去年の11月にkさんとご飯食べてる流れでわたしの口からふいにというか、その話の流れで自然と導かれたものとして、自分のためだけに生きるのは大変だ、みたいなことばが出た。そしたらそれを聞いていたkさんも自然に同意するように復唱していた。飲んでいたからその余波みたいにさらりとぽろんと押されるがままに口から出たみたいに。だから余計に自分で口にしたそのあとにも響いて聞こえてきたというような感覚がある。こだまみたいに。

そのことがその時からずっと頭に残る、印象的なシーンだった。それはその時はじめて頭に浮かび言葉になったもので、するっと出たわりにシンプルなまっとうな実際のことであると感じられる。それにつきてしまうではないか、そうなってしまうではないか、というおそれがそこにはある。

誰かのためも何かのためもなく、それでも毎日を生きていく。そんな日々のことがとてつもなく重くのしかかってくるように思える。なんでもないことみたいで、でも一度そこに疑問を持ってしまったら、眼をじっと止めてしまったら、そここら動けなくなってしまいそうな気さえする。またその先の年老いた自分の未来は一体どれだけみじめな姿をしているのだろうかとも思えてしまう。自分のためだけにというただそれだけのために私は生きていられるんだろうか。

できるだけ早く死にたいと思っていることに変わりはない。でもそれでも働いてお金を稼ぎ何かを欲しいと思い何かをしたいと思い何かを楽しみに近い未来を楽しみにしている。常に今の一瞬後に死が訪れる前提ではなく、死は遠く自分はいつまでかわからないままいつかまでは生きるという算段でいている。よってそこにはまるで矛盾があるようだ。死にたいことと生きてること、矛盾なようでいるけれどそれは矛盾ではないことの確かさは私自身のなかにその二者が常に同じように浮いているという確かさだ。生きることと死にたいことは相入れるのか。でもそれでしか生きてない。