phone camera


ようやくかな、夏らしく。学校の中央の通りというのは、何度歩いていることだろう。これからも何度歩くことだろう。動かない固定された風景であり、めきめきと動きみなぎる風景である。なつ、なつ、なつのにおい。今日もまた20時近くの時間に校舎内から外へ出た時、においがあった。ああ、なつのにおいだ。においで、脳みそがいかれてしまいそうだった。

私はどうしてそんなにこわいんだろう。自分でも、わからない。過去のものが、消えない?そう、いつだって、過去の、母のつくため息の映像が繰り返される。母の愛情はすこし重いほどにわかる。とても、わかる。と同時に、それを疑い、怖れている。わたしは疑っている。ずっと。疑わずにはいられない裏づけが自分にはあり、わたしはそれを信じている。本当は、今でもこころの中であの頃と同じため息をつきつづけているんじゃないか。はやくいなくなればいいと思っているんじゃないか。心のどこかで、閉まっているのかもしれない場所に、そうゆう思いがあるんじゃないか。どうしても、そう思い描いてしまうことを、私は止められない。そしてそれを思うと、いつも涙がにじみでてくる。その涙は何の涙なんだろうなって思う。それじゃあわたしはいなくなるべきなのかなって思う。でも、いなくなれないわたし。だから、ごめんなさいと何度もつぶやくだけで、結局誰に届くわけでもないのに。

15時ごろから4階の廊下の長椅子で寝ころがってコロボックルの本を読んでいた。人気のない廊下。時々遠くに聞こえる何を喋っているのかは分からない人の声、ドアの音、階段の音。外から夏の音、風。空気。つい先週までは賑やかだったこの場所も、今ではとてもおだやかになっていた。なんだかすごく安心したら、いつのまにか眠っていた。どれくらいだろう、わからないけど。目覚めても、暑苦しさなどはなく、とても気持ちよかった。すごくいい場所だった。ふしぎとかなしくもなくて、せつなくもなくて、さみしくもなくて。窓からの風景が大好きで、わたしはながめ続けていたい。それから石膏を少しさわって、掃除して片付けた。先生は鼻歌をうたいながらいつものように打っていた。

数日内に恐らくわたしは実家へ帰る。わたしはこわい。2ヵ月半ぶりに会うこと、喋ること。きっと会えば平気で出来る。けれど、その奥に疑いを持つことをわたしは止められないだろう。今までは6月に一度帰る機会があったけれど、今年は帰っていないし、電話を拒否し続けていたから声を交わすこともしていない。わたしはその間に髪の毛が伸びた。久しぶりにまともに伸ばし続けている。髪の毛自体は4ヶ月切りにも行っていなくて、元から多い髪の量は、今はとても多い。抜ける、生える、残る。黒くあり続けているわたしの髪の毛に、わたしは最もわたしを見出しているのかもしれない。蜘蛛の糸のよう。それにすがる。



なつ、なつ。なつの中にいて、なつを過ごす。