ満席。前の回も満席に近かったのか、とにかく今日は直前のチケット発券にも行列してた。客層はおじさんが多い。そうゆうものなのか、と思う。最初の方寝ちゃうかもと思ってたけどやっぱりちょっと寝た。最近は映画館でちょっとだけ寝るのもずいぶん上手くなったなあと思っている。BBCにある記録映像を彩色をし、フレーム数を合わせ、別物の実際の従軍者たちの音声をつけたりもしくは唇を読んで新たに映像に合わせた音声をつけたり、爆撃音をつけたり、とかなりいろいろと編集を施しているわけだけど、一番印象的だったのはフレーム数が編集されることによって、とてもスローな映像として、じっくりゆっくり舐め回すように見る体験をしたことだった。昔の映像というとフレーム数の少なさからどうしても早回しの忙しないおびただしく情報が流れていってしまうという印象があるが、それが全く違う印象としてゆったりと流れる。時に死体を写したカットの静止時間が異様に長く感じられる。死体のカットも結構多い。従軍者たちの証言はいくつもいくつも重ねられる。それらを見聞きしていると、なぜこんな戦争をしなければいけなかったのだろうかと思う。

ダウントンアビーで戦場のシーンとして塹壕のシーンを見たのが印象的だった。そして自分がよく知らないのでこの塹壕で一体どんな戦い方をしたというのか不思議に思うところがあった。それが映像を見るということで強烈に「見る」ということの体験をしてしまったように思う。

22時前くらいになってTくんからメッセージ。え、日曜のこの時間に?と思う、今から飲みにとか誘われても無理だよって話なのに自分の酔いの心地よさだけで連絡をしてくる、というか、飲んでる時にしか連絡してこないじゃんという話であって、ああこの人はシラフのときは変わらずシャイになっちゃうんだよなーと思うし、酔ってないことには本音を話せないという関係性なんだなーと思う。まあそれって少し寂しくはあるんだけど。でもなんかいつもそうだから、慣れてしまう。しょうもないこと、いつも結局こんな話になるよねってことをだらだらとやりとりする。ああでも私は彼にしか出せない、言わないようなところがあるんだなーと思わされる。大学の頃から私と、Tくんと、sくんの関係性はどうもこんがらがっていて、それぞれに嫉妬心があり、対抗心があり、かなわないというような敗北があり、自分には何もないという恥ずかしさ、落胆があり、私にはない選民意識を彼らは意識しており、それらを共有しながら必死に隠しあい、慕いあうことはなく距離をとり合うことしかできない。私からすると彼らは男という同性の共有をしているんだからもっと近くで分かち合えるのではないのか?と思うのに、どうもへんちくりんな侵さなさを保っているようだった。それは互いに互いを褒め称えあってしまう、相手には自分にないものがある、輝かしく見えてしまう、それを素直に羨ましがりもするしまともに羞恥してしまう、ということのようだった。今でもそれが続いてて、なんなのあなたたち、、、と私は思ってしまうが。今回やりとりをしてて特に思ったのは、とにかく自分には何もないという思いをそれぞれがそれぞれの恥として強く抱えているということなのかもしれないと思った。その抱えた恥を誰も話そうとはしない、もうずいぶんいい歳になったのに、まだ離せないでいる。Tくんにいたってはもうずっとそうだから、とかなんとか言っている。まあね、そりゃそうだ、とも思う。この恥が解放されることなんて、ないのかもしれない。この恥の感覚をお前も持っているよね?知っているよね?という共有を持ってしまってるかぎり私たちの関係性はずっと変わらないのかもしれない。Tくんは十分に名前も仕事も売れてると思うのに、それなのにまだそんなこと言うの?!と思ってしまうのだが、ああそんなのは関係ないんだなと思う。いくら売れようが成功しようが彼にはそんなのはいつ崩れてもおかしくないものに写らざるを得ないのかもしれない。前にTくんのツイートがフォロワーの人のいいねとして流れてきたことがあって、それを見たときうさんくさいなあと思ったよ、と送ると、うさんくさいよなあ笑、と返ってきた。こんな会話をしててもフォローし合うことはない。前になんかであげた靴下を気に入ったらしく自分で買い足したと言ってて、ちょうど今その靴下はいてる、と写真を送ってきたので、あなたはそうゆうこと簡単にできるからモテるでしょうねと思う。男心が全然わかってないと言われる。そんなの永遠にほとんどがわからない。